仕事柄、年中忙しい私ですが、年度末は
特に忙しい。

そんな生活を続けて、今年4月からは
10年目を迎えます。

思えば、おかげさまで同年代の同業者に
話すと驚かれるような苦労や経験を若い
うちからたくさんさせてもらいました。

昔の人は

「若いうちの苦労は買うてもせよ」

と言っていますが、それを地でいくような
教師生活でした。


千葉県で教師になって、2年目のこと。

力不足にも関わらず学校の看板クラスの担任を
任され、担任した生徒たちには同じ看板クラスを
担当するベテラン教師たちと比較され酷評される
日々を2年間過ごしました。

それが終わったと思ったら、まったく予想して
いなかった岐阜への転勤がありました。 学校から
「お前は要らない」と突き放されたような感覚が
しばらく消えませんでした。

岐阜では体を壊し、ここでは書けないような事が
原因で心も壊れ、教師を辞めようと思っていた
時期に野球の指導の面白さ、奥深さに出会いました。

今考えれば、神様が差し伸べてくれた救いの手
だったのだな、としか思えません。

野球部を強くしたい、生徒にうまくなってもらいたい
一心で、寝ても覚めても考えるのはやきゅうのことばかり。

それまでに前例のない新しいことにも挑戦しました。 

学校には理解してもらえないことも多々あり、同僚からの
誹謗中傷などもありましたが、その時出来上がった生徒との
絆にいまでも支えられている自分がいます。

万年1回戦負けだったチームが、合同チームながら
県でベスト4に入り、年度末に部活功労賞を受賞したときのこと。

賞をもらった生徒たちの笑顔に、結果を出せなかった代の
生徒も自分のことのように喜んでくれていたことをつい
この間のように思い出します。

あの賞は今までの野球部の先輩方が流した汗と涙の
積み重ねでとらせてもらった賞でした。

あと1年やれば、安定して勝てるチームにできそうな
手ごたえがあった2年目の終わりに、また千葉への
転勤を言い渡されました。 悔しい、の一言でした。

送別会での保護者の方々のお言葉や、
生徒たちの温かさに触れ、初めて教師を
やっていてよかったと思えることができました。

今、千葉で2度目の看板クラスの担任を
していますが、岐阜での経験が何一つ
無駄になっていないことを実感する毎日です。

前置きが長くなりましたが、そんな中、結果を
出してあげられなかった代のキャプテンが
高校を卒業し、大学の合格報告と野球部員の
近況報告に来てくれました。

彼は私が岐阜に転勤した最初の年に、私の
寮に中学1年生で入ってきてくれた生徒でした。

野球部で監督と部員の関係で共に過ごした日々は
わずか3ヶ月でしたが、特別な思いのある生徒です。

彼は高校にあがってからも寮のリーダーとして
野球部で培ったことを存分に発揮してくれました。
卒部してからも、野球部の練習に顔を出し、積極的に
関わってくれました。

また、勉強も頑張り、現役で国立大学へ
の進学を勝ち取りました。

30分程度のやりとりでしたが、その中で


「岐阜での6年間は本当に楽しかったです。」

「もう一度、中学校に戻って野球をやりたいなって、
 友達とよく話すんですよ」

「先生、本当にお世話になってありがとうございました」


と話してくれました。

それを聞いただけで、もう十分でした。 

感謝しなくてはいけないのは、私のほうなのに。

正直、涙が出そうでした。

どちらかというと、教師をやってきてよかった、
と思うことよりも「何で教師になったんだろう」
ということを考えさせられたこの10年。

こんな不器用なダメ人間でも、できることがある。

このような生徒たちとの絆があるから、教師を
続けていける。

本当に、そう思います。

次のチャンスがくるまで、絶対にあきらめないで
頑張ろうと思います。