フライ級リミットにはまだ余裕のある49.9キロのウェイト。合宿所入りしてから2年の日々が過ぎていた。
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毎月のように試合をこなし、連勝を重ねた大場選手は6戦全勝(4KO)の記録を引っさげ、大阪へ乗り込む。昭和42年6月16日大阪阿倍野体育館での4回戦は 谷 正和(塚原)選手が相手。谷選手もデビュー以来4連勝のホープである。
可愛い子には旅をさせろ。「ちょっと早い気はしたけど、いい経験になると思って」。大場選手は一人大阪へ旅立った。
初回。大場選手はいきなりダウン。追撃する谷選手の追い打ちで再び倒れる。今のルールならここで試合は終わる。その後の歴史はどうなっていたかわからぬが、当時は4回戦も3ノックダウンルール。辛くも立ち上がった大場選手は、何とか初回を乗り切った。
2回。再び大場選手ダウン。しかし、「パンチに自信があったので、つい力んで逃げられました」。
3回。ようやく大場選手のエンジンがかかり反撃が始まる。足を使い得意のワン・ツーを打ち込む。4回も大場選手が断然優勢。谷選手は完全にスタミナが切れた。しかし、判定はダウンがものをいい谷選手へ。1ポイント差が二人というスコアが、大場選手の反撃を物語る。
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東京のスター候補生を破った谷選手だが、京都・塚原ジムの塚原三郎会長は、「あの一戦で谷を失ったように思います」と述べている。
「日本チャンピオンぐらいで終わる素材じゃなかった」
「大場はいい選手だったが、力も素質も谷の方が上だ、と思いましたね。後半に追い込まれはしましたが、谷が圧倒した試合でした。ガードもいい。パンチもある。バランスの取れた実にオーソドックスないいボクシングをした」
「ところが、この実力が谷に災いしたんです」
「他の者に比べて圧倒的に力があるから練習をしない。ガードがいいので打たれない。練習しなくても試合に勝ってしまう。試合前1週間ぐらいにフラリとやって来て、チョコチョコと練習しただけなのに勝つ。もう4回戦などナメきっている、という態度でした」
「ウチのジムにもたくさんの練習生がいました。谷の態度は他の練習生にしめしがつかない。私がついきつい口調で叱ってしまったんです。大場選手に勝って1年もたたない頃です。谷はプイと出ていったきり、戻ってこなかったんです」
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大場選手がデビューする前、フライ級三羽鳥として日本ボクシング界の大きな期待を受け、その将来を嘱望されたファイティング原田(笹崎)、海老原博幸(協栄)、青木勝利(三鷹)の三選手。
原田選手、海老原選手は期待に応え世界のベルトを手に入れ、青木選手は東洋バンタム級王座に就いた。この中で一番の素質とパンチ力といわれたのは、メガトン・パンチの青木選手である。
テクニシャン米倉健志(興伸)選手を攻略し東洋王座を獲得したのはまだ19歳のとき。その才能は、「千人に一人の天才パンチャー」といわれた。いや、戦前戦後を通じ、「素質だけなら青木はナンバー・ワンにあげてもいい」とまで評価されている。
サウスポースタイルから放たれる強烈な左は、海老原選手の”カミソリ”に対し、”ナタの切れ味”と称され、7連続KOという当時の記録も保持した。しかし、天才は練習好きではなかった。
「今日は気分が乗らない」といっては練習を休む。だが、それを叱ってくれる人に恵まれず、才能を活かしきれない天才は連敗を重ねリングを去る。
「3人の中で一番才能がないのがわかっていたから、人の三倍は練習したよ」
こういうのは原田選手である。「ライバルがいたから、負けてたまるか」と練習した。「原田との練習は戦いだった」。稽古を付けた笹崎会長も、厳しく原田選手を鍛えた。
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「たまに走るとさァ、調子悪いんだよ。そんでもって、何にもしないで試合するとさァ、調子よくって簡単に勝っちゃうんだよなァ。考えちゃうよ」(~~)
随分昔に先輩選手が冗談半分に言ってましたが、そんなめぐり合わせはちょっと?(~~)この先輩、結局無冠のままリングを去っていきました。
「○○さんなんか、腹筋5回しかやんないもんね。5回だよ、5回」
「○○さんもそうでしたねェ。先生がちょっと見てないと、やったふりで終わりですもんね」
「それでも簡単に勝っちゃうと、やっぱり勘違いしちゃいますよねェ。強い、凄いって言われますからね」
具志堅用高選手、全盛時代の協栄ジムには好素材が目白押し。多くの有望選手が、ジム合宿所へ入れられ、明日のチャンピオンと期待された。しかし、このエリート合宿組から王者は生まれない。
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「トカちゃんだもんなァ」(失礼!)。(~~)
叩上げの元家出少年が、素人から3年で世界チャンピオンになったのは、努力以外の何ものでもない。具志堅先輩に殴られながら、ボクシングを覚えていった。
少し勝つと勘違い。良い方向への勘違いなら良いが、ちょっと違う方向への勘違いが多いのも、ボクシングというスポーツゆえかと思います。難しいですね。