協栄ジム初の世界王者誕生・海老原博幸 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1963年(昭和38年)9月18日。世界フライ級4位海老原博幸(協栄・金平=当時)選手は、東京都体育館で世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)に挑戦。得意のカミソリパンチを炸裂させ、初回2分7秒ポーンをノックアウト。見事、世界王者に輝いた。

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野口ジム選手だった金平正紀氏(当時25歳)は、ラストファイトを終えた昭和34年5月、恵比寿にとんかつ屋”とん金”を開店させた。店は繁盛し8月に入って知人の紹介でやってきたのが海老原青年(当時19歳)。雑用と出前の係りが必要だった。これには、ボクシングを教えるという条件がついていたのは有名な話。

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野口拳野口 進 会長から、「ウーン、土方と魚屋のケンカだね」といわれた初スパーから4年の歳月。今も協栄ジムに飾られる1枚のパネル写真は、協栄ジムのルーツである。

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金平正紀会長は、”とん金”を閉め海老原選手の素質に賭けた。菓子折り下げてあちこちのジムを渡り歩き、道場なき師弟は腕を磨く。東日本新人王決勝戦で原田政彦(ファイティング・笹崎)選手に敗れるも、海老原選手はその後30連勝。39勝(23KO)1敗1分の記録を引っさげての世界初挑戦。

野口ジム創始者野口 進 氏は、ライオンの異名を持つ。まだ高校生だった頃に内弟子に取った三迫仁志選手は、1956年(昭和31年)東洋フライ級王座を奪還し世界2位にランクされる。白井義男選手から王座を奪っていったパスカル・ペレス(亜)への挑戦を目指し、虎の子の東洋王座は返上。世界戦決定を待った。

試合地はブエノスアイレス。ファイトマネーは千ドル。ようやく交渉がまとまりアルゼンチンへの出発は12月23日と決まる。パン・アメリカン航空のチケットも用意された。三迫選手は、遠きアルゼンチンの地へ思いをはせる。日の丸入りのセコンド着も新調され準備万端。後は飛行機に乗り込むばかりである。

だが出発目前の21日、アルゼンチンから一通の電報が届く。「日本の三迫とはやらない。来ても無駄である」。三迫選手は大きく落胆する。しかし、野口会長の嘆きはそれ以上で、大いに荒れた。

「世界タイトルがやれないんならもう意味がない。人は惜しまれるうちにやめる方がいい。俺がこんなこと言うとお前はさみしいかもわからないけど、お前以上に俺の方がさみしいんだ。お前が引退するときは、俺も一緒に引退する」

涙を流しながら三迫選手に引退を諭した野口会長は自らも引退。拳闘界の舞台には二度と立つことはなかった。

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1960年(昭和35年)4月、世界フライ級王者ペレスはついに王座を去る。新王者は三迫選手が返上した東洋王座を受け継いでいたポーン・キングピッチ(タイ)。”貴公子”、”シャムの皇帝”の異名を持つ。

ペレスとのリマッチを制した王者は、二度目の防衛戦で来日。 関 光徳(新和)選手の挑戦を受ける。減量苦の関選手はよく戦ったが王座に手は届かなかった。この時、海老原選手はキングピッチのスパーリングパートナーを務めている、

1967年5月30日。野口会長の次男 恭 選手がキングピッチ挑戦のチャンスを掴む。父と三迫選手の果たせなかった夢。野口一門の悲願を達成する時がやって来た。しかし、進会長はもうこの世にいない。前年、恭選手の日本王座獲得を大いに喜んだ進氏は、喜びの宴の中で他界していた。ビジネスをまとめるために奔走したのは長男 修 マネジャーである。

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一門が一致団結して挑んだキングピッチへの挑戦であったが、恭選手は15回無念の判定負け。3度目の王座防衛に成功した王者は、世界1位矢尾板貞夫(中村)選手との世界戦契約書にサインした。

だが、矢尾板選手は突然の引退。日本開催の世界戦契約を活かそうと、日本側は代理挑戦者探しに躍起になる。修マネジャーはいち早く王者のトントスマネジャーと接触。挑戦者は海老原の線で動き渡タイ。帰国時には「ほぼ決まり」といわれた。海老原選手は9月6日、世界フライ級7位レイ・ペレズ(米)を8回KOに破り世界ランク入りを確実にしていた。

最初は慎重だった金平会長も、「チャンスがあればぜひやりたい」とペレズ戦後は積極的。そんな最中、トントス氏は、「矢尾板の変わりにファイティング原田の挑戦を受ける」とフジTVに通告。矢尾板戦よりも1万ドル安いファイトマネーで原田選手の挑戦を受けることが決まった。

6月14日バンタム級世界ランカー、エドモンド・エスパルサ(メキシコ)に敗れていた原田選手はランキングに入っていない。海老原戦の前に一稼ぎが、トントスマネの魂胆だったようだ。→敗戦も成功へのビタミンだ!ファイティング原田

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10月10日。王者が勝っても防衛として認めないという変則タイトルマッチは、大番狂わせで10位原田選手が11回KOでキングピッチを破り王座を獲得する。しかし、翌年1月バンコクへ乗り込んでのリマッチは、王者の技巧に軍配が上がる。

そして、ついに海老原選手に挑戦の順番がやって来た。新人王戦で戦って以来、気の合う親友となった原田選手の敵討ち。野口一門の宿願達成。日本ボクシング界にとっても、「打倒ポーン」は悲願である。

金平&海老原の師弟コンビは自信満々。世界王座獲得に揺るぎない自信を見せていた。そして試合は、1万2千の大観衆をアッといわせる初回KO劇で終わる。まさに”カミソリ”という形容が当てはまる見事な左ストレート炸裂。

リング上狂喜する輪の中には、無念の引退に泣いた三迫会長の姿も。野口会長の、「お前新人王に出ろ」の一言から始まって4年。協栄ジムの初の世界王者が誕生したのが、もう43年も前の過去になるとは。昨日、選手を連れてスパーにやって来た宮下先生(会長)は当時4回戦。凄い歴史を感じます。

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