最近の藤波さんと、藤波さんのコメントなど
「ドラゴン藤波大年表2026年作成のために」
8月初旬
:ドリーさんの訃報について
日本プロレスにNWAチャンピオンで来日
8月4日
ドリー・ファンク・ジュニア選手の訃報(85歳)が伝えられた。(日本時間5日)
日本プロレス時代に若きNWAヘビー王者として来日、当時、馬場・
以後、
が、
その時は「藤波デビュー30年」だった。
(今年は「藤波デビュー55年」つまり25年前です)
そのときの藤波のコメントが印象深い
「誰がこの対戦を予想しましたか。この新日本のリングで」とかなり興奮気味だった談話を残している。
訃報を聞いて、
藤波「びっくりしました。昭和のプロレスの灯が消えた」
「プロレスというのは、形があってないようなものなんですがドリーさんにはプロレスの基本があった。米国のレスラーは、みんなドリーさんにプロレスを学んでいましたし憧れだった」
ここからRSDの想いです。
●実は新日での名勝負が浮かばない
ドリーの訃報を聞いて、当時の試合を振り返る場面が多いのですが、新日本プロレスのファンとしての私には、「ドリーの名勝負が浮かばない」と感じている。
かろうじて、西村との渋い対戦がいくつかあった。だが、しかし、どうも正直イマイチだったなという思いが強い。
なんて書くと、こらこら、何もこんな時にそんなことを書かなくても、、なんて怒られそうだが、ドリーの試合について書くと、
先ほどふれた「藤波・バックランド vs ドリー・テリー」の試合は、
「記念試合」として胸の中にそっとしまっておく分類の試合だ。見返してはいけない。
いわば、その試合が「特別試合」として組まれた当時・つまり、2001年10月でも「昔の名前」ででている「懐かしの歌声」的な試合だった。
後楽園、東京ドームから、上田市、四日市市と4試合続いているが、どの試合も、組まれた相手が、西村以外では、どの選手も(特にタッグは、)
バックランドやスチーブカーンまで「懐かし試合」をしていた。
皆さんの中で、もし、この度の訃報をもとに、新日本での当時のドリーやテリーを観たことが無い方は、
実際に映像なんか見ないで、想像して楽しむことをお勧めしたいです。(さすがに言いすぎかな?) そういう種類の試合でしたね、
新日本プロレスにはそれしかないのが残念だが、かたや全日本でのドリーテリーの名勝負は、そりゃあもう、たくさんありすぎて、両手の指にも余るほどの名勝負があり、選ぶことも難しい。これは、みなさんがご存じの通りです。
2001.10.8 テリー・藤波・ドリー
藤波さんとドリー・テリーの試合は、
「藤波とドリー・
RSD
ドリー・ファンク・ジュニアさん
●ドリーの思い出
ドリーから「返信が来た!」
編者RSDは、インターネットをやりはじめたころ、
文面が「Domoarigatogozaimasu」
狂喜したことを思い出す(うぶ)
●ドリーさんは、「漢字」もわかった。
SAMURAIの番組でこんな場面を見た。
「日本びいきのドリーが、
いっしょうけんめいキーボードをたたいて、漢字変換。
「shi」を変換。
でも、なかなか「
ファンクスと言えば、ドリーとテリー。「スピニング・
テリーといえば、あの元祖・引退復活野郎(大仁田の先祖)
●日本プロレス時代の解説は「ファンク」が言えなかった。
セコンドにお父さんの「ドリーファンク・シニア」がついていて、動き回ってドリーにアドバイスを飛ばす。そう、動きはテリーににていた。激情型のお父さん。
そして、リング内では、「まじめに、静かに、お父さんのアドバイス通り」
解説の遠藤幸吉さんは「
RSD
●●ドリーが新日本に参戦したときの雰囲気
さあ、ここから
当ブログの「藤波さん大年表」の「2001年」より一部抜粋します。
ドリーが新日本に参戦したときの雰囲気が(?)わかります
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◆記録上の試合結果など 2001年
「ドリーファンクジュニア」選手の参戦シリーズ
2001年 10月7日
後楽園で「無我」大会が、東京ドームの前夜祭として行われた。「クラシカルなレスリングをめざす」といわれた「無我」のコンセプトに合わせる形でカードが組まれた。
藤波はボブ・バックランドとエキシビションで5分闘い、3分延長して、時間切れ引き分けとなった。この試合は「藤波デビュー30周年記念・第1弾」として、また「飛龍十番勝負・最終戦」としても行われた。
藤波「20年越しの十番勝負は、これでよかったんじゃないかな」
メインでは、西村がドリーファンク・ジュニアと闘った。
(22分30秒逆さ押さえ込みでドリーの勝ち)また、トニーセントクレアも参戦し当時まだ若手だった棚橋弘至に勝つ。
大会終了後には恒例の記念撮影。会場から「無我」コールがおこった。
藤波「今回は、新日本(の大会)。 次は(本当の)「無我」をやるから」
※この藤波の発言から、「無我」とは歌っているものの、本来の「無我」とは違った形での開催となったことがうかがわれて、ファンは単純には喜べず、のちに、この大会については「無我もどき」の大会ともいわれるようになる。
2001年 10月8日
東京ドーム大会。
藤波・バックランド組とテリー・ドリーのファンクスのタッグマッチが行われた。
ドリー・ファンク・ジュニアは新日本に初登場。ベテランならではの味わい深い「プロレスらしいプロレス」を展開。最後は藤波がドリーに飛龍裸絞めから、逆さ押さえ込みで勝った。
藤波にとって「ファンクス」は若手時代からの「雲の上の人」で、その人との対戦は、ファンにとってもドリームマッチであった。
藤波「誰が、この試合を想像しましたか! 新日本のマットで」
◆INDICATE OF NEXT プロレス50周年 10月8日 東京・東京ドーム
▼60分一本勝負
○藤波・バックランド(10分40秒・逆さ押さえ込み)テリーファンク・ドリーファンクジュニア×
メインは、永田が秋山と組んで、馳・武藤組と対戦。全日系の秋山の参戦はおおいに話題となった。格闘技系の試合や新・大巨人コンビ(ジャイアントシルバとシン)の登場も話題になった。
2001年 10月12日
「SURVIVAL2001シリーズ」が上田で開幕。
藤波はバックランドと組み、セントクレアー、スチーブカーン組と対戦。バックランドが首固めでセントクレアーを丸めて勝利した。
◆サバイバル2001 10月12日 長野・上田市民体育館
▼30分一本勝負
○バックランド・藤波(11分59秒・首固め)スチーブカーン・セントクレア×
※とにかく、この試合自体も、すっかり「懐古的」なもので、「ひとつの時代がおわっている」と、昔からのファンにも思わせるようなものであった。
なお、ドリーファンクジュニアは、武藤・西村組と対戦した。西村にとってのドリーはアメリカ遠征時代の恩師にあたり、この試合は西村にとっての意義ある対戦となった。しかも、西村がドリーから勝利。
〇西村・武藤(18分21秒・回転足折固め)ブライアンブレアー・ドリー×
2001年 10月13日
四日市大会。藤波はスチーブカーンと組み、ドリーファンク・バックランド組と対戦。20分を超える対戦は、ドリーの「回転足首固め」がカーンをとらえて終了した。
◆10月13日 三重・四日市市体育館
▼45分一本勝負
○ドリー・バックランド(23分22秒・回転足首固め)藤波・スチーブカーン×
※この試合が、ドリーの「新日本プロレス」での最後の試合となった。スピニングトーホールドでギブアップ勝ち!
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日本プロレス時代から、日本のプロレスファンへ夢と希望を与えれてくれたドリーさんの冥福をお祈りいたします。
RSD2026
●リンク
こちらの記事は「日本プロレス」時代からの
ドリーファンクジュニア選手について詳説してくれます。
本格的に「ドリー」さんを懐かしく思える記事に
リンクしますね。エコケーンさんのブログです。
さらに、馬場さんとの対戦も丁寧に
編者 RSD 2026.8.6 一部8.8追記




