ムエタイvs国際式・世界王者島三雄 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

タイの国技ムエタイ。ムエタイ王者から国際式に転向4戦目で世界チャンピオンになったのは日本でもお馴染みのウィラポン・ナコンルアンプロモーション。もっとも、このWBA世界バンタム級王座は一瞬の油断をつかれ老雄ナナ・コナドゥ(ガーナ)に奪われてしまう。


ウィラポンの上をいく3戦目で国際式世界王座奪取をやってのけたのは、センサク・ムアンスリン。


デビュー戦で世界ライト級2位ルディ・バロ(比)を秒殺。2戦目は世界Sライト級2位ライオン古山(笹崎)選手に7回TKO勝ち。自国へWBC世界Sライト級王者ぺリコ・フェルナンデス(スペイン)を招いたセンサクは、1975年7月世界王者を8回TKOで降し、国際式転向僅か8ヶ月で頂点を極めた。


ムエタイ王者としても来日しているセンサクは、キックのリングで玉城良光(横浜光星)選手の内臓を破裂させるという強烈な勝利を挙げている。


BOXING MASTER/ボクシング マスター
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世界王者センサクは、古山選手、ガッツ石松(ヨネクラ)選手を相手に無難に世界王座を防衛したが、その奇行ぶりも良く知られた。練習中、急にキックを打ち始めたり、試合中のうがい水はガブ飲み。世界戦が終わったら夜の街に直行等等。


大場政夫(帝拳)選手に世界フライ級王座を奪われたベルクレック・チャルバンチャイもムエタイ無敵の王者でした。世界王座陥落後、ムエタイ選手(下写真)として来日。しかし、勝利を挙げることは出来ずでした。


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ウクリッド・サラサス氏がレフェリー。


ムエタイ王者が国際式デビュー戦でいきなり世界ランカーと戦い、たちまち世界王座挑戦権を獲得する。


サガッド・ペッチジンディー。国際式初戦で来日経験もある世界2位ファン・アントニオ・ロペス(メキシコ)を破り、2戦目は私の同郷の先輩水野久巳(ミカド)選手をKO。水野選手を同道した中村先生は、「サガッドはとてもいい選手だ」とその将来を買っています。


そして、3戦目で世界に挑むのだが、これは相手が悪かった。WBC世界Sバンタム級王者ウィルフレッド・ゴメス(プエルトリコ)の前には歯が立たず惨敗。すかさずムエタイにUターンするサガッドは、6年後再び国際式に舞い戻る。ムエタイ王者でもあった元世界挑戦者は、国際式と掛け持ちのリング生活。


ムエタイ500年の歴史を打ち破ったのが藤原敏男選手。昭和53年(1978年)外国人として初めてラジャナムダンライト級王座を獲得。本場ムエタイの王者に輝いた。これは歴史的快挙だろう。


そんな藤原選手とキック時代に黒崎道場で2枚看板を張っていたのが 島 三雄選手。だが、右足首の完全骨折を機に、師黒崎氏の肝いりで国際式に転向する。キック一筋十年。そのャリアは100戦を超える。27歳。


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「キックじゃメインはれたけど、ボクシングじゃ使い物にならない」


厳しい言葉も耳に入る中、元世界王者島選手は渋谷のセンタースポーツジムから国際式デビューを果たす。元笹崎ジムトレーナーの鈴木会長は、「彼のスピードについていける日本人選手はいません」と期待を込める。しかし、「テクニックとパワーがつけば」との注釈も入った。


当時のセンタースポーツジムには強打の黒人ハードヒッター、アブドル・ベイが在籍していた。「ベイのパンチは半端じゃないよ」。スパーリング経験がある大竹マネジャーが、いまだ口にするほどの強いパンチの持ち主ベイとのスパーに挑んだ島選手は。


「殴られたら、ついカッーときて、ひじ入れて、その後、首持ってリングの外に投げちゃった」(~~)


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ベイ。怒らなかった?いや、怒れなかったんでしょうねェ。(~~)


デビューは1979年2月、サウスポー石嶺 昇 (トーアファイティング)選手との6回戦に無難な判定勝ち。


「クリンチされた時、思わず蹴りが出て、シマッタと思ったです。自然に出ちゃったんです」(~~)


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続く2戦目は具志堅用高vsアルフォンソ・ロペス戦の前座カード。元日本ライト級王者高山将孝氏がハワイから連れてきたベニス・”ダイナマイト”・アビレス(マルマン高山)が相手。


アマ48勝(20KO)4敗。「ハワイのロベルト・デュラン」のキャッチフレーズを持つアビレスの強打の前に元キック王者は3回KO負け。前途は多難となる。


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しかし、2ヶ月強でカムバック戦に挑んだ島選手は、安藤文治(斉田)選手を4回KOに破る。


続く4戦目はメインのリングでランキング上位の佐野勝治(笹崎)選手が相手。3回2度のダウンを喰らうも、執念で立て直した島選手は、10回文句なしの判定勝ち。


「これでランキング入りできるから、国際式に転向してよかったという気持ちです」


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日本Sバンタム級3位にランク入りした島選手は、さらに上位を狙って日本同級2位伊藤健一(草加有沢)選手に挑む。12月17日。小差ながら伊藤選手を10回判定に破った島選手には、いよいよ日本タイトル挑戦が見えてきた。


日本Sバンタム級王座は笠原 優 (SB川口)選手から岩本弘行(ヨネクラ)選手の手に移っていた。


王座挑戦へのウェイティングサークルに入った島選手は80年2月19日、初の韓国人選手を相手に迎える。 李 鐘泆は地元で敗れたばかりの選手。島選手にとって楽な相手と見られた。しかし、試合はわからない。べた足で大きく降る李の右フックを不用意に受けた島選手は脆くもダウン。立ち上がるも右アッパーで2度目。


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今度は立てずカウントアウト。KOタイム2回2分50秒。全く意外な、予想外のKO負け。島選手はこの試合を最後に長い格闘技生活に別れを告げた。


僅か1年間の短い国際式リング生活は、打たれ脆さが災いしてしまった。


島選手に4回KOされた安藤選手は再起戦でランキング入りを果たす。島選手引退後の3月、元バンタム級王者阿南弘生(小島)選手を喰った安藤選手は、その勢いで王者岩本選手に挑みベルトを獲得する。島戦から3試合。


何とも好対照となってしまった両選手だが、そんな運命もボクシングですね。


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