78 ボクシング研究会 「金平正紀・米倉健司」 辻本章次vs亀田昭雄 | BOXING MASTER first 2006-2023

BOXING MASTER first 2006-2023

輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1977年12月。協栄ジム・金平正紀会長を中心に、ヨネクラジム・米倉健司会長、金子ジム・金子繁治会長、熊谷ジム・小坂克己会長ら、ボクシング界の発展を願う有志13人によるボクシング研究会が発足。78年初頭、金平代表は、WBA世界スーパーフェザー級王者サムエル・セラノ(プエルトリコ)陣営からオファーがあった、同級8位上原康恒(協栄)選手の挑戦試合の日本開催の是非を研究会に諮ったが、反対多数で上原選手のセラに挑戦は見送られた。

 

 

時期を同じく研究会の有志から声が上がったのが、日本ウェルター級チャンピオン辻本章次(ヨネクラ)選手と、同級2位亀田昭雄(ミカド)選手の対戦。これに対し辻本選手の米倉会長、亀田選手のビジネスを任されている金平会長は、即座にOKを出し、世界挑戦も経験したベテランの安定王者と、ハワイでデビューした新進気鋭の挑戦者による日本タイトルマッチが決定した。

 

金平会長と米倉会長は同じ1934年生まれ。現役時代の戦歴では日本、東洋の王座を獲得。世界挑戦まで経験した米倉会長に及ばない金平会長だが、ジム会長としては既に海老原博幸、西城正三、具志堅用高の3人の世界王者を育て一歩リードしていた。

 

 

金平会長が海老原選手を世界王者に押し上げた1963年にジムを開設した米倉会長は、同学年の金平氏を目標に選手作りに邁進して行く。その為にファイティング原田選手を厳しく指導し、多くの日本、東洋王者を育てながらも、4回戦選手一人が出場する興行でも必ずセコンドに付く、笹崎ジム・笹崎 僙 会長のスタイルを真似る事を決意。米倉会長はそのスタイルを最後まで変えることはなかった。

 

そして、注目の辻本vs亀田は、日本スーパーフェザー級タイトルマッチ。王者・上原vs挑戦者・吹打 龍 (ヨネクラ)とのダブルタイトル戦として、1978年4月28日に後楽園ホールで、TBS・ガッツファイティングでの開催が決定。 = 続く =

 

【ミニグローブ】  ペアセット  キーリング   WOWOW