(藤波名勝負特選108戦より)

 

8888 四つ続いた「8」の日。アントニオ猪木の引退がかかったと噂されたIWGPヘビー級選手権試合。60分一本勝負。

 

あれから、何年が経つんだろう。

昭和63年8月8日。確かに、暑い夏の夜だった。

 

永遠のフルタイム●最後の猪木・藤波戦。1988年8月8日 横浜文化体育館 60分一本勝負

 

 

デビュー50周年を記念して刊行された「藤波辰爾自伝」(2021年11月・イースト・プレス)

 

栄光のジュニア時代までの記述に全体の半分以上が費やされています。そして、長州との名勝負も含めて、これまでの著作に比べても、意外に「あっさり」と書かかれているヘビー級時代。

けれど、やはり、特別な項目を設けています。この「最後の猪木・藤波フルタイム」には。

たしかに、誰の目から見ても、あれは、特別の試合だった。

 

 

35年前、1988年

 

藤波34歳、猪木45歳、まさに最盛期の闘いであった。

2023.8.11更新

 

 

「このときくらい、猪木さんの底力を感じたことはなかった!」

 

(藤波さんインタビューから。さらに、つづきます)

 


 「猪木さんが、僕に、そうはいかん!というのを見せてくれました。

あの頃は猪木さんもいろいろと個人事業を始めていて、

また、議員さんになるかっていう、瀬戸際でもあったし、

体調もあんまりよくないってのもあったし、

 猪木さんは、試合にも時折出場する状態だった。

僕の方は、もう、連戦してるし、負ける要素は、ひとつもなかった。 」

 「俺がベルトを巻いていて、猪木さんが俺に挑戦するというね、

普通は、猪木さんはプライドが高いから、下の者に挑戦なんて、
 なんで俺が、そんなこと出来るかっていう。それが俺に挑戦というね、、
あの憧れの猪木さんと闘うっていう、しかも猪木さんが挑戦してくるっていうね、、、」

 (興奮を隠しきれない藤波さんが、なんども繰り返すが、

 ことばよりも、熱い想いが、伝わってきます) 2023.8.11編集RSD

 

 

 

このフルタイムは、私のプロレス人生で、最高の宝物だった。(藤波)
「時間よ、止まれ!」という思いで闘っていた。いつまでも猪木さんと闘っていたかった。(藤波)
あの試合を切り取って、額に入れて飾りたい思いだ。(藤波)

   いずれも「藤波辰爾自伝」より

 

藤波さんのこの思いは、もちろん、ファンにとっても同じでした。

「飛龍革命」と言われた、沖縄での「はじめての猪木さんへの反逆」 そして、それ以前からの、新日本プロレスへの想い、さらには、今後のエースとしての自分へのはがゆさ、それらを取り巻く、さまざまな内外の問題点、、

 

それらを、すべて試合にぶつけ、そして、それらを超越した、「師弟の濃密な、時間と空間」

「闘っているうちに、もう勝敗など、どうでもよくなった」

「あの瞬間、猪木さんも、いろんな事業欲などすべてを忘れて、純粋に「闘う猪木さん」に戻っていたと思う」

と、藤波さんは言う。

 「試合後、長州までも感動させた試合だった」と、藤波さんは記述しています。

 

「猪木さんとの60分間。このまま終わってほしくないな、とも思いました」

「贅沢な、時間、贅沢な60分だったねえ~(しみじみ)」

             (「豪の部屋」対談より)

 

 

 

「対戦相手との信頼関係をもとに、相手を光らせ、最後に、逆転の「逆さ押さえ込み」で勝利する」

 

それが、ヘビー級時代の藤波さんの試合の醍醐味だと編集者RSDは、常々思っています。それが

もっとも発揮された試合が、この猪木戦だと思うのです。

(最後に逆転勝ちはしませんでしたが) 

「昭和プロレス」の「最後に輝き」でもありました。

 

さて、藤波さんのインタビューじゃないですけど、(笑)

私も、こころ余りて、ことば足らず になってきましたので(笑)

試合にまいりましょう!

 

 

 

 

 

 

 

猪木は弓を引くストレートから、張り手の16連発

猪木の張り手を受けても、胸を張り出して前進する藤波

 

 

●最後の猪木・藤波戦。1988.8.8 横浜文化体育館 60分一本勝負

 

 

チャンピオンが藤波。まるで「新日初期」の頃のようなストロングスタイルのレスリング。

お互いの技を確かめ会う中、藤波はジャイアントスイングまで出すも、猪木もコーナートップからのドロップキックを出す。試合後半になってさらに猪木の動きが良くなり、ついにタイムアップ。文句なしの感動の名勝負。
試合後、長州が猪木を、越中が藤波を肩車に抱えあげて激賞した場面が印象的。

 

 

実は、猪木・藤波のシングル最後の一騎打ちだった。

 

(やっぱり長文注意(笑))RSD 2021.8.8

 

 

●藤波 vs 猪木
 「藤波のIWGPに猪木が挑戦。60分フルタイム」

▼1988年(昭和63年)8月8日 神奈川・横浜文化体育館  60分一本勝負 IWGPヘビー級王座決定戦

△藤波(時間切れ引き分け)猪木△

※藤波の王座防衛。


試合序盤に見せたジャイアントスイング。藤波、初公開だ。

 

▼試合経過▼


 先に「炎のファイター!(イノキ・ボンバイエ)」で猪木が登場。それから「ドラゴンスープレックスのテーマ」が鳴った。

藤波が、猪木の待つリングに後から入る。これははじめてのこと。

「飛龍」と背中に書かれた藤波のガウンが、妙に落ち着いて見える。

 試合開始。握手をするように見えて、猪木がすぐに手をひっこめた。はやくも、駆け引きか。場内「おおぉ」

 両者活き活きとした軽快な動き。主導権を握ろうと、お互いにぐるぐるまわる。

「負けたら引退」というムードに反発するように走る猪木。両者の並々ならぬ決意が、試合を良い方向に引っ張る。フロントネックブリーカーに決める猪木。コーナーでブレイク。

 開始早々、猪木は、いきなりの浴びせ蹴り。これはなんとかかわした藤波。ヘッドシザースに決める猪木。ゴッチ風の倒立ですばやく頭を抜く藤波。大歓声だ。いきなり猪木がスリーパーフォールドを決め、「ぐい」と絞める。これは強烈。思わず、落ちそうになる藤波。

 いや、瞬間に、落ちてしまったのだ!

 一瞬試合が止まり、星野の張り手で甦える藤波。「魔性のスリーパー」の洗礼。本当に失神のピンチ。呆然とした顔で、視点のさだまらない藤波。だが、延髄斬りにきた猪木の足をすばやくキャッチすると、初公開のジャイアントスイング。豪快に猪木を回して見せて、観客をどよめかせた。そのまま、足4の字固め
 今日は3年前とちがって、たとえ猪木の足を折っても勝ちを狙う藤波。苦悶の表情に、場内、大イノキコール。猪木も必死だ。

 

 藤波は、ドラゴンスリーパーから逆エビ固め。連続攻撃で猪木を苦しめ続ける。藤波がドロップキックを決め、猪木にインディアンデスロックを狙う。すばやく逃げた猪木。逆にインディアンデスロックを狙う。これまたすり抜けた藤波。藤波の腕固めに対して、猪木の羽折り固め。まさに、技と技。意地の張り合い。

 藤波が猪木の足を持って、縦回転のドラゴンスクリュー。しかし猪木が反撃。アームバーからキーロック。回転を加える。一瞬の動きの中で、バックドロップで藤波をたたきつけたかと思うと、延髄斬りから、原爆固めに決める。

 

 しかしこれでも決め手にはならない。互いに関節技の応酬、まさに、相譲らぬ攻防。

猪木がブリッジの見せ場から、藤波の足4の字固め。「折るぞ!」の藤波の声に、苦悶の猪木。「来い!来い!来い!コノヤロー」と煽るも、動けない猪木。猪木はなんとか身体を回転させてロープに逃げる。このとき、両者の身体が4の字のまま場外に落ちた

 

 猪木の口から「ぐわあ」と叫びがあがる。場外で解けない4の字。カウントが進む。このまま終わるのか。場内の誰もが心配した瞬間。レフェリーがブレークを命じ、よろめきながらも両者はリングに戻った。

 藤波が攻勢。猪木の足にアリキックサソリ固めから、ドラゴンバックブリーカー。藤波のドラゴンスリーパーが完全に決まり、動きのなくなった猪木。

30分がすぎてテレビの生放送が終わる

もはや試合はこの会場だけのものとなった。密度の濃い試合。ロープワークから、一瞬の藤波の押さえ込み。カウントは2。マットをたたいて悔しがる藤波。まさに、息をのむスリリングな展開。

中盤をすぎて、スタミナを懸念されていた猪木の動きが、急に活発になる

いきなりの浴びせ蹴りから、コブラツイスト。藤波が場外に逃げると、リング内からチョークスリーパー。長々とのびる藤波。さらに、コーナートップにのぼっての、ミサイルキックを藤波に決める。猪木のこんな技が見れるとは! そして、一気に卍固め


これを藤波が振り切って猪木を投げつける。

猪木は弓を引くストレートから、張り手の16連発

猪木の張り手を受けても、胸を張り出して前進する藤波

 

もはや、猪木の張り手にびびる藤波ではない。

 

逆に猪木に拳をたたき込む。しかし、猪木は、頭突きまで繰り出し、試合の流れを変え、俄然ラフファイトになる。こうしてかこの対戦では、何度も苦杯をなめた藤波。耐える。

猪木は、延髄斬り、アルゼンチンバックブリーカー、さらにはブレーンバスターで藤波を追い込む。

  45分がすぎたとき、突如、アマレス風のバックの取り合いが始まり、猪木の驚異的なスタミナに場内が騒然となった。またまた関節の取り合い。アキレス腱固めの取り合い、三角絞めを狙う藤波。ドラゴンフライングエルボーも出た。

 

 コーナートップからの雪崩式ブレーンバスターを狙う藤波。これは、なんとか猪木が阻止。

猪木の急降下ニードロップが鮮やかに決まる。カウント2。

 

 猪木の足4の字固め。苦悶の藤波。 残り試合時間、あと、5分。あと、3分

時間切れ寸前にまたまた俄然動きがはやくなる猪木。藤波も必死に動きについてゆく。最後の力を振り絞った両者。本当に最後の力を振り絞って卍固めにきめる猪木。

 藤波が切り返してコブラツイスト。さらに猪木がこれを切り返してグランドコブラツイスト。もう、闘うふたりだけの試合になっている。何度もカウントが入るが2まで。それでも、なんども覆い被さる猪木。ここで、ついに60分、、

フルタイム引き分け。


試合を終えても立てない藤波。 猪木がベルトを役員から奪った。一瞬緊張するが、猪木はゆっくりと藤波に歩みより、腰にベルトを巻き付ける。

 

大歓声の場内。

おもわず藤波が猪木に抱きつき、猪木の肩に顔を埋めて泣く藤波。

 

リングに駆け上がった長州が猪木を肩車。越中が藤波をかつぎあげる。

男泣きの猪木。藤波とがっちり握手して、両者手を挙げる。

感動的な師弟対決のすがすがしい幕切れだった。

リング上、インタビューアーの問いには答えず、藤波は

「ありがとうございましたあぁ!」
 

 

▼この試合について▼

 飛龍革命の最終章、といわれた猪木との対戦。自ら「シード」を断ち切ってリーグ戦をあがってきた猪木。はじめて弟子の藤波に挑戦した。

60分フルタイム引き分け。闘魂、いまだ衰えず。そのたぐいまれなスピリッツは、文字通り、真っかな炎と燃えていた。猪木は、凄い。


 「負けたら引退」というあおりのなかで闘った猪木。

放送では懐かしの「古館アナ」まで引っ張り出してきた。


 生放送が試合途中で終わり、異例の2週に渡る実況中継。

もはやIWGPヘビー級選手権試合という枠を大きく超えて、

プロレス史に残る名勝負となった。
 こんなストロングスタイル試合は、もう、この師弟にしかできなかっただろう。

それにしても、ぜひとも勝ちたかった藤波。

引き分けはすばらしかったが、だが、勝つことは出来なかった。

猪木越えを達成して、飛龍革命を完成したかった藤波であったが、それは成らなかった。


「負けなかった猪木」そして、「勝てなかった藤波」  
 飛龍革命の一段階が終わった。


藤波の話
 

試合直後「(ノーコメント)」

 数日後「試合のあと、汗が出きってしまって、2日間、おしっこがでませんでした。(笑)
試合直後のノーコメントは、言葉がでてこなかったんだよ。いろいろな思いがめまぐるしく交錯して。
 率直に言って、試合の前までは、非常にきつかったです。こっちは、負けても、この先もずっとやっていかなければならないんだから。

 とにかく絶対に負けられないという気迫をもってリングにあがった。でも、いざ、あがってみたら、これまでの猪木戦なかでは、いちばんラクだった。体調がベスト、というより、考えるより先に身体が動いていった

 とにかく決着がつかなかったことだけは心残りだけれど、ファンは喜んでくれたと思う。今後は、これ以上の試合をファンに見せることが、自分の課題です。やります!」


猪木の話
  「勝つことは出来なかったが、悔いはない。リングに上がってきたときから、藤波にはチャンピオンらしい貫禄が出ていた。いつもなら決まるはずの卍固めも、足を殺されて、ただ技をかけただけという感覚だった。

 試合後は熱い思いがこみあげて、(涙が)出るものは止めようがなかった。

これまで充分すぎるほど、いろんなことをさせてもらったから、これからはひとつ海外へ目を見据えたイベントを開催したい」

 

 

2017年藤波の話  「試合の前には、猪木さんが負けたら引退という報道があって、ファンもこの試合にいろいろ感じていたんでしょう。あとで、映像を見たら、テレビカメラが追いかけていくときに、お客さんの悲壮な顔を映していた。あれじゃあ、もし、僕が勝っていたら、暴動が起きてましたよ(笑)」 

 週刊実話インタビュー2017年

 

※いやいや、暴動はなかったと思いますけども。

 

 

2019年猪木・藤波の対談から

猪木「そんな古い話は忘れちまったよ(笑)」

藤波「・・・・・・(苦笑)・・・・・・」

 猪木は、飛龍革命の場所すら、「寒いところだったよな」(「沖縄です」)

 う~ん、とぼけているのか、それともわざとやっているのか?(同じか)

 

  

「試合を終えても立てない藤波。猪木がベルトを役員から奪った。一瞬緊張するが、猪木はゆっくりと藤波に歩みより、腰にベルトを巻き付ける。」

 

藤波さんは、だれよりも、この場面が好きだ。

著者「未完のレジェンド」(2010年)の表紙にもってきているほど。

 

 

藤波さんの、この試合後「2日間、おしっこが出なかった」というエピソードが、

藤波さんの講演会のたびに、よく話されています。

ただ3日間になったり、4日間になったりしていますが((笑))

あとからふりかえると、「昭和プロレス」が終焉を迎えている、という感が強い。

もちろん、昭和がこの年で(実質)終了して、翌年には「平成」となるわけだが、年号だけの話ではなく、ファンとしての想いは、猪木・藤波のフルタイムをもって、「昭和プロレス」が一区切りをつけたといえましょう。

 そして こうして、デビュー50周年を振り返っても、やはり突出している試合です。 

 藤波さん「猪木さんとの、この闘いは、ベストバウトとか、そういうこととも、別格!

 

 毎年、8月8日になると、この闘いを、そして、猪木を思い出します。

 猪木は、今も、藤波を通して、生きています。

 

 

※画像は、当時の雑誌よりお借りしました。ありがとうございます。パンフや、各種インタビューなど膨大な資料も用意したのですが、もう、試合の状況をつぶさに見ていく方がいいと、判断しました。さいごまでおよみいただきありがとうございました

 

それでは、感動と興奮冷めやらぬ 88年8月8日横浜文化体育館より、ごきげんよう!さようなら!  

 

                                                  RSD 2021.8.8  

                                                  追記 2022.8.8   

   2023.8.8 8.11                                                              

 

 

▼1988年(昭和63年)8月8日 神奈川・横浜文化体育館
  60分一本勝負 IWGPヘビー級王座決定戦
  △藤波(「永遠の」時間切れ引き分け)猪木△

  ※藤波がタイトル防衛