BOXING MASTER 開設7年目 感謝! | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

このブログを開設して、今日で7年目を迎えることが出来ました。思えば、よく続けて来たものだと思います。これも読者の皆様あってこそで、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。


『ボクシングマスター』という名前は、さして意味もなく決めました。アメブロを選んだのも単なる偶然。2005年に開設された、ハワイ・カカアコジム 合宿所の宣伝になればと思って始めたのが最初。


アクセス数がまだ10や20の頃は、「こんなんでやっていく意味あるのかなァ」なんて思ったりしたものですが、徐々に読んでくださる方々が増え、まさに継続は力なりだと実感しております。




坂田健史(協栄)選手のパリ遠征。ホテルのパソコンルームで更新作業しましたが、あそこは高かった。(^_^;)


ハワイキャンプ(自費参加ですよ)('-^*)/、カカアコジム合宿時は、ワイキキの某ホテルのパソコンルームを利用。海外でも携帯電話からブログを書けるとわかった時、これは便利だとアラモアナ公園のベンチで、スモール・パッケージに隠したビールを飲みながら楽勝更新した時は、帰国後請求書を見て青ざめました。


「なんだこれ、もう一回ハワイ行けるじゃん」(>_<)


家で食事する時は、基本PCの前。したがってテレビは見ません。ボクシング番組と、たまにトラさんの映画を見るくらい。よってここ数年、芸能人とか流行りもののことはよくわかりません。(^^ゞ


NY在住の山田純夫さんに、「エッ~、そんなことも知らないの」と、よくあきれられますが、最近はそれにも慣れてもらったご様子です。(;^_^A


BOXING MASTER/ボクシング マスター


他の仕事が休みの時は、大竹マネジャーとビールが多いんですが、ほとんどボクシングの話題。1977年初夏。代々木にあった協栄ジムの帰り道で、「お前ちょっと来い!」と声をかけらて以来35年。長い付き合いです。(^-^)/


私が最初に入ったのは、当時渋谷にあったミカドジム。力道山の建てたリキパレスに練習場がありました。


しかし、私が入門したその年で道場は閉鎖となり、杉谷 実 (後の日本Sライト級王者)選手らと、ファイティング原田氏が会長を務めていた麻布十番のジムに通いました。”ずうとるび”の山田隆夫さんが、プロテストに受かった頃でしょうか。


その後、ミカドジムは協栄ジムで一緒に練習することに。ハワイでデビューした亀田昭雄選手が黄色の派手なジャージを着て練習していて、スターの雰囲気あるなァと思ったものです。プロ2戦目の、日本デビューが目前でした。


少しして、当時3戦3KO勝ちの杉谷選手(17歳)は、故・金平正紀会長の前でスパーリングを命じられます。相手はキックボクシングから転向してきた吉川正末選手(後の全日本新人王)。重要なテストだと認識した杉谷選手は、吉川選手に猛然と襲いかかりダウンを奪う。


「もういいですよ」。その結果、亀田選手と杉谷選手の交換トレードが成立したのでした。




1978年1月。7戦オールKOの勢いに乗って、世界2位クォーリーフジ(三迫・後の世界王者ブルース・カリー)に挑んだ杉谷選手でしたが、3回KOで完敗。この時は、亀田選手がクォーリーと戦う話もあり、今でももし戦っていたらと思ったりします。


杉谷選手はクォーリー戦後ハワイ修行に旅立つ。帰国後も勝つのだが、杉谷選手が新人の頃持っていた野性味は失われてしまった。その分、うまくはなったんですけどね。ここがボクシングの面白いところです。


クォーリー戦を杉谷選手に譲った亀田選手は、この年4月、辻本章次(ヨネクラ)選手に勝ち日本ウェルター級王座を獲得。


天才型の亀田選手が、あれほど勝利を喜んだ姿を見たのはこの試合が最初で最後かも。神様のリング [ 林壮一 ] を読むと、見えてきます。('-^*)/


 
辻本選手に勝ち、中村先生と喜ぶ亀田選手。


昨年、白石豊土(協栄)選手を連れて帝拳ジムにお邪魔した際、長野マネジャーから声をかけられた。


「アラ、国民の会長さんの息子さんでしょ」(^-^)/


「イエ、私は谷津(帝拳・元日本1位)さんとデビュー戦やった・・・」(^_^;)


「アラ~、ごめんなさいね~!」(^O^)/


国民の会長さんとは。昭和20年、太平洋戦争の真っ只中、終戦するとは知らされていない春から、新橋の焼け跡を整理し、”国民拳闘倶楽部”を開設された中村正美会長(故人)のことで、息子さんとは、亀田選手と抱き合って喜んでいる中村隆先生のことである。


「先生この間、帝拳の長野マネジャーから、国民の会長の息子さんでしょって間違えられちゃいましたよ」(`ε´)


「エッ~、ほんとかい。親父のこと覚えてくれてた。そうかァ~」(^O^)/



中村先生。


うれしそうに話す中村先生はミカドジムジム時代、私の先生であった。


「大竹さん、ちょっとショックでしたよ~」ヽ(;´ω`)ノ


「良いじゃんか、長野さんに顔覚えられたんだから」('-^*)/


「もう、笑いすぎですよ!」(^_^;)


今後も、体力の続く限り頑張っていきます。7年目もよろしくお願い申し上げます。

 

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