坂田健史選手が4度目の世界王座挑戦を目指して再起宣言。
「今回が最後の挑戦だと自分に言い聞かせて精一杯戦いましたが結果を残せませんでした。でもこの試合で自分はまだやれる、このまま終わっては一生後悔すると思いました。だからもう一度世界を目指して復帰することを決めました。夢はあきらめたら夢のまま終わってしまう。信じて努力すれば必ず叶うものだと思っています。必ずチャンピオンになって最後の最後にきっと笑ってみせます。これからも応援よろしくお願いします。」
「このままボクシングやめたら一生後悔すると思ったからです」周囲の反対を押し切り、こう言って世界王座奪還のリングに上がったのは、尊敬する輪島功一(三迫)選手でした。リング入場時の逸見さんのアナウンス、今でも覚えています。
元WBC世界フライ級王者・大熊正二(新日本木村)。1970年12月デビュー。
74年5月19日、時のWBC世界王者ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)とノンタイトル10回戦で対戦。戦績20勝(9KO)1敗。しかし、判定で敗れる。
が、善戦が認められ世界ランク入り。10月1日ダイレクトで世界戦のリングへ。そして15回判定勝ち。一躍世界王者になる。
75年1月8日ミゲール・カント(メキシコ)との初防衛戦。誰しもが勝ったと思った試合は判定負け。王座陥落。勝ちをコールされたカントも”きょとん”としていたのが印象的。
76年4月21日WBA王者無敗のアルフォンソ・ロペス(パナマ)に挑戦。判定負け。12月14日、無名の触沢公男(東洋)選手にまさかのKO負け。翌年2月の再起戦金性俊戦でもダウンを喫した。
78年1月4日、WBC王者カント挑戦。勝ったかと思ったが、判定負け。この試合の判定はもめた。4月18日ダイレクト・リマッチ。またも判定で敗れる。
79年1月29日、WBA世界王者に返り咲いていたベツリオ・ゴンザレスに挑戦。無情の引き分け。7月6日、ダイレクト・リマッチ。12回KOで敗れる。世界戦では初のKO負け。
80年5月18日、敵地韓国で世界王座14度防衛の宿敵カントから王座を奪っていた、韓国の”若きヒーロー”朴賛希へ挑戦。「望みなき挑戦」とまで言われたが、8回KOで王座奪取。感動の一戦だった。
以後3度防衛。渡辺二郎(大阪帝拳)選手の持つWBA世界S・フライ級王座挑戦を最後に引退。引退式では、木村会長の「ごくろうさん」の言葉に師弟号泣は会場を泣かせた。
大熊選手は8年もの間世界レベルで戦って来た。世界挑戦8回、失敗6度。時代を同じくして1階級下にはスーパースター具志堅用高選手がいた。
初めて世界王座に挑戦した頃は、スピードあるキビキビとしたボクシングだったと記憶するが、いつしか”いぶし銀”のファイターになった。38勝(19KO)10敗1分。【大熊正二 ( 1 )】
5年間を賭けての世界王座奪還。先人達の足跡は偉大である。
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