ダビンチコード。 | 数多くの難病や命の危険に晒されている狭心症と闘っています。『義を見てせざるは勇無きなり』

数多くの難病や命の危険に晒されている狭心症と闘っています。『義を見てせざるは勇無きなり』

今まで幾度もの病と数えきれない程の手術で身体は手術痕だらけ。例え病気のせいであろうと五体満足に産んでくれた母に申し訳ない気持ちで一杯です。『You'll Never Walk Alone.』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

カズン「冬のファンタジー」

 

 

 

 

 

 

 

僕はクリスチャンでもカトリック信者でもありません。

 

 

でも正直、興味はあります。

 

 

一度、読むのに何年掛かるか判りませんが「新約聖書」を読

 

 

んでみたい。

 

 

今日、映画「ダビンチコード」を観た事と、耳が聞こえない

 

 

障碍があるけど、僕が此所に来るずっと前で家内のお爺様が

 

 

亡くなられる数年前に入信し今は、耳が聞こえない方の為に

 

 

手話で日曜日に礼拝をする牧師をしている義叔父が大腸癌の

 

 

ロボットによる手術を受けました。

 

 

執刀医は金沢大学医学部教授。

 

 

金沢大学医学部と言えば北陸では一番の大学でしょう。

 

 

僕が実家に居た頃にお世話になっていた精神科特定医療法人

 

 

の主治医であり理事長でもある先生と、その弟さんで院長を

 

 

しておられる先生も金沢大学医学部卒でした。

 

 

名医でした。

 

 

先生は糖尿病を始めとして様々な病を持っておられ、再婚し

 

 

キャンピングカーを買った時に、家内とメグと3人で実家に

 

 

帰省した時に家内の紹介を兼ねてお礼に伺ったのですが相当

 

 

体調が優れない様子だったので、今も生きていらっしゃるか

 

 

心配です。

 

 

先生の事は「兄貴」と言って実の兄の様に思っていました。

 

 

時には考えが遭わずぶつかる事もありましたが、信頼関係は

 

 

100点だったと思います。

 

 

今の医大の主治医にも、そういう話しをして信頼関係を築く

 

 

事の大切さが精神科では特に重要と言うか一番重要な事だと

 

 

生意気にも僕よりはずっと若い先生に話しています。

 

 

「兄貴」とは色々とありました。

 

 

いきていらっしゃったら、次に帰省する事があったら会いに

 

 

行きたいです。

 

 

場所は此所の県立病院で長女が勤めている病院です。

 

 

幸い、義妹が毎年、全国で2~3人しか受からない手話の資

 

 

格を持っており、今の令和天皇陛下が皇太子殿下の時代に、

 

 

此所の県で行われたパラ国体の閉会式で同時手話通訳をする

 

 

程で、義妹も若い時に乳癌・大腸癌・肺癌の手術を受け人工

 

 

肛門なので人の痛みが判る立派な義妹で、家族・親類の中で

 

 

唯一、手話で叔父とコミュニケーションを取れる人です。

 

 

だから、牧師をしている叔父の今回の大腸癌手術では叔父と

 

 

主治医の先生との意思疎通は義妹の手話無では成し得ません

 

 

でした。

 

 

仏教も、キリスト教もイスラム教も宗派は一つじゃ無いし、

 

 

教えも同じ部分もあれば違う部分もある。

 

 

昔は仏教の僧侶が妻を娶る事は宗派によるだろうけど、基本

 

 

的に許されていなかったし、カトリックも許されていなかっ

 

 

た筈だ。

 

 

ただし、プロテスタントの牧師は妻帯を許されていた筈です。

 

 

寺も一族での存続の為に妻帯し子を設け、跡継ぎにする様に

 

 

なったのでしょう。

 

 

それ程に、寺の住職と言う職業は儲かる仕事だったのでしょ

 

 

う。

 

 

但し、全ての寺の住職が、妻帯している訳では無く、昔から

 

 

の教義を守り一人身の僧侶もいますし、クリスチャンといっ

 

 

ても、一般人は元より、クリスチャンの教義を教える人は一

 

 

般的に「牧師(ぼくし)」や「教会の指導者」と呼ばれたり

 

 

また、教義を教える人を指す場合、神学者(しんがくしゃ)

 

 

や聖書学者(せいしょがくしゃ)といった言葉も使われるこ

 

 

とがありますが、今では確か、入信した時点で妻帯してても

 

 

許されるが、再婚は許されていないと聞いた事があります。

 

 

叔父は浄土真宗本願寺派を棄教しプロテスタントの牧師にな

 

 

った時に、例え耳が聞こえなくても長男であった為、御先祖

 

 

の位牌を仏壇に祀っていたのに、プロテスタントの牧師にな

 

 

った時に全て焼き払ったと聞きました。

 

 

それを聞いて、キリスト教とは何と見識の狭い宗教なのだと

 

 

思いましたし、興味はありますが、やはり日本の「八百万の

 

 

神々」の方が正しい神の様に思います。

 

 

まぁ、そうは言っても、この世に神なんて存在しているとは

 

 

思いませんが、「信じれば救われる」という言葉がある様に

 

 

カルト教徒や新興宗教の様に、金集めが目的で日本の税制を

 

 

悪用している悪どい宗教団体も多く存在します。

 

 

人殺しを良しとする所も、日本の「神道」「八百万の神々」

 

 

以外は、そうです。

 

 

自分の宗教以外は邪教で敵であるなんて神様なら教える筈が

 

 

ありません。

 

 

全ての人・隣人・友人知人・家族や動物・植物・自然を愛せ

 

 

と教える筈であり、それ以外は邪教です。

 

 

例え、どんな理由があろうが、教えだろうが人が人を殺して

 

 

良い筈がありません。

 

 

そして、日々の食事で僕等が頂く様々な命に感謝すべきと教

 

 

えるのが正しい人の道だと思います。

 

 

いつか、旧約聖書と新約聖書の二つはページが多すぎて、今

 

 

の僕の年齢では生きている間に読む事は不可能なので、せめ

 

 

て新約聖書だけでも読んでみたいと思います。

 

 

読んだからといって入信する事は絶対に無いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カトリック教会とプロテスタントの間にはいくつかの重要な

 

 

教義や信条の違いがあります。

 

 

 

 

  1. 教会の権威と伝統の重視:

    • カトリック教会は教皇や教会の伝統を重視し、聖書だけでなく、教皇や教会の教義や伝統も信仰の基盤とします。
    • プロテスタントは聖書のみを信仰の基盤とし、教皇や教会の伝統に対しては異論を唱え、聖書のみを信じる立場をとります。
  2. 救いの方法:

    • カトリック教会は信仰と善行の両方が救いに必要だと説きます。聖典や教会の教え、聖事(サクラメント)を通じて信者の救いを促進すると考えられています。
    • プロテスタントは「信仰のみによる恵みによって救われる」という信念を持っています。善行や聖事の重要性を否定し、唯一信仰による救済を強調します。
  3. 聖事の数と解釈:

    • カトリック教会は7つの主要な聖事(洗礼、堅信、聖体の秘跡、告解、聖別、結婚、病者の塗油)を認めています。これらの聖事は信者の霊的成長や救済に重要だと考えられています。
    • プロテスタントの多くは聖事の数を7つとは定めず、バプテスマと聖餐(主の晩餐)を一般的に認めますが、これらの解釈や実践は教派や教義によって異なります。
  4. 聖餐の理解:

    • カトリック教会では、聖体は実在主義的に理解され、パンとワインが実際にキリストの体と血に変わるとされます(トランススタンティエーション)。
    • プロテスタントの多くは聖餐を記念の行為と捉え、実在主義的ではなく、キリストの記憶をたたえるものと考えます。
 
 
 
 
 

これらの違いは、宗教改革時代に起こった宗教的な分裂や個

 

 

々の教義に対する異なる解釈によるものです。

 

 

ただし、両者の間には多様性があり、異なるプロテスタント

 

 

の教派同士でも、教義や実践においてさまざまな違いが見ら

 

 

れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my family.