どんな境遇でも、ただの私で生きていく | 私なりの歩き方|50代 これからは、自分のために生きてみよう

私なりの歩き方|50代 これからは、自分のために生きてみよう

もやもや病の発症をきっかけに始めたブログ。
今は病と共存しながら、ありのまま 心のままに生きる日々を、涙あり笑いありで綴っています。
是非遊びに来てください ね(*´꒳`*)
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2019年も、残りあと3日をきりました!!

日本は元号が令和にかわりましたが、世界は急速に変化し続けています。

またその一方で、大きな災害にも見舞われた激動の一年。

そんな令和元年が、いま 静かに終わろうとしています。


おはようございます。 みつきです。

かくいう私も、一昨年の一月に脳梗塞をきっかけに もやもや病が発覚し、これまでの人生が激変。


ある日突然、自分の意思など おかまいなしで

健康も

職場の肩書も

親としての威厳も

ぜ〜んぶ 奪われていきました
真顔真顔真顔


発症直後は 自分の病名を必死に調べて、余命という文字を目にした瞬間

自分の命にも
当たり前に終わりがある
チーンチーンチーン


その現実を、思いっきし突きつけられ

脳天を鈍器で殴られたようにショックで・・・

ずっと夜中にひとり、泣いていたっけ。


でも 今思うと、社会的な役割を失ったからこそ

私は なんの武器も持たない"ただの私"という存在を、受け入れることができたのかもしれません。


思えば、シングルマザーとして、父親業と母親業を独りで こなし

職場では管理者として、ずっと走りっぱなしの毎日でした。

与えられた役割を全うするため、辛いや我慢は当たり前。

だから自分自身のことは、いっつも後回し。

というより、自分自身のことを考える必要性を、感じたこともありませんでした。


でも 人は早かれ遅かれ 
いつか必ず
健康や若さ、肩書を
失うものです 笑い泣き笑い泣き笑い泣き


私はそれが、人よりちょっと 早かったから

心が大混乱して

"もう 自分には価値なんてない!"

そうやって、自分を責めてしまった時もあったけど、

いやいや 決してそうじゃない!

生きている限り
自分が どういう自分で
在りたいのか?

これは どんな境遇になろうとも、自分の意思で 自由に描くことができるし、叶えることができる。

それに背負うものがなくなって、今までより身軽になったからこそ

これまでとは違う道もアリなのだと、思えるようになったのかな。


この先は
頑張っても良いし
頑張らなくても良い ウインクウインクウインク


唯一 私が思うのは

 "ただの私"を愛してくれる、家族や仲間たちに

私の笑顔を、ずっと覚えていて欲しいということ。

だから

自分らしく笑っていられる場所に身を置き

自分らしく無理せず暮らして

自分と 家族と 仲間たちに

自分なりの心を尽くす


そういう自分で在り続けることが、私が自分の意思で決めた"お役目" であり、これからの"生き方の軸" になりました。



私には病があるけれど、療養を続けたこの一年の間で

心は随分と、健やかになった気がします(笑)


あんなにも生き辛かった日々が、今は毎日が楽しみでなりません デレデレデレデレデレデレ


歳を重ね 色んなものを失ったあと、最後の最後に残るのが、"人の心"。

その心だけは、いつまでも輝かせていたい。

そういう私で、いつの日か人生の幕引きをしたい。


私が願う これからの私に、ようやく一歩 踏み出せたかな?

それが私にとっての令和元年でした。


命があって
その命の喜びを
分かち合える人がいる
ウインクウインクウインク


この絶対的な幸せが ここにあることを忘れずに、2020年の その先へ!!ヘコヘコと進んでいきます♡


皆さまも、これからますます
ご自身が望む自分を
生きられますように キラキラキラキラ


いつも ありがとう。


みつき