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僕の見た野球選手はテレビの中

一人で設立した「野球観戦協会」会長の独り言
主にプロ野球を中心とした野球好きの野球好きによる野球好きのためのブログ

今日、飯山裕志が引退を表明した。

 

97年ドラフト4位。20年間の現役生活。

 

別に長く見てきたから偉い、凄いという話をしたいのではなく

ただプロ野球選手としての飯山裕志が生まれてから

ずっと見てきたので感情が動かないわけがない。

 

今日は思ったことを書く。

 

97年は私がこの先もずっと日ハムを見ていこうと決めた年だ。

いわば飯山は同期ともいえる。

 

いや、やっぱり私の方が先輩だ。

 

飯山がプロ野球選手としてグラウンドで見てきた景色を

私はずっとテレビやスタンドで一緒に見てきた。

 

一方通行な想いだが同じ時間を過ごした。

少なくとも日ハムの事だけは。

 

若いころはずっと鎌ヶ谷で鍛えられていた。

私は札幌に住んでいたのでその姿を見たことはないが

二軍で積極的に試合で起用されていた事は

選手名鑑などを見てわかっていた。

 

実際、毎年二軍では.280で10本近くホームランを打っていた印象。

 

「こりゃ近いうち、一軍の戦力になるぞ」

 

そんなこと想像しながら

いまいち場所がどこかわからない鹿児島れいめい高校出身の

若い内野手の将来に期待していた。

 

前にこんな話を聞いたことがある。

 

ドラフトで飯山を指名し、スカウトが飯山の実家に挨拶に伺った際

飯山のお父さんがスカウトに向かって

 

「うちの子が、プロで成功するかはわからない。

ただ、やれと言ったことには何があっても最後までやりぬく子です。」

(文面違いはすいません。意味的にこんな感じ)

 

と話したそうです。

 

いかにも九州男児といった感じ。

そしてこの言葉にこの先の”職人”飯山裕志が感じられるのが

素敵な話だと思います。

 

 

21世紀になり←!

2001年は札幌ドームが開業した年。

 

この年は心なしかプロ野球の開催が例年より多かったように感じた。

 

日ハムはありがたいことに毎年7月末か8月頭の土日に

札幌円山球場で主催試合を開催してくれていたのだが

この年も例にもれず7月の末に札幌ドームで試合をしてくれた。

 

この頃は大島監督。

ビックバン打線もまだそこそこ機能していたが

この年は開幕早々、片岡が戦線離脱したり

「まいど!!」でおなじみのエースがまったく空回りだったり

いいニュースがあまりない年だったことを記憶している。

 

札幌ドームで見たこの試合も片岡のいないサードに

打力に将来性の感じる2年目の田中賢介が起用され

イチローがメジャーに移籍していまいちパッとしない

オリックスブルーウェーブとの対戦だった。

 

試合が始まって早々

「打力」に期待の田中賢介が広い札幌ドームを存分に使った

壮大なスケールのでかい悪送球をしたことは覚えている。

 

なかなか喜怒哀楽の激しかった大島監督。

怒ったんでしょうね。賢介すぐ交代。

 

そこで代わりに出てきたのがたしか飯山。

(記憶引っ張り出したけど状況間違ってたらごめんなさい。)

 

これが一軍初出場。

 

当時、私はガラガラのライトスタンドで応援してたのですが

飯山がコールされた瞬間

近くにいた赤いTシャツを着た女性が狂ったように(失礼)

叫びだしたのを覚えています。

 

「裕志ーーーーーーー!!!!!!」

 

それなりに若い女性でしたが

黄色い声援なんてものではなく、魂を吐き出したような

気持ちと気合の入った力強い声でした。

 

当時はスマホもネットも今ほど普及してません。

ファンの人は出場選手登録のチェックはどうやってたのでしょう?

 

でもその女性はちゃんと若手の飯山が一軍に帯同して

北海道遠征に参加していることを知ってたんですよね。

 

もう一度言いますけど

スマホもネットも今ほど普及してません。

まして、当時日本ハムファイターズは北海道のチームではない。

 

失礼な言い方になってしまいますが

全く無名の飯山(私はギリ知ってた)を全力で応援している姿は

ガラガラのライトスタンドでは少し浮いていたように思えます。

 

でも今思うと少し浮いてでも応援してくれたから

16年経った今でも私はその試合、その景色を覚えています。

 

それから月日が経ちました。

 

飯山も内野のレギュラー候補から

オールラウンダーのユーティリティープレイヤーとなり

守備職人となり、若手への生きる教材になっていったと思います。

 

高校生だった私も大人になりました。

 

ありがたいことに今でも夢を追いかけていますが

少しだけ現実も捉えて世の役に立てることができればなんて

考える時もあります。(あまりないけど)

 

東京時代末期。

チームは弱く、人気もなかった。

それでも応援し続けてた。

 

北海道移転後

チームは強くなり、人気球団になった。

ファンとして勝つことの喜びを味わうことができたし

何より自分の好きな球団が自分の住む街に来たことは幸せだった。

 

その全ての日本ハムに飯山裕志はいたことになる。

 

その存在は尊いものだ。

 

今日の引退会見での

38歳になった飯山裕志の頭髪には白いものが見え始め

鎌ヶ谷の灼熱の太陽の下でこんがり焼けた肌が

目尻や額に出てきたしわを際立たせてしまっている。

 

21年の月日が一人の野球選手の寿命を告げるのに

十分な時間なんてことは誰にだって理解できる。

 

悲しいことじゃない。

 

この21年間ずっと一緒の光景を見ることができたから

一度もレギュラーを獲ることのできなかった野球選手を

この先もずっと愛し続けられる。

 

 

飯山裕志

 

あなたは男らしかった。

そして愛すべきパ・リーグらしい選手だった。

 

 

最初にも言ったが

別に長く見てきたから偉い、凄いという話をしたいわけではない。

 

でも

ずっと見てきた人間だから心から思うんです。

 

 

飯山裕志選手。

 

次はあなたが鍛え育てた選手が見たい。

 

それがこれからの夢の一つです。

 

 

ありがとう。おつかれさまでした。