第1戦のウィラポンは調子が悪かった。と、言われました。が、2戦目は明らかに”衰え”があったと感じます。気持は、衰えていない。だからこそ、マネジャーの胸で泣いたのでしょう。
限界、衰え、そんな事はない。判断、難しいですね。最近では、OPBFウェルター級王座を追われてしまった、日高和彦(新日本木村)選手。
最近は激しい打ち合いばかりの試合で、最後のKO負けはタンかで退場するほど、強烈なものでした。再起か、引退か。ダメージが大きい重量級なので、本当に判断が難しいと思います。
最後の試合の時、石井先生が「もう少し早く、棄権させるべきだった」と、スパー時から引きずっていた、そのダメージを心配されていました。
その昔、石井先生とコンビを組んでいたのが、大熊正二選手。ミゲール・カント(メキシコ)に王座を追われたものの、まだまだ若く、目指すは世界奪還。
しかし、76年12月調整試合として組まれた日本1位触沢公男(東洋)選手との試合で、8回KO負け。リングに大の字になるほどの痛烈なKO劇。大熊選手にとっては初のKO負け、試合後くやしさに泣きべそをかいたのでした。

勝った触沢選手。一躍世界ランカーに。この次の試合でもバリバリの世界ランカー、ホセ・ルイス・クルス(メキシコ)をKO。この時は、勝利のリング上に神父さんが上がって来て、まるで映画のワンシーンのよう。

いよいよ世界タイトル挑戦。しかし世界は遠く、カント、エスパダスと続けて挑んだタイトルマッチでは歯が立たず、あっけなく引退。(1度のノンタイトルもはさまずに、C、Aと挑戦)
大熊選手に勝ってしまったばっかりに、選手寿命を縮めてしまった感じがします。真面目な選手でした。

この試合後の再起戦でも、第1ラウンド大熊選手はダウンを喫し、冷や汗の判定勝ち。その後、ゴンザレスとの世界戦でも痛烈なKO負けを喫します。
が、この時石井先生は、「まだ君はこれからだ。やっと、ボクシングがわかって来た所じゃないか」と、再起を促し、奇跡的な”世界王座奪回”劇が実現しました。
77年4月、ライバル、アルフォンソ・サモラ(メキシコ)23戦全KOとの、実質的世界王座統一戦を制し、パーフェクト・チャンピオンといわれたWBC世界バンタム級王者カルロス・サラテ(メキシコ)。
アマで33勝(30KO)。この時点でのプロ戦績47戦47勝(46KO)。まさに”怪物”です。ノンタイトルで戦ったWBA王者サモラは、元同僚。
このサラテ、1階級上の怪物王者ウィルフレッド・ゴメス(プエルトリコ)には敗れましたが、バンタム級王座はまだまだ安泰と見られていました。
79年6月3日、指名試合として行われたのが、ルペ・ピントール(メキシコ)とのタイトルマッチ。マネジャーは、共にクーヨ・エルナンデス。
ピントールがWBC1位となり、指名挑戦の権利を得た為、同じマネジャー同士の選手が戦うという事態になりました。といっても、正確にはマネージメント権を、一時譲渡する形を取って試合は実現されました。

4ラウンドには、ダウンを奪ったサラテ。採点は、145-133で一人がサラテ、143-142で二人がピントールを指示するという超不可解な判定で、サラテは王座を終われました。(AP通信も147-138サラテ)
勝ったピントールは、39勝(32KO)4敗。この後、強いチャンピオンになりました。これでは納得できないサラテ、後年ウェートを上げカムバックしますが、世界奪回は成りませんでした。
”いつか”やってやる、”まだ”やれる。気持ちと体のアンバランスがやってきた時、上手に付き合えるすべを考え出した者が、新しいスタイルで戦えるとも思います。