雑記です。推敲してません
あらゆる言葉、発言にはその人なりの文脈がある…
そういうことを、受け止める人が少なくなっているのでは?
と最近誤解してしまうようなことばかりですね。
SNSに書かれた言葉、それをとって揚げ足を取る、批判する、
人は誰しも自分という物差しを超えては考えられない。
sから、どう受け取るかもその人次第というわけで、コントロールできない。
その人が言いたいこと、を伝えようとしても、そしたらその人の人生を生まれてから今まで事細かに描写して
何を感じたか何を思ったか描写していかないといけない。
でもそんなこと現実的に不可能だ。
だから国語の授業があって、道徳の授業があるし、
その授業がいかに重要なものか分かるわけですよ
なんというか、今の社会はほんと効率厨というか、実力主義というか
「利益にならないものは悪」みたいな風潮のような気がしているけれど
物語を読む、映画を見る、観劇をする・・・
それら「利益」を生まない文化的なコンテンツは
その人の物差しを広げる社会性を育てる意味で非常い重要なものなんだろうなぁと思いました。
自分は変えられないけれど、
相手の立場になって考えられる道具を増やす…というか。社会性ってそうやって育つのかもな。
子供から聞かれた時に今みたいな考えがすっと出てこない気がしたので
とりあえずメモ書きみたいな感じでまとめて見る。