ハワイの”鬼軍曹”スタンレー・イトウ | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1972年、世界フェザー級王座をクレメンテ・サンチェス(メキシコ)に追われたばかりの柴田国明(ヨネクラ)選手が、試合後僅か2ヶ月でハワイでカムバック戦を行なっています。

しかも相手は、世界フェザー級8位にランクされる、強豪バート・ナバラタン(比)。弱いカマセではありません。試合は、HICに5千人の観衆を集めて行なわれ、痛烈な打撃戦の末、柴田選手が文句の無い判定勝ちを収めています。この試合では、スタンレー・イトウ先生も柴田選手のセコンドを務めました。



試合後、柴田選手は、イトウ氏のアドバイスは、「大変勉強になり、来て良かった」とコメントしています。ハワイ滞在は、約1ヶ月にもなりました。

ボクシング・マガジン72年9月号に”ハワイの鬼軍曹”としてスタンレー・イトウ氏が紹介されています。(以下一部抜粋)

生まれも育ちもハワイ。(奥様は日本人)アマでボクシングを知った後、プロになろうとしたが、戦争でそのチャンスを逸してしまった。しかし、ボクシングの魅力が忘れられず、トレーナーとしてハワイ・ボクシング界にカムバック。

自宅には、絶えず10人前後の日本人修行ボクサーを同居させ、彼らから慕われ、恐れられ、人呼んで”鬼軍曹スタンレーさん”。


「日本のボクサーは、ガッツがありセンスも十分だが、技術面に問題があると思う。それも、ちょっとしアドバイスでよい方向へ持っていく事が出来るんだが・・・」

「日本のトレーナーもボクサーと共に考えなくてはならないねえ。マネージメントに恵まれない者が多いからだが、ボクサーだけでなく、トレーナー、マネジャー、オーナーも、こちらに勉強に来たら収穫があると思いますよ」



 

これまで、フィリピン系ボクサーの活躍が大半だったHICも、7月柴田選手が、グッド・ファイトでナバラタンを降して日本人ボクサーの株が上がった。日本の修行ボクサーが、ハワイでヒーローになり、世界タイトルを獲得する事も夢ではない。日本のビラフロア(元世界S・フェザー級チャンピオン。14歳でリングに上がり、19歳で世界王者となる)の出現も不可能ではないだろう。

 


もっとも、ワイキキビーチで、ビキニの女の子にアタックすることばかりを期待して海を渡るグリーンボーイにとっては、成功もしんどいが・・・。最後に、ハワイ修行を望む日本のボクサーがいたら、会長の許可を取り、エディ・タウンゼント氏まで連絡してくれとの鬼軍曹スタンレー氏の伝言がある。

と、結ばれています。イトウ先生とタウンゼント氏とは、若い頃からのボクシング仲間で長い親交がありました。

「ホントは僕、日本へ行く話だったのよ」「でも家族いたから断ったの」そしてタウンゼント氏が日本に行く事になったのだとか。

現在、藤本貴昭君(22才)が難聴のハンデにもめげず3ヶ月のハワイ合宿で頑張っています。日本ではかなわなかった夢。念願のアマ試合にも出場しました。



 

当時は日本人ボクサーがたくさん戦っていたハワイ・リング。ホノルルで7月5日、6回戦に判定勝ちした後藤吉伸(野口)選手が、11日には柴田対ナバラタン戦のリングにも登場。結果は惜しくも3回TKO負けとなっています。

驚くべきはこれにもめげず、27日今度はロスのリングに上がり世界フェザー級6位ダニー・ロペス(米)と対戦している事。後の世界チャンピオンは、強打に定評があり8回KO負の記録が残っています。


しかし、1ヶ月の内にハワイからロスへ飛んで3試合もするとは、今ではとても考えられない事ですね。