まもなく3月がおわりますね。3月と言えば、やはり、ジュニアヘビー時代のあの対戦、あの出来事が思い出されます。
はい。カネック、あの「カネック」選手との幻のジュニアヘビー級タイトルマッチ。
今年は、昨年の記事をパワーアップしてお届けします。 RSD 2023.3.30
1978年 1月 ニューヨークMSG チャンピオンになり
はやくも敵地アメリカでタイトル防衛、3月3日待望の凱旋試合
高崎でカナディアンを、ドラゴンスープレックス(飛龍原爆固め)
でやぶり、インタビューで「ネバー・ギブアップ!」
新しいライバル「カネック」の登場。大垣で血染めの両者KO
シリーズ中にもかかわらず渡米。アメリカでタイトル防衛し帰国。
いよいよ、煽りに煽ってきた、
「ビッグファイト・シリーズ」最終戦!
藤波さんにとって、もっとも長い一カ月の締めくくりです。
3月30日、シリーズ最終戦の蔵前国技館大会。
対カネック! はじめての国内タイトルマッチ!
ところが、、、
前代未聞の挑戦者が敵前逃亡。
予定されていた「WWWFジュニアヘビー級選手権試合は、
挑戦者のカネックが敵前逃亡したため中止となり、
急遽、イワン・コロフとの対戦となった。
選手権ではなく、特別試合になりました。
今日は、
まず、1,当日のテレビ実況中継より
続いて、2,コロフとの試合のファイルより
さらに、3,カネック敵前逃亡の検証
の三本勝負で行います。
まずは、
当日の実況生中継からおおくりいたします。
コマーシャルがおわって、いよいよ藤波さんの登場です。
さあ、大歓声の蔵前。
●「カネック敵前逃亡」
この日の蔵前国技館
カネック敵前逃亡! 昭和53年3月30日。蔵前国技館。(実況中継から)

「本日、かねてより藤波選手に対して覆面や髪の毛をかけると言っておりましたカネック選手が、藤波選手の実力に恐れをなし、本日午後7時30分、敵前逃亡いたしました。」
いきなりリング上から発表。
「え~~っ!」会場からの罵声。
藤波がすまなそうに入場して、挨拶。
小鉄とストロングの表情も硬い。
このあと藤波がなにかしゃべるが、アナウンサーの声でききとれず。
(実は、藤波は「タイトルを返上します」と言っていた)
この藤波のタイトル返上にあわてる関係者。
場内からも「タイトル返上はしなくていいぞ」とも。
藤波が選手権試合をやる直前、エル・カネックが逃亡。
コロフとの対戦に、緊張気味の藤波。
会場の雰囲気がおかしい。そこへ上田馬之助が乱入。
もみあいになり、藤波は場外に。
上田は、イワン・コロフにも殴りかかり、鉄柱に足を打ちつける。
若手の前田、佐山、永源、長州、星野、小鉄らが止めに入る。
いつのまにか
試合開始。足を攻める藤波。

が、コロフも殴りつけて、藤波ダウン。
藤波、唐突にフルネルソンから、

ドラゴン・スープレックス!
レフェリー、カウントせずゴング要請。
上田乱入。ドロップキックで上田をひるませる藤波。
場外に落ちた上田に、ドラゴンロケット!

めちゃくちゃな雰囲気の中、躍動感あふれる藤波だけが際だつ。
イワンコロフは首を痛めて動けない。

ドラゴンスープレックスが
まもなく封印されてしまうのがわかる。
このあと、試合ファイルです。
●藤波vsイワン・コロフ
「鮮やか飛龍原爆炸裂」
▼60分1本勝負
1978年(昭和53年)3月30日 東京・蔵前国技館
○藤波(2分45秒・飛龍原爆固め)イワン・コロフ×
▼試合経過▼
試合開始前から、上田馬之助が乱入。コロフの足を鉄柱攻撃で痛めつける。
急遽、試合となったコロフ、この日2戦め。
藤波は、コロフよりも、カネックの敵前逃亡の報告と「おわび」を場内に説明すること、さらには、乱入してきた上田に気が向いている。観客が、ざわついた雰囲気の中でも、ゴングがなれば、試合をしなければならない。
藤波は、上田の鉄柱攻撃によって痛められたコロフの足を狙ってゆく。逆片エビ固め。これをロープブレークではずされると、フルネルソンにとらえ、電光石火の「飛龍原爆固め」!
レフェリー、カウントをせず、ゴングを要請。
藤波の勝利。その瞬間、リングに飛び込もうとエプロンにあがった上田にも、ドロップキック。場外に蹴散らした。速攻勝負の、あざやかな試合であった。
▼試合について▼
なんといっても、挑戦が決まっていながら、しかも、試合当日、会場まで来ておりながら、「敵前逃亡」したカネックについて語らなければならないだろう。
カネックは、メキシコ遠征時代になんども手合わせした選手。いわば、藤波が推薦して連れてきた選手。この、前代未聞の敵前逃亡の理由については、このあと検証しますが、当日の関係者(なかでも藤波の)驚きは大変なものであったろう。
このシリーズの前半からカネックと藤波は、テレビマッチで抗争して、対決ムードをあおってきた。 そして、ついに今日、決着をつける、マスクと髪の毛を賭ける、という試合になった。当日の観客は、この対戦だけが目当てという人も少なくなかった。それが、突然の、試合中止の発表。
「なんだよー」「金返せっ」という怒号が渦巻いた。
リング上で藤波がマイクをにぎる。さあ何を言うかと、固唾を呑む。藤波から、出てきたことばは、「どうも。」 これには、会場が怒り、あきれ、失笑ももれた。が、この会場のこの雰囲気を一変させたのは、次の、藤波のひとことだった。「みなさん申し訳ありません。タイトルを返上します」
これに驚いたのは、こんどは、観客よりも関係者。「何いってるんだ!返上なんかする必要ない」と新間さん。 しかし、この関係者もあわてさせる藤波のひとことが、観客を沈めた。
「藤波、お前がわるいんじゃない。返上なんか、しなくていいぞ~」
こうして挨拶(おわび)をしているところへ、上田馬之助が登場。ゆっくりとリングにあがり、藤波に握手を求める。
藤波が手を出そうとしたところで、上田は突然の平手うち。場外におりて、今度は、いきなり、コロフを攻撃。このハプニングで、観客の目を自分にひきつけ、なしくずし的に、藤波とコロフの試合に持ってゆき、結果として、すっかりカネックのことを忘れさせたのはさすがだ。上田は、有無をいわせず、試合を混乱させ、観客の不満を解消させたのだった。
なお、この試合に急遽かり出されたコロフは、藤波の飛龍原爆固めの受け身がとれず失神状態。かなり長い時間マット上にのびたままで、ようやく首をおさえて、若手に担がれるようにして花道を引き揚げていった。その後、しばらく首を曲げたまま歩いていたのを目撃されたという。
このあと、カネックの敵前逃亡について検証するので、興味がある方はお読みくださいね。
●カネックは、なぜ、敵前逃亡したのか
カネックがノイローゼになってしまうのもわかる気がした。
藤波のドラゴンスープレックスは、時代を10年先に行っていた技だ。
カネックは、藤波がメキシコに修行中見いだした強豪。
「メキシコにすごいやつがいた」と新日のフロントに連絡を入れて来日が決定したという。
それだけに、藤波との抗争も藤波自身が楽しみにしていた。
ドラゴン藤波は、「ドラゴンブーム」の真っ最中!
大垣での生中継での両者流血。
好敵手の出現に、誰もが色めき立った。
そこで、フロントやマスコミが踊らせた。
「覆面はぎマッチ」
こうして、闘って行くうちに、
カネックは疑念を持ち始める。
「藤波は本当に勝って、覆面をはぎにくるのではなかろうか。正体をあばかれれば、日本のマスコミは発達しているから、瞬く間にメキシコにも情報が流れるだろう」
「ドラゴンスープレックスは受け身がとれない。けがをして、選手生命を断たれるのではないか」
そして、なによりも、カネックは「英語」も「日本語」もわからない。
まわりの外人選手とのコミュニケーションもうまくいっていない。
メキシコ人に対するアメリカ人選手の(差別)意識もあったという。
そんなことから、控え室で、集団暴行を受けることもあったという。
ことばのアレルギーや、精神的なストレスから、不安が増し、試合当日、いてもたってもいられなくなり、逃亡したといわれる。
カネックは、メキシコで3カ月間の試合出場停止処分。
この「敵前逃亡」事件が、カネックを変えたという。
その裏側には、実は藤波の援護があった。
「このままつぶしてしまうのは、あまりにも惜しい」
こう思った藤波は、新日フロントに頭を下げた。
敵前逃亡をして厳しい処置をした新日が、この後も
カネックを呼んだのには、藤波の友情と、並々ならぬ努力があったのだ。
以上 スカパー「I編集長の「喫茶店トーク」」より編集
さらに
2015年11月13日追記
カネックには日本人の女性がいた。
「Gスピリッツ(タツミムック発行)19号」記事に
カネック自身による証言が掲載された。
その記事を紹介する。(記事詳細に興味がある方は、同誌をご覧ください)
(「藤波40周年記念」の号です)
カネックには日本人の女性がいた。
(記事のニュアンスは注意して、翻案しました。RSD)
カネックの話から
太平洋を越えてゆくなんて思ってもみなかった。日本は美しい国だと思ったよ。
でも、仕事環境はよくなかった。
誰もスペイン語を話せなくて、まいったね。
それをケアしてくれるレスラーも社員もいなかった。
カネックの闘いは、
3月17日に大垣で、藤波と名勝負。(両者流血で、両者ノックアウト。)
翌、18日に豊明で藤原に勝ち、19日に豊川で木戸に勝つ。
だが、この2連戦で膝を負傷。
(その後の津、大津、和歌山、東大阪の4大会を欠場することとなった。)
(この間、試合は出場しないが、一緒に行動していたかは未詳)
「湿布だけじゃ治らないよ。歩くのもままならないのに、試合なんて無理だ」
26日に東京で、記者に(ドクトル・ルチャ =スペイン語に堪能)訴える。
「4日後のタイトルマッチ(30日の蔵前の藤波戦のこと)に俺のマスクも懸けるというのは、本当か?」とカネックは記者に聞いた。
記者が「そうなったらしいね」と答えると、カネックは頭を横に振って深いため息を。
27日に深谷大会に無理して出場(健吾に勝利)も、
28日の古河大会は欠場。
その晩、看病をしてくれていたスペイン語のできる女性とホテルにいたところ
外人選手が数名おしかけてきて、
「女なんか連れ込んでないで、試合に出ろ!」
暴行、殴られただけでなく、消火器の中身をかけられ、悲惨な状況だったという。
(同行していたその女性の話) どうやら、主犯はロン・スターらしい
(ちなみに、この時に来日していた外人は
マスクドスーパースター、
イワンコロフ、
マスクドカナディアンのロディパイパー、
ロン・スター、
それに、グレートマレンコがマネージャーで来日。
あとは、バッドニュースアレンもいます。
ただ、ロベルト・ソトはカネック側ですから、ちがいますね)
パンフレットより
ロンスター
で、
カネックは29日の富士大会も欠場すると、
この試合のあった30日に帰国の途についた。
(実況中継では、ソト(=ロベルト)が試合に出ている間に、姿が見えなくなった、と言っていた。ソトの試合は第3試合)
カネックは、件の女性の手引きで、
「このままでは殺される。ギャラもいらない。メキシコに帰ろう」と
帰国の途についたという。
これが、カネックの敵前逃亡の真相だという。
さて、
●元週刊ファイトの井上編集長の「プロレス的な話」も加えて、
整理してみると
スペイン語がわからない環境
負傷が重症
外国人の暴行
それに、マスクと髪の毛をかける試合
試合に負けたら、メキシコにも報道される
藤波の飛龍原爆固め・・・
ということになります。
翌年の来日では、藤波とすばらしい2連戦をやってくれたカネック。
メキシコのプロモーターにも「精神的に強くなれ!」と叱咤激励され
ひとまわり大きくなって、ジュニア時代のみならず、ヘビー級に転向してからも
藤波のよきライバルとなりました。
素顔のカネックは、陽気なメキシカン。
覆面の下の「素顔」のカネックは、ほおが張った、あの「伊東四朗」さんそっくりという噂も・・・。
藤波との名勝負を繰り広げた「ならず者・カネック」
カネックが、覆面の下で、「にん!」とやっているポーズを、想像してしまいます。
藤波さんの対戦相手の中でも、
もっとも印象的な選手のひとりです!
カネックとの名勝負は、新日本プロレス時代だけでなく、平成の「ドラディション」でのファイトにつながってゆきます。今後もファイルにしてゆきます。
逃亡の直前、闘志あふれる大垣での初対戦。。
逃亡から1年。1979年の名勝負! 藤波vsカネック
ヘビー級になってからも、カネックとの勝負は続く。
























