【脳血管バイパス手術】術後の急変 ① | 私なりの歩き方|50代 これからは、自分のために生きてみよう

私なりの歩き方|50代 これからは、自分のために生きてみよう

もやもや病の発症をきっかけに始めたブログ。
今は病と共存しながら、ありのまま 心のままに生きる日々を、涙あり笑いありで綴っています。
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★ 4月17日(火)術後回想録 ★


手術から一夜明けた朝
ICUから一般病棟にうつる前に
CTとMRI検査を受けるために
ストレッチャーで移動。

ICUがあるフロアーからCTの検査室までは
患者用の直通エレベーターを利用。
外来患者の方に会うことなく
スムーズに検査が終了。気分も問題なし!

ところが、MRIの検査室に行くには
一度外来待ち合いを通る必要があり・・・
頭に包帯を巻き、あらゆる機材が装着されたまま
ストレッチャーで横になる自分。

狭い通路を通る時は
多くの通院患者の方が好奇の目で
自分を上から見ていて
その視線に妙な緊張感が。

これは絶対、
検査を一度で終わらせなければ!
移動の間、強く手を握りしめていました。

日頃呑気な私が、
これだけ緊張すること自体が
今にして思えば異変の始まりでした。

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周囲の視線を浴びながら
別のストレッチャーに乗り換え
いよいよ検査室へ。
術後なので左側は耳栓・ヘッドフォンはしないで
検査スタート。

いざ始まると、いつもより音が脳に響き
頭が揺さぶられているよう。
目を瞑ると、昨夜から続く色んな映像
特に大勢の男性の顔がクルクルまわり
感じたことのない焦り。

「いつもは何ともない検査
大丈夫、絶対にこれで終わらせる」

検査中、ずっとその言葉を繰り返し
深呼吸を繰り返していました。

結果的に検査は何とか終了し、
また大勢の視線を浴びながら
ICUに戻りました。

すぐに、先生から一般病棟への移動許可がおり
鼻の酸素チューブを外して、
今度は車椅子で部屋に移動。

やっと部屋に戻れた安堵
これでゆっくり横になれると思っていた矢先
入室のための名前確認をされて・・・

「えっ??
私の名前なんだっけ??」
すぐに名前が浮かんできません。


「じゃあ、ここはどこですか??」

必死に答えた病院名は、全く別のところで
私自身も行ったことがない病院。

「ここは○○病院ですよ?わかります?」

看護師さんと話しをしていると、
どんどん目の前に霧のようなものが広がり
頭が真空パックされたように、反応が鈍くなる。

言われていること、
聞かれていることは分かるのに
言いたい言葉が出てこない。
色んなひらがなが洪水のように頭に溢れる。


「じゃあ、今日の日付は わかりますか??」

「えっ?今日は何月だっけ??」
ちょっと落ち着こう・・・

「最初の月から数えて言っていいですか?」
そう言おうとしたら、
ちょっとずつ口の動きも鈍くなる。
凄く喋りにくい。
そうしてる間にも、
明らかに呂律が回らなくなる。
もちろん、最初の月が1月ということも
出てこない。

「わたしはどうなってるの?
でも、家族の名前なら
絶対に分かるはず!!」

どんどん頭に霧が広がる中
大好きな子供達の笑顔は浮かぶのに・・・
苗字すら浮かんでこない・・・

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「わたしの人生 終わった・・」

子供達の名前も分からなくなった母親
悔しくても、言葉が何も出てこない
ただ虚しく、意味を持たない音だけが
口から発せられるだけ

「また娘を泣かせてしまう・・・」
心の中でゴメンねだけを
ただただ 繰り返していました。