塾はキライです。
塾と言うだけで実は寒気がします。
予備校は好きです。大学はもっと好きです。
清末塾は2006年に別府市朝日ヶ丘で開塾しました。1年後に中島町に移転。一応、業者に依頼し看板は設置しました。しかし、その看板は僕が依頼した色と違いあまり気に入ったものではありませんでした。移転後は看板なしでやっていたのですが、夜な夜な女子高生が出入りし夕方にはランドセルを背負った小学生が通い土日には妙なオッサンが短パンとTシャツでちょろちょろしていれば、オウム真理教のようなイカガワシイ宗教団体と思われてもシャクなので、看板を自作しました。
塾は嫌いですが『塾』と言う文字を入れた方が、この場所で主に夕方から深夜にかけて何をしているのか地域住民にも理解して頂けると考えキライな塾の文字を入れました。
さて筑駒は農業実習があります。今回のコロナ渦のお陰で学校が休みになり時間が出来たので別府から電車またはクルマで1時間弱の場所にある荒れ放題の農地を再生するために少し時間を割きました。筑駒のように田植えが出来れば良いのですが。
麻布の現校長は東大を2回卒業した麻布OBのお方です。校舎の屋上でコスモスを育てています。
当塾の小僧さんの第一志望校でもありました。ただ小学校の方針で受験すら出来ませんでした。
栄光はキリスト系の学校で我々の年代では栄光に落ちて聖光に行く人が多かったと思いますがつい最近までそれが逆転していました。今はどうかと言われれば微妙ですが栄光も復活したと考えています。OBの有名な建築家が設計した校舎で勉強出来る環境は素晴らしいと思います
2006年に神奈川から別府に転居する時、一番の問題点は進むべき学校がないと言うことでした。じゃあ、自分で創れば良いじゃないかと言うのが当初の考えです。
噂では灘の教頭は僕の先輩らしいです。灘中灘高の生徒たちに東大だけじゃなく他にも良い大学があるので、そのことも考慮するように諭しているようです。まさか灘高の秀才に北大に行けよとは言わないでしょうが、京大や阪大の医学部はお勧めしているかも知れない、理Ⅲが全てじゃないと。しかし、あのような進学校は多分、本人の自主性に任せていると思います。
と言うことで清末塾では首都圏や関西圏にある中高一貫の進学校の代わりをこの田舎町でしようと考えています。ただし男女共学無学年制です。トリマ、田植えが出来ると良いな(笑)。