先週、松本引越センターの社長さんが自殺した、というニュースが流れた。

 自殺は事件性がない、ということで本人が著名人である場合を除いて報道されることはない。しかし、年間3万人を超える自殺者が出ていてそのうちかなりの割合が中年以降の男性だ。経営者の方も多数含まれているに違いない。

 会社で、縊死だったと聞く。

 「もう死ぬしかない」と決めたときの心。

 「死に場所を会社に」と決めたときの心。

 想像するに余りある。

 しかも、自殺は本人が死んで終わる話ではない。残されたご家族がどれほど傷つくか…。

 ご家族は「力になってやれなかった」という後悔をずっと引きずらされることになる。

 自殺による保険金で借財を返したとしてもそんなことでは会社は立ち直らない。会社というのは直接的には従業員さんに給料を払い、間接的には仕事を通じて生きがいを感じてもらう場所だ。つまり、幸せを供給する場所なのだ。

 そしてその幸せの供給元は本来、社長さんなのだ。

 そこに自ら命を絶つという絶望感に根ざしたお金、遺族にとって肉親を失うという長く続く悲しみの感情の上にあるお金を流し込んだとしても決して根付くことはない。

 同じ会社を潰すのならせめて借金を返したい、という発想もあるだろう。しかし、その生命と引き換えにしたお金で返済を受けた側はどう受け取ればいいのだろう。

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 緒方貞子さんというお名前を覚えておいでだろうか。

 国連難民高等弁務官(UNHCR)として10年の任期の間、2200万人の難民を救った方で、小泉政権下で田中真紀子外相が更迭されたときに後任に擬せられた人だ。

 著作の、「私の仕事」(2002年12月刊、草思社、1,600円+税)で自分の仕事についてこう述べている。 

 「…現場に応じて一番役に立つ方法は何か、というのが私の判断の基準である。それは最終的には、人の生命を助ける、ということである。生きてさえいれば、彼らには次のチャンスが生まれるのだから。」

 生きてさえいれば…。

 死ぬな。

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