チャプター3

 

涙の公立高校入学になりましたが、父親に夢を破壊されて、なれ果てな気持ちで、やる気の失せた公立高校入学になりました。

 

僕は考えました。もう反抗だろうと、自分の好きなことはしたい。入学して、勉強は全くしなかったのですが、内緒でデパートの最上階にあるレストランに僕はアルバイトをすることにしました。当時の時給で650円。厨房の仕事でした。

 

学校や実家で表現できない奔放な自分をバイト先で羽を伸ばすかのように、楽しく、働いていました。

半年以上アルバイトを頑張って、9万円くらい貯金が貯まりました。僕は迷わず神戸にある楽器屋さんに行き、エックスジャパンのhideモデルのギターを買いに行きました。

ギターを見た瞬間感動ものでした。買いそろえたのは、ギターと、ギターの音を調節したり変えたりするエフェクター。

 

有頂天になり、家で、どのフレーズもコードもわからないまま無邪気にエレキギターを弾いていました。

そして、公立高校で初めての友達ができたのが、昼食の時間、食堂に座っていた不思議な男子生徒がいました。お互い同時に声をなぜか掛け合え、二人ともエレキギターをやっているということで、意気投合し、友達になってしまいました。

 

数日後、その男友達の家に自分のギターを持って遊びに行きました。なんとそいつはエックスジャパンの大ファンで、当時一世風靡した曲をなんと弾いているのです。僕はギターを買って、一番最初にそいつにギターを教えてもらいました。そいつも僕も耳コピはまだまだ苦手だったので楽譜のタブ譜を見て、フレーズを覚えて一緒に最初に演奏したのはエックスジャパンの、「サイレントジェラシー」でした。

早い手首の動かし方、左手の早弾き、右手の早いピッキング。熱を入れて本当にギターに燃えていました。二人で一緒に曲を弾き切ったあとは、やりきった感の、やったー!!!♫♫♪てくらい面白く喜んでいました。

 

楽しくギターを弾きあった友達の家から帰り、実家に立派にたたずんだギターを眺めては、カッコいいー💛と有頂天に実家にある自分の居場所の片隅で喜んでいました。

 

しかし、悪い予感はしていました。そのギターを父親が見たら怒髪するんじゃないかと。

夜に父親が実家に帰ってきて僕の居場所は実家の片隅なので、通り道なので、ギターを父親に見つけられました。

父親は、「何勝手に買って来とるんじゃ!こんなもん家に置きやがって、明日には捨てとけ!!」

と怒声を憎しみをこめながら僕に浴びせて父親の部屋に父は行きました。

 

いっつもだ。昔から。本当に喜んだ後はほぼ必ず親が高まる喜びをけり崩して台無しにする。

でも、僕はその時15歳、負けるもんかと、ギターを大事に扱う日々と、ギターの練習をする日々が続きました。

夜中に公園まで行って、外でギターの練習を一人でしていた時もありました。

 

高校生活でたった一つだけの僕の青春だったんでしょう。

学校の勉強は殆ど全くしませんでした。欠点を取り、進級のためのレポート提出の山をこなして、留年だけはしないと誓っていたので、進級する勉学生活でした。単位もあと一単位落としたら留年てところまでなりましたが、そこは必死に登校して、進級に繋げました。

 

中学時代からの仲間だったやつもギターをしていました。そいつは本格的にバンドを組み、本気でプロミュージシャンを目指して励んでいました。そいつのパートはエレキベースでした。最初はそいつもへたくそだったのですが、僕の実家と違い、親が寛容なので、自宅で自由に好きな音楽をし、バンド関係の仲間もつながって広がっていき、ベースの腕を上げていました。そいつともバンド練習スタジオで数曲一緒にバンド練習したこともありました。

 

実家の寛容さ、窮屈さ、叱り、ルール、やりかた。そんなそいつの家と僕の家の不自由さ理不尽さとの違いに何度も何度も、あいつの家はめちゃ恵まれてるなぁ。とため息と悲しさを抱いた高校生活の一部でした。

 

それでも僕はめげずにギターの練習をし、仲間たちには弾けない難しいフレーズを弾けるようになり、僕の中で高校生活で唯一のものだったのが音楽でした。痛み痛みの暮らしの生活でも、後に生きている喜びを奮起させる味の素なんだと、今現在、僕が振り返って思います。

 

しかし、悲劇は続きます。

では、次のチャプターで。