「すしざんまいの社長で~す!」と紹介されたのは、元日本&東洋・太平洋ライト級王者の大友 巌 (大川)氏。「アッ、なんか似てる雰囲気!」(笑)。「高校の頃は悪いことは全部やりつくしましたよ」という大友氏は1984年7月にプロデビュー。全日本新人王獲得後、13戦目でシャイアン山本(国際)選手の持っていた日本ライト級タイトルに挑戦。
「まだ13戦目ですよ。だけど、会長が絶対勝てるって言ってくれて。それで勝てたようなもんですよ」
1987年1月、当時、8連勝(7KO)で現役最多5度防衛の安定王者だった山本選手に挑んだ大友氏は、リングサイドクラブから敢闘賞も出た激戦を制し、9回KO勝ちで新王者に。日本と東洋で3階級を制覇した大川 寛 (極東)会長が、ジム創設25年目にして初めて誕生させた王者だった。
「会長に連れられてよく協栄ジムにもスパーリング行きましたよ」
「大川さん、ハワイ大好きで、良い会長さんだったよねェ」
「そうですよ。会長は凄いですよ。3階級制覇して、111戦もやってるんですから」
「だけど、世界やりたかったなァ!」
「誰だった、その時のチャンピオン」
「ロサリオとチャベス」
「こりゃ強いわ」
「ノンタイトルだけどチャベスから試合の話来たんですよ。だけど、会長が断っちゃった。壊されるからって」(笑)
大友氏のラストファイトは、1992年5月。OPBFライト級王座6度目の防衛戦で、後の世界王者オルズベック・ナザロフ(協栄)=11戦全勝(10KO)=の挑戦を受けた。
「あの時、会長に言われて毎日腹筋500回やったんですよ。だけど、1ラウンド目に貰ったボディは効いたなァ」
「ナザロフのあのボディ喰らって12回戦っちゃうんだから、大友ちゃんは凄いよ!」
「いろんな選手が協栄にスーパーリング来てたけど、ナザロフは皆ボッコボッコにしてたからねェ」
現役時代の話を面白おかしく話してくれた大友氏は、「会長にボクシング教えてもらって良かったですよ。だからチャンピオンになれた」と、故・大川会長への感謝の気持ちを今も持ち続ける。
「何だかわかるような気がしますよ。大友君がチャンピオンになったの」
好漢、大友ちゃん。楽しいひと時でした。










