昨日のブログ記事に出てきたケプロン先生を口説いて日本に来させたのが黒田清隆長官。そのお話しは後ほど…
ゾンビ企業って呼ばれる企業があります。再生できるかというと難しく、何とかつぶれないだけのおカネを回すだけが精いっぱい。何故残す必要があるんでしょう…?という企業です。
皆さんは、常識的に「借金を返せなくなったら破産」と思ってらっしゃらないでしょうか?普通に返済ができている会社なら「正常先」。人間でいえば健康体です。逆に、弁護士さんを入れて破産手続きが完了すれば法人格は消え、「死んだ」ことになります。
その両極の間に財政的には死んだと言ってもいいがまだ活動は続けている、というような半死半生の企業が存在します。表現は悪いですが冒頭に紹介した、ゾンビ企業、です。
たとえ銀行からの縁切り宣言である「期限の利益喪失通知」があっても=破産、にはなりません。業種や支払手形の有無などにもよりますが返済の相手を保証協会やサービサーに変えて営業を続けられる場合があるからです。
「…破産した方がいいんでしょうか?」と再生の相談の席上、自信をなくした社長さんから聞かれることがあります。
例えゾンビ企業と呼ばれても何年かがんばったとしましょう。そうすればお子さんが学校を出たり、親御さんの最後をみとるなど、なにかが起きるはずです。
存続する間はお給料を払い続けることになりますから従業員さんとそのご家族の生活の維持もできます。会社が存続してこそ生み出せる価値があるのです。はたから見てどんなにかっこ悪く見えたとしても…。
ですから、会社はつぶしてはいけません。つぶすときには次につなげる潰し方を考えなければなりません。
さて、黒田長官です。今回発見したプチ情報は…
生麦事件には、随行の一人としていあわせた。
箱館総攻撃では、自ら少数の兵を率いて背後の箱館山を占領し、敵を五稜郭に追い込み、榎本武揚に降伏を勧め、承諾させた。
戦後は榎本助命を強く要求して、彼のために丸坊主になったこともある。
明治4年(1871年)1月から5月まで、アメリカ合衆国とヨーロッパ諸国を旅行した。旅行中、米国の農務長官ホーレス・ケプロンが黒田に会って顧問に赴くことを承諾し、他多数のお雇い外国人の招請の道を開いた。
むむ。ただし…
黒田はケプロンの献策にもとづき基盤整備事業を起こしたが、たちまち支出超過を招いた、と。
また酒呑みで、酒に酔った勢いで艦砲射撃を行い、無関係の住民を爆殺したこともある、と。
毀誉褒貶の激しかった人のようです。でも北海道の歴史に揺らぐことのない足跡を残しています。
ゾンビ企業って呼ばれる企業があります。再生できるかというと難しく、何とかつぶれないだけのおカネを回すだけが精いっぱい。何故残す必要があるんでしょう…?という企業です。
皆さんは、常識的に「借金を返せなくなったら破産」と思ってらっしゃらないでしょうか?普通に返済ができている会社なら「正常先」。人間でいえば健康体です。逆に、弁護士さんを入れて破産手続きが完了すれば法人格は消え、「死んだ」ことになります。
その両極の間に財政的には死んだと言ってもいいがまだ活動は続けている、というような半死半生の企業が存在します。表現は悪いですが冒頭に紹介した、ゾンビ企業、です。
たとえ銀行からの縁切り宣言である「期限の利益喪失通知」があっても=破産、にはなりません。業種や支払手形の有無などにもよりますが返済の相手を保証協会やサービサーに変えて営業を続けられる場合があるからです。
「…破産した方がいいんでしょうか?」と再生の相談の席上、自信をなくした社長さんから聞かれることがあります。
例えゾンビ企業と呼ばれても何年かがんばったとしましょう。そうすればお子さんが学校を出たり、親御さんの最後をみとるなど、なにかが起きるはずです。
存続する間はお給料を払い続けることになりますから従業員さんとそのご家族の生活の維持もできます。会社が存続してこそ生み出せる価値があるのです。はたから見てどんなにかっこ悪く見えたとしても…。
ですから、会社はつぶしてはいけません。つぶすときには次につなげる潰し方を考えなければなりません。
さて、黒田長官です。今回発見したプチ情報は…
生麦事件には、随行の一人としていあわせた。
箱館総攻撃では、自ら少数の兵を率いて背後の箱館山を占領し、敵を五稜郭に追い込み、榎本武揚に降伏を勧め、承諾させた。
戦後は榎本助命を強く要求して、彼のために丸坊主になったこともある。
明治4年(1871年)1月から5月まで、アメリカ合衆国とヨーロッパ諸国を旅行した。旅行中、米国の農務長官ホーレス・ケプロンが黒田に会って顧問に赴くことを承諾し、他多数のお雇い外国人の招請の道を開いた。
むむ。ただし…
黒田はケプロンの献策にもとづき基盤整備事業を起こしたが、たちまち支出超過を招いた、と。
また酒呑みで、酒に酔った勢いで艦砲射撃を行い、無関係の住民を爆殺したこともある、と。
毀誉褒貶の激しかった人のようです。でも北海道の歴史に揺らぐことのない足跡を残しています。
