プロレスの話題

 

テリー、フォーエバー!

 

 

 

 

あの、不屈の闘志! テキサスの荒馬

テリーファンクが亡くなりました。享年79歳。ご冥福をお祈りいたします

 

 

 

藤波さんとテリーの絡みはと言うと、、、

 

たった、ひと試合だけが記録にありました。

 

 

 

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★初来日のテリーの印象

 

兄のドリーが、NWAチャンピオンとして来日し、その「やんちゃな弟として認識」されていた日本プロレス時代のテリーファンク。この時、藤波さんは、対戦どころか、デビュー前のセコンドとして、リング下から眩しそうに見上げていた。

 

テレビ解説の「ドリーファンク・シニアはこのテリーファンクのファイトそのものでしたよ」という話に、シニアのファイトを想像しつつ、暴走気味の弟・テリーを冷静沈着なファイトで兄・ドリーがなだめる。そんな場面をおぼえている。

 

 アントニオ猪木がドリーのNWAに挑戦して、みかんが乱れ飛ぶ中、60分フルタイム引き分けのなった名勝負でも、観客にファイトポーズをとって、お客さんを煽っていたテリーの姿。このあたりが、私の記憶にある一番古いテリーだった。(詳細の記憶違いは、ご容赦)

 

 ドリー・テリーのファンクスとして馬場・猪木のインタタッグにも挑戦したが、テリーが馬場の逆片エビ固めに敗れた試合の動画がある。いかにもテリー、という動きが楽しい。(まだ、このころは「ファンクス」とは呼んでいなかったような)

 

 

 

 

★みんなのテリー

 

 次が、もう多くのプロレスファンの脳裏に突き刺さっている、あの最凶コンビとのフォーク突き刺し事件。

そいて、その後も続く、ブッチャー・シークとの因縁。さらには、ハンセンの乱入の場外ラリアート、以後は全日本のマットを赤く染めた印象的な試合の数々。

 引退シリーズを刊行して、引退試合では「フォーエバー」を連呼。

後に、復活して「あたしの涙を返せ」なんて言われながらも、

やはり何度も復帰の(笑)大仁田の相手にもなっていた。

 

が、もう、このあたりは

皆さんの方が、きっとお詳しいでしょう。

 

 

 

★藤波さんとの絡み

 

 藤波さんとテリーとの対戦は、たった1度だけ、新日本プロレスのリングでありました。

 ただし、タッグマッチでした。

 

 テリーは、ドリーとのファンクスで登場。で、藤波さんのパートナーは、なんとボブバックランド。

 

 藤波・バックランド VS ドリー・テリー(ファンクス)

 

 これだけで、この試合は、レジェンド的な試合であることが、わかりますでしょう。

 

 

 のちに、私は、この試合について、こんなふうに書きました。(ドラゴン大年表)

 

  

  ●2001年10月8日東京ドーム大会

 

 藤波・バックランド組とテリー・ドリーのファンクスのタッグマッチが行われた。

 ドリーは新日本初登場。ベテランの味わい深いプロレスらしいプロレスを展開。

  最後は藤波がドリーに飛龍裸絞めから、逆さ押さえ込みで勝った。

  藤波にとって「雲の上の人」との対戦は、ファンにとってもドリームマッチであった。

 

 

 これは、「エキヒビション的なドリームマッチ」なのか?

 はっきり言って、そのとおりでした。ファンクスはTシャツを着たまま、そして、バックランドの懐かしのワオワオ歩きも「なんだかな」というお客さんの反応でした。

社長としての激務の中で無理やりコンディションを作ってきた藤波さんの動きだけが、突出していた試合。いかにもといった展開から、藤波さんが勝利。

 

 「猪木の最後のインタタッグ戦で、馬場・猪木組が、敗れて以来、新日本の選手がドリーからフォール、それが藤波。」ま、これは、ちょっと(かなり)無理がありましたね~(笑)

 

 写真発見 

 

 ◎Atsushi Nakano さんのツイッター記事に写真付きで紹介されていましたので、リンク

 

 

 

 記録データ

INDICATE OF NEXT プロレス50周年 10月8日 東京・東京ドーム
 ▼60分一本勝負
 ○藤波・バックランド(10分40秒・逆さ押さえ込み)テリーファンク・ドリーファンクジュニア×

    
藤波の話「誰が、この試合を想像しましたか!新日本のマットで

    なお、メインは、永田が秋山と組んで、馳・武藤組と対戦。

    全日系の秋山の参戦はおおいに話題となった。

 

 

 

2001年

 

 この2001年(平成13年)といえば、藤波社長は、年頭に、長州と橋本の一騎打ちにリング上に駆け上がり、いきなり試合を止めた、いわゆる「ドラゴン・ストップ」の年。

 引退表明を撤回して、橋本の復帰第1戦を受けて立ち、壮絶な負けを喫したかと思うと、外部から圧迫してくる「猪木軍」との闘いではどうしても勝利を得られず、とにかく、社長として奮戦するも、

 結果として、猪木や橋本に振り回される、苦悩の年になりました。

 

 その中で、唯一と言ってもいい「笑顔の藤波さん」が見れる記念試合でありました。

 

 

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 藤波さんとの絡みは、ほとんどなかったテリーファンク選手でしたが、

お互いの全盛期の対戦を見たかったですね。

 

今日は、スピニング・トーホールドのテーマを聞いて偲んでいます。

ありがとう。

 

 

 あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 2023.8.24 RSD