野球の指導者としては、よく


「野球を通して人間力を高める」 


ということを口にしますが、軽々しくそんなことを

口にしてはいけないな、と思わされたコラムがありました。


元西鉄ライオンズの豊田泰光さん


$臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

が、日経新聞に連載しておられる「チェンジアップ」というコラムです。



このコラム、豊田さんの人となりがとてもよく表れている

コラムで、私は大好きです。 いつも楽しみに読ませて

もらっているのですが、今回心に残ったコラムを紹介します。



以下、転載


「野球部越冬隊、生き方を学ぶ」

 高校の3年間は1950年から52年という、モノのない時代に当っていた。
 冬は特に野球少年にとって辛い季節で、寒い、きつい、ひもじいの三重苦が
 のしかかってきた。そんな中で救いとなったのが焚き火だった。

 暖を取るだけではない。農家出身の部員が米を1升、2升と持ってきたときには、
 焚き火をかまどに仕立て、ご飯を炊いた。

 おかずは梅干しくらいだったけれど、最高のごちそうだった。 炊事係は順番で、
 いまでも炊飯器なしで、うまい飯を炊けるのはそのおかげだ。

 たき火の燃料は校庭の木の枝などを、秋のうちから拾い、ためておいた。

 隣のサッカー部も同じことを考えていて、野球のグラウンド側に落ちていたはずの
 枝が、知らぬ間に敵陣に取り込まれていることもあった。

 米がないときは、干しイモを焚き火の周りでかじるだけ。 それでも甘みに飢えていた
 時代には貴重で、火の暖かさとあいまって、至福のひとときとなったのだった。

 振り返ってみると、冬はそんなことばかりやっていて、野球部というより越冬隊の
 趣があった。 土木作業も越冬隊員の仕事のひとつで、12月に入るとグラウンドの
 表土を掘り起こして、山にしておいた。 そのまま凍結させると、春になって解けた
 ときにぐちゃぐちゃになってしまって始末が悪いからである。

 春になると、はぎとった土に砂を混ぜて元に戻し、それをきれいに固めて新グラウンド
 を作った。 足腰が鍛えられるとともに、限られた人数で手際よく作業を進めるための、
 差配の能力が培われた。

 野球好きのおやじさんがいる農家を回って調達をしたとき、チームを代表して挨拶
 するのは、看板選手である私の役目だった。

 型どおりでなく、心の底から出る「ありがとうございます」と、最適のお辞儀の角度が
 身についたのがこのときだ。 おかげでプロ入り後も、挨拶で失敗したことはない。

 ボールを使った夏の練習より、冬の寒さや飢えとの戦いの方が、人生の基礎訓練としては
 有益だったような気もする。


以上、転載終わり。



厳しい環境の中で野球をしていたからこそ、小さな喜びにも感謝できたり、

ひとつのものを協力して作って、みんなでそれを大切に使ったり、知らず知らず

のうちにチームワークが身についたり、といった、本当の意味での人間力が

自然に身についたのですね。


指導者としては、まず自分が指導ができる環境に対して感謝

することが大前提で、それに加えて


「恵まれた環境で野球ができていることに対する感謝」


を子供たちに心から実感させてあげることができて、

初めて「人間力を育てる」スタートラインに立てるのではないか。


そんなことを豊田さんのコラムから感じました。


そういう意味では、ものの豊かな時代において、これまでの

野球との関わり方が浅かったと自分を反省します。