小学3年生の冬、練習試合で守備や走塁ミスを

連発する長男は、ついに4年生にスタメンの座を

奪われてしまいます。


親子で話し合いました。


試合に出るためには、どうすればいいのか?


本人が出した結論は、それまでは私が時間が

ある時だけやっていた朝練を、毎日続ける

ことでした。時間は5時50分に起きて、

6時からスタートして6時50分まで。


長男と交わした約束はふたつ。


1.自分で決めたことだから、絶対に途中で

  投げ出さないで、毎日続ける。


2.自分の苦手な分野から逃げないで、県内で

  一番努力していると自信を持って言える

  ようになる。


足の運びを良くするためのラダートレーニング、

坂道ダッシュ、手だしノックを毎日やりました。


夜は、私が連れていける日はバッティング

センターで打ち込みです。



朝練を始めてすぐ、4年生のマラソン大会が

ありました。ぶっちぎりに強い子がひとり

いて、その子に次ぐ2位で来ていましたが、

ゴール前で2人に抜かれて4位。


「あんなに悔しい思いはもう嫌だ」と

いうことで、毎日3キロのロードワークが

12月から加わりました。


全国大会につながる春の大会で、優勝候補の

大本命が初戦でコケる中、くじ運にも恵まれて

地区大会準優勝。 高円宮杯の県大会には

出場できませんでしたが、全国スポ少主催の

県大会には出場することができました。


この頃は、セカンドとライトを行ったり来たり。


まあ頼りない状態ではありましたが、何とか

試合に出られるレベルにはなってきました。


4年生になってからは、バッテイングの方も

力がついてきて、長打が打てるようになり、

6年生の中で4年生の長男が3番を打つことも

ありました。


春以降はチームは低調。新入部員も入らず、

6年生7人が卒団してしまうと、部員は

6人。試合ができません。


秋の地区予選で考えられないコールド負けを

喫した後、同じ4年生が硬式に転向して

チームを去って行きました。


その子が1番ピッチャー、長男が4番キャッ

チャーでB戦に出ることが多かったのですが、

その子の離脱で長男がピッチャーとキャッチャー

を交互にやることになり、ついに最悪の事態が。


寒い中、キャッチャーのセカンドスローイング

練習で肘をいため、たんすをあけるのも

痛いような状態になってしまいました。


チームに相談すると、「みんなそれぞれ

痛いところを抱えて頑張っている。野球を

する以上は、肘くらい痛くなるのは当然」


という、信じられない答えが返ってきました。


自分たちが課した練習と、多すぎる試合が

原因で故障をしてしまったという意識は

毛頭ありません。


新入部員が入る見込みもなく、チームも

選手もつぶれることは目に見えています。


私たちは、移籍を決断しました。


4年生の10月のことでした。


つづく…