力道山と戦った世界ヘビー級王者 プリモ・カルネラ | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

205センチの長身、120キロのウェイトで、”動くアルプス”の異名を取った元世界ヘビー級王者プリモ・カルネラ(伊)。1933年6月、ジャック・シャーキー(米)から奪った世界王座は3度目の防衛戦で、マックス・ベア(米)に11回TKOで敗れ王座陥落。1935年6月、後に世界王座25連続防衛の記録を樹立するジョー・ルイス(米)に敗れると、キャリアは下降線をたどり1937年に引退。1945年に地元でカムバックを果たすものの、1年も持たずに再引退に追い込まれた。

 

 

そんなカルネラは1941年にプロレスラーに転向。これはボクシングを始める前にアマチュアレスリングで活躍した事があるカルネラの、元世界ヘビー級王者という肩書が買われた為である。

 

1952年5月、後楽園球場特設リングで白井義男(カーン)選手が、ダド・マリノ(米)を破り世界フライ級王座を獲得。日本のプロスポーツ界が世界の仲間入りを果たすのと前後して、力道山はハワイ・ホノルルへ出発。約1年間に渡り同地で戦いながら鍛え上げれて行った。

 

 

日本プロレス界は1954年2月、世界タッグ選手権保持者のシャープ兄弟を迎え本格的に国際試合をスタート。力道山は一気に大スターとなり国民のアイドルとなった。一方のカルネラは、その巨体を活かしプロレスラーとして成功。ルー・テーズの持っていたNWA王座にも挑戦している。

 

 

そして、1955年には来日を果たし力道山と対戦。その後はボボ・ブラジルとタッグを組みタイトルを獲得。バディ・ロジャーズ、フレッド・ブラッシーらともタイトルを賭けた戦いを繰り広げた。世界ヘビー級王者時代よりも大きな成功を収めたカルネラは、バッド・シュルバーグの小説『殴られる男』のモデルとなり、後に映画化されている。

 

 

力道山は1963年12月に39歳で不慮の死を遂げるが、渋谷にリキスポーツパレスを建設。世界に通用する重量級ボクサーの育成を目標に、ボクシングジム経営にも進出。リキジムを創設し、 藤 猛 選手が世界スーパーライト級王座を獲得している。

 

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