昔から運が悪いんだよなぁ。 | 数多くの難病や命の危険に晒されている狭心症と闘っています。『義を見てせざるは勇無きなり』

数多くの難病や命の危険に晒されている狭心症と闘っています。『義を見てせざるは勇無きなり』

今まで幾度もの病と数えきれない程の手術で身体は手術痕だらけ。例え病気のせいであろうと五体満足に産んでくれた母に申し訳ない気持ちで一杯です。『You'll Never Walk Alone.』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※BGMでも聴きながらお読みください。

 

 

We re all alone  Boz Scaggs

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は小学3年生から高校3年の最後の高校総体が終わるまで

 

 

バスケを続けてた。

 

 

合計9年間だよね。

 

 

今はルールも変わり、なんかつまんなくなったから試合を見

 

 

る事も興味も無いけど、現役選手の頃は、中学1年生の時の

 

 

大腿骨の疲労骨折に始まり、中学の時は、新人戦では優勝で

 

 

連戦連勝だったのだけど、唯一ライバル校がいた。

 

 

中学最後の試合の時まで接戦になる事は度々だったけど負け

 

 

た事は1度も無かった。

 

 

だから僕の中学は誰しもが間違いなく優勝すると思われてい

 

 

たし僕等も、負けないだけの、どこの中学にも負けない位、

 

 

厳しい練習をしてたから、絶対に負けないと思ってた。

 

 

しかし、最後の試合は、その唯一のライバル校での試合で完全

 

 

アウエーだった。

 

 

僕は別にアウエーだからと何とも思ってなかったけど、観衆

 

 

は全てライバル校の人だけの中、他の連中が威圧感を感じて

 

 

たのか緊張してたのか、僕が現役選手だった頃は小学~高校

 

 

を通じて2クゥオーター制で前半と後半しかなかった。

 

 

ライバル校との試合は、よりにもよって第一試合だった。

 

 

他校の人も僕等もライバル校も決勝戦で激突するのだと思っ

 

 

てたけど、くじ運の悪いキャプテンが第一試合のクジを引い

 

 

てしまった。

 

 

試合の前半は僕の中学が勝ってたけど接戦だった。

 

 

後半は疲れたのか緊張してたのか、キャプテンが乱れミスを

 

 

連発し始め、監督が交代した時には既に後半終了5分位前で

 

 

試合は2~4点差で最後に1点差で負けてしまった。

 

 

信じられなかった。

 

 

新人戦で勝って優勝した時は嬉し涙が出たけど、悔し涙を流

 

 

したのは小学~高校3年までの間、試合関係で泣いたのは、

 

 

あの時、唯一だ。

 

 

高校に入っても、もう絶対にバスケなんかしないと悔しくて

 

 

思った。

 

 

だけど僕が入った高校は新設校で先輩と言えば1歳上しか居

 

 

なくて、全然怖いもの知らずでいられた。

 

 

流石に2歳も上だと喧嘩する時に構えるけど、1歳程度じゃ

 

 

誤差の範囲だから全然怖くなかった。

 

 

僕が面倒臭いと思ってたのは他校の先輩達の待ち伏せだった。

 

 

けど僕の中学は、あの辺では手の付けられない程の悪が集ま

 

 

るというか漁業の町だったから気が荒く気が短い。

 

 

しかも実戦経験豊富。

 

 

待ち伏せしてる他校の先輩には必ず知り合いがいて面倒な事

 

 

になった事は一度も無い。

 

 

各地の高校に先輩がいるから、僕の街以外の奴に待ち伏せさ

 

 

れても逆にやるか、同じ街の先輩が止めて終わりという感じ

 

 

だったから楽だった。

 

 

そして、新設校だからバスケチームも2年生しかいない訳で

 

 

中学の頃の強豪校の出身者に勧誘が来ない筈が無い。

 

 

もう二度とバスケはしないと決めてたから、勧誘がウザかっ

 

 

たし、そもそも中学の先輩ならまだしも来るのは弱小中学出

 

 

身で唯一ライバル校出身の先輩が居たな。

 

 

悩みに悩んだよ。

 

 

その頃、小学生から成長期の頃に無理してたから腰椎椎間板

 

 

ヘルニアで故障してて通院してた。

 

 

でも、僕が行ってた病院の先生は鍼灸治療と注射で和洋折衷

 

 

治療だったからなのか2週間も通院すれば治ってた。

 

 

2生の先輩はしつこく何度も勧誘に来た。

 

 

余りしつこくて、ぶん殴ってやろうと思った時もあったけど

 

 

結局、自分はバスケから離れる事が出来ない事が自分で判っ

 

 

きたんだ。

 

 

僕からバスケを取ったら何も残らない悪だけのカスだと。

 

 

それでバスケ部に入部した。

 

 

入部したけど先輩は2年生しかおらず、しかも強豪校だった

 

 

僕の中学の先輩は、あの地域一番の進学校に行ってて、3年

 

 

生の先輩も居たから僕の高校が勝てる筈が無い。

 

 

新設校で新しいレストハウスがあったから、僕が中学の時に

 

 

受けた特訓を合宿で先輩を含め、僕の中学出身で後輩の僕や

 

 

元チームメイトが先輩を鍛えるという感じだったけど、試合

 

 

では、それまでは全敗だったのに何度かに1度は1年生から

 

 

3年生まで揃っている高校に勝てた。

 

 

練習は裏切らない。

 

 

スポーツの世界では特にそうだ。

 

 

それは時間だけでは無く練習方法や指導者の役割は大きい。

 

 

幾ら才能ある選手が居ても、指導者が、へなちょこだったら

 

 

折角の名選手を潰してしまう。

 

 

世界で活躍している日本人アスリートの学生の頃の指導者は

 

 

きっと優れている監督やコーチだったと思う。

 

 

そういう面では僕の高校の先生はへなちょこだった。

 

 

だから、僕等がサポートした。

 

 

でも嫌いな監督じゃ無かったな。

 

 

バスケ素人の監督だから猶更、良い感じで使えたし。

 

 

しかし、僕は椎間板ヘルニアと右膝の故障が治るのに結構時

 

 

間が掛かったし、大腿骨骨幹部のせいで左右の足の長さが若

 

 

干違い、それが椎間板ヘルニアに影響してた。

 

 

練習に出れない日々が続いた。

 

 

その間、何をしてたかと言えば人生最大・最初で最後の恋を

 

 

していました。

 

 

彼女の為なら、そのままバスケを止めても良いと思う程。

 

 

でも、彼女は最後の高校総体が終わるまでは頑張って欲しい

 

 

だった。

 

 

毎日、僕の練習が終わるまで教室で読書したり勉強して待っ

 

 

ててくれてた。

 

 

だから故障に泣きながらも頑張った。

 

 

最後の試合は痛み止めの注射を打っての試合で、第一試合は

 

 

勝利したけど、第二試合で負けた。

 

 

負けたけど、最後に放ったセンターコート近くからのシュー

 

 

トが気持ち良い程の弧を描いて入った時は最高に気持ち良か

 

 

ったなぁ。

 

 

僕には、あの1本のシュートが決まってくれただけで、それ

 

 

で良かった。

 

 

そして負けた後、夕方宿舎に行き一人で散歩してたんだけど

 

 

不思議に悔しいという気持ちは全く湧いてこなかった。

 

 

「最後まで遣り遂げた」という満足感で一杯だったし、これ

 

 

からは遊びに集中出来るとワクワクだった。

 

 

最後の試合の後の夏休みにヤマハ主催の音楽フェスがあった

 

 

んだけど先輩達に連れてって貰った。

 

 

試合に影響するからと絶対に引退するまでは煙草は吸わない

 

 

と決めてたのは守れた。

 

 

その音楽フェスに先輩の車で向かう途中で、初めて煙草を吸

 

 

った。

 

 

まぁ実際は小学3年生頃に肺にまでは入れて無かったけど煙

 

 

草を吸い近所のオジさんから怒られ、駐在さんに怒られた事

 

 

はあるから正確にいうと初めてでは無いけど、いたずらじゃ

 

 

なく、しかもキチンと肺に入れてタバコを吸ったのは初めて

 

 

だった。

 

 

それからは族の活動も本格的になったし、悪、一直線だった

 

 

な。着替えと風呂以外、殆ど家に帰らなかったしな。

 

 

でも、親に怒られた記憶は全く無い。

 

 

だから、僕が、あそこに就職出来たのは神掛かった奇跡とし

 

 

か言いようが無い。

 

 

族に入り大活躍してた僕が「族を壊滅させます」等とふざけ

 

 

た事を言ったのがうけたのか?

 

 

マジに信じたのか?

 

 

そういう馬鹿者の方が根性があると思ったのか、まぁ体育会

 

 

系で9年間もバスケを続けてた事も評価されたのか?

 

 

まぁいずれにしても奇跡だったよね。

 

 

先生達も滅茶滅茶、驚いていたからね。

 

 

でもまぁ僕の同級生で県のに入り同業者になったのも3人い

 

 

たし。

 

 

僕と含め、もう一人も途中退官してる。

 

 

彼も病気が理由だと言ってた。

 

 

親父さんは本部の幹部だと聞いてたから驚いた。

 

 

だけど、彼が辞めたお陰で彼の友人を彼の親父さんがコネク

 

 

ションを発揮させて入れたらしい。

 

 

所詮、県のは8割位はコネクションが無いと入れない。

 

 

残り2割が実力でだ。

 

 

だから、安倍総理が撃たれた奈良県警の様な失態が起きる。

 

 

他の県や府のレベルの低さはニュースを観てると憤りを通り

 

 

越して悲しみさえ覚える。

 

 

僕の同期の同室の仲間は殆どが、あそこに就職するまで族だ

 

 

ったのは笑えたなぁ。

 

 

僕も、もっと道徳的な家庭に生まれていて病気にならなけれ

 

 

ばとか病気になったとしても、どこかの支社の社長か副社長

 

 

として定年退職出来たんじゃないかと思う事が度々ある。

 

 

努力は裏切らないなんていうけど、そんなのは大嘘だ。

 

 

幾ら努力しても努力に裏切られ無駄な事の方が多い。

 

 

だけど前に進む為には無駄だと判っていても努力するしかな

 

 

いんだと僕は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

May be the best year of my family.