チャプター4
生きている中に夢と希望の躍動がある
父親に高校生活の憧れや、夢や希望を破壊されてからのもの、僕の公立高校生活は惨憺たるものでした。
いきなり、入学式では、すでにやる気はなく、校内ではよく落ち込んでいて、内心は傷心しているのに、皆の前では隠してる涙を知っている自分でした。
中学の同級生だった奴も同じ高校に合格し、ちょうどいい絡み相手が少人数いました。
その中の一人もプロミュージシャンを目指していて、エレキベースをパートにして、そいつは練習に励んでいました。
恵まれたことに、そいつの両親は、そいつがエレキベースをやってプロを目指すことの生活を認めていました。どういったらいいのか、好きなことに熱を入れるなら、がんばりなさい。的な親からの視座でした。
ずっとずっと僕はそいつが羨ましく思えていました。その家庭の在り方を僕の実家で親に話すと、「そんなもん、そこの家や。うちはうちや。」「それやったらその家の子になったらええやん」と、天と地の育成方針の違い。こんなんで、と、高校生ながらに、人生・・・・というふうに考えるようにもなっていました。
高校の僕のつるんでた、そいつを含んだ仲間は、半分不良で、半分真面目、みたいな感じで、ちょっと粋な世界を生きる、やんちゃな少年たちのようなものでした。校則を破り、髪の毛を茶色に染め、タバコを覚え、バイクを盗み、夜更かししたりと、でも喧嘩は弱い奴ら。
そんな体裁で過程で摂関を受けたのは僕だけでした。髪の色が茶色に変わった日の夜、父親が、「おまえはなにさらしとんじゃあ!」と怒鳴り声をあげ、僕の顔をなん十発も殴り倒し、髪の毛をむしりつかみ、引きちぎって、ボコボコに蹴りまわされ、ごみ箱に入っていたゴミを、僕の口の中にねじりこんできたりされました。気を失いかけてきたあたりで父親は暴力をやめ、「出ていけ!」と大きな蹴りを僕のお腹にドカッとして、父親の屋根裏に行きました。
あいつは今頃エレキベースの練習を楽しんでいる頃だろうな・・・・・と悲しみの底にいながら夜の街を放蕩しました。
夜の公園で一人悲しくて悲しくて、そりゃあ大人の今の僕にしてみれば、まぁ、校則違反ではある。怒られてもおかしくはない。
だけど、摂関が今の時代で言えば、ドメスティックヴァイオレンスに当たるレベルのもので、尚且つ、心、精神まで打ちのめされる摂関は過剰すぎるものだったと振り返られます。ある時、別の主婦と話をしたら、子どもさんが高校入学を備えてるらしく、話の流れで、「もしタバコなんか吸ったりしたらどう怒るの?」と聞いたら、「別にタバコぐらい学校にバレんかったらそんな怒るもんでもないで、うちは。」という驚きの返答。髪の毛の茶髪にしても、同じ答えでした。
そして、一晩が過ぎ、家に帰ることになんとかなれて、陰湿な空気の自分の世界で、ひたすらエレキギターだけは懸命に練習していました。弾けなかった難しいフレーズが特訓で弾けるようになり、これが達成感の一つだったのかも知れないですね。気持ちよく、まだまだ未熟でしたけど、エレキギターと、憧れのアーティストのビデオを観たり、そんな自分だけの夢の世界に入っている時だけが、小さな当時の幸せだったのかも知れないですね。
そして、摂関の二回目、上記に記したように、ちょっと粋な、半分不良だった僕だったので、当時の高校友人とのノリもあり、タバコに手を出しました。今考えれば、逆にタバコを辞めるのに必死に苦労しているのに、わざわざカッコつけるために、煙たくてむせ返す煙を吸い込んで、最初はゴホゴホと咳をして、なんだこりゃあ!と思っているのに、タバコを吸う練習をして、とうとう、なじんでしまい、タバコを吸う15歳になってしまいました。当時はそれが楽しかったんですけどね、ツレ達とタバコ吸いながらギター弾きあって、下ネタで盛り上がったり、ワイワイやってました。
そしてある日、家の通り道の一角にある僕の机の僕のスペースで、僕はタバコを吸っていました。そして、それを父親が通りがかり、みつけました。いきなり、「なにをしとんじゃあーーー!!!!」と駆けつけて僕をボコボコのメタメタになぐりたおし、そばに置いてあったウォークマンを手にもって、思いっきり僕の頭に殴りつけ、頭から僕は血を流し、「出ていけボケーー!!」とむなぐらを掴まれて、外に連れ出され、更に外で20発ぐらい蹴り倒され、僕は、「またや・・・」と消沈し、トボトボ裸足で外を歩きだしました。そしたらその僕の後ろ姿が気に入らなかったのか、摂関は済んだかと思っていた父親は10mぐらい離れたところから、猛烈にうしろから走りこんできて、思いっきり僕の背中に飛び蹴り。「殺したろか!!!」と言われてまた夜の街を僕は放蕩することになりました。
この頃にはもう僕は父親はああだ、と。人間性をかいつまむ様に見るようになっていました。
その夜、例のエレキベースを弾くツレの家に助けを求め、一晩泊めてもらえました。エレキベースのツレは、タバコを吸いながら、ベースを持って、お前のとこ、えらいひどいなぁ。みたいに言って、僕はとりあえず安全地帯に逃げ込めた感じで、心が少し緩やかになっていました。そしてその翌日、母親がエレキベースのツレの家まで来て、僕に家に帰ってくるように、僕を家に連れて帰りました。ため息
も出ながら。
いま、振り返ればどういうことだったんでしょうね。端的に言えば、校則違反は良くない。だけど、学校にはバレずにやっている。エレキギターに情熱を入れて一握りの小さな夢の世界を楽しめていた。だけど、父親の摂関は今でいうDV。警察に捕まってもおかしくはない行為。
そもそも、僕は、違う家の子だったんでしょうね。何かの間違いであの家の子として生きてきた。
父親に関しては現時点で感謝はあるか。といえば、バカ正直に言えば、あの父親のもとに生まれてこなければよかったんだなと、後に記載するいくつものエピソードも踏まえ、思いますね。この文章だけではあなたに伝わりきらない、陰惨で、残酷で、神経質な精神異常な暴力親父でしたね。母親は僕が20歳を過ぎるころまでもずっと父親の奴隷みたいな扱いをされている主婦でした。
エピソードはまだまだあるので、完結的な視座発言はまだ述べませんが、上記のような過激な青春期の一部でした。