ファイティング原田vsジョー・メデル 「世界への試金石!」 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1963年1月、タイで前王者ポーン・キングピッチ(タイ)とのリターンマッチで敗れ、僅か3ヶ月で世界フライ級王座を失ったファイティング原田(笹崎)選手は、迷わずバンタム級に転向。テクニシャンの河合哲朗(河合)選手にダウンを与える快勝で再スタートを切り、3連勝を飾ると米・ロサンゼルス遠征の話が持ち込まれ、世界バンタム級1位ジェサス・ピメンテル(メキシコ)との対戦が7月26日(日本時間27日)に決まった。原田選手は恒例の伊豆下田・蓮台寺でキャンプ・トレーニングを行い、万全の準備をしたが結局試合はキャンセル。変わりに世界バンタム級3位ジョー・メデル(メキシコ)との対戦が用意された。

 

 

”黄金のバンタム”、エデル・ジョフレ(ブラジル)への挑戦を目指す原田選手陣営の笹崎会長は、「メデルに勝てないようでは、ジョフレに挑戦なんて言ってもおこがましい。私としては原田がバンタム級でも、世界に通用する素質を持っていると思っている」と強気の姿勢を見せたが、日本のリングで 関 光徳(新和)選手、矢尾板貞雄(中村)選手らを破っているメデルとの試合は、原田選手の将来を占う大きな試金石と見られた。

 

 

原田選手とメデルの対戦が決まったのは、これが初めてではない。1962年3月29日に世界フライ級1位の矢尾板選手との試合に勝ったメデルは、6月14日に原田選手と戦う予定だったが、拳の負傷で来日不可能となり試合は中止。原田選手は代役のエドモンド・エスパルサ(メキシコ)とグローブを交えたが、判定負けで初黒星。バンタム級転向は失敗に終わったが、思わぬ運命のめぐりあわせで、この年10月、原田選手は世界フライ級王座を獲得している。

 

 

日本のファンには、「ロープ際の魔術師」として強烈な印象を残したメデルだが、1962年9月の世界王者ジョフレへの挑戦試合は6回KO負け。しかし、再起戦では原田選手に初黒星を与えたエスパルサに3回TKO勝ち。まだまだメデル怖しの印象が強かったが原田選手は、「自信がなかったら、やりませんよ」と言い切った。

 

 

1963年9月26日、世界3位メデルvs世界4位原田。試合は原田選手が得意のラッシュ戦法でメデルをロープ際に押し込み、5回まで3差が二人、2差が一人とポイントリード。しかし第6ラウンド、原田選手は前に出ながらメデルのカウンターの前に3度倒されTKO負け。試合後、「バンタム級の怖さを知りました」と語っているが、この敗戦を経験に再出発。強気のチャレンジが偉大な王者を作る礎となった。

 

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