フリッパー・上原/D・コティ/どん底Ⅲ | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

74年9月、日本にもおなじみのアルフレッド・マルカノとのWBC世界フェザー級王座決定に、9回KO勝で勝利。世界王座に着いたボビー・チャコン(米)でしたが、ノンタイトル戦一つをはさんでの初防衛戦は75年6月。あっけなく、お馴染みのルーベン・オリバレス(メキシコ)に2回KO負けで王座陥落。

そのオリバレスも3ヵ月後の初防衛戦で、伏兵デビット・コティ(ガーナ)に判定で破れまたまた王座交代。福山選手にとって痛かったのはこの75年、年間僅か2試合しか出来なかった事ではないでしょうか。

年4~5試合のペースで激戦を戦ってきた福山選手。世界王者が変わるたびにターゲットを切り替え、準備していたのでしょうが、惜しいばかりです。やはり選手は試合していないとダメです。世界戦準備の為のブランク等、私は全く意味がないと思いす。”2試合やる間に一つ年をとってしまう”これでは・・・。

さて、福山選手はチャンピオン・コティの初防衛戦の相手として決まっていましたが、先の事情によりガーナでの世界タイトル初挑戦に挑む事になったのはフリッパー・上原(協栄)選手。

沖縄興南高校出身、元世界S・フェザー級王者・上原康恒選手の実弟で、この時日本フェザー級チャンピオン。この上原選手、ロスでデビューしています。ロスでは4戦4勝3KO勝を記録。スパーでは、あのダニー・ロペスをダウンさせた事もあるんだそうです。

76年3月ガーナの首都アクラで行われた世界戦は7万人の大観衆を集めて行われました。どうやって集まってきたんでしょうね。(~~)驚かされます。

試合は12回TKOでコティが初防衛に成功しますが、決して一方的ではなく、試合前実父を亡くしていた上原選手の善戦が光ったようです。今後について、「自信を持ちました」とハッキリ答えています。福山選手には、「ボディを打ったらいい」とアドバイス。勝ったら僕にもチャンスがほしいとも・・・。

コティも「今まで戦った中で上原が一番強かった」と語り、先代会長も「よくやった」とほめたほどだそうです。そういえば喜友名朝博選手が、韓国で柳 明佑の世界タイトルに挑み敗れた夜、大竹マネジャーと共に先代会長に謝りに行った時も「よくやった、仕方ないよ。またチャンス作るよ」と言ってくれました。

ようやく福山選手に出番が回ってきたのは76年7月16日。後楽園ホールでコティに挑戦が決定。特別コーチには、”シンデレラ・ボーイ”元世界フェザー級王者・西城正三選手(ナカハマジム・会長)が付き、マン・ツー・マンでトレーニング。

しかし、コティ。7万人の大会場から一転、2,500人が精一杯の後楽園ホールでの試合はどんな感じだったでしょうか。(~~)ギャップがあまりに違い過ぎますよね。

続く・・・。

本日からハワイ合宿に参加者を引率します。29日の帰国まで、ワイキキに通いエヴァ・ホテル2Fのインターネット・カフェ(けっこう親切)から、キャンプ中の坂田健史選手、佐々木基樹選手のハワイ情報を中心に、若手珍道中、イトウ先生のお話、カカアコ・ジムの日々等更新します。お楽しみに・・・。