(藤波名勝負特選108戦より)

 

1月23日 この日は、藤波さん、そして、ファンにとっても忘れられない日。

そうです。あのMSGです!

 

ドラゴン飛龍伝説のはじまり エストラーダに勝つ!

●藤波vsカルロス・ホセ・エストラーダ
 「藤波、MSGでタイトル奪取!飛龍原爆固め炸裂」

WWWFジュニアヘビー級選手権試合60分1本勝負
1978年(昭和53年)1月23日 ニューヨーク・マジソンスクエアガーデン

○藤波(11分31秒・飛龍原爆固め)カルロス・ホセ・エストラーダ×

 

1978年1月23日。

ニューヨーク・マジソンスクエア・ガーデンでのカルロス・ホセ・エストラーダとの選手権試合。雪でニューヨーク入りが1日遅れ、コンデションを調整。ミル・マスカラスがメインエベントで登場。その前に、WWWFジュニア選手権試合が組まれた。

 

試合経過▼ 


「これからニッポンの藤波辰巳選手が、選手権にチャレンジします」
解説の櫻井さんと舟橋アナウンサーがエプロンで話しているのが映し出され、そこに「ベルト」をもった「スーパースター・ビリー・グラハム」が乱入する。・・・・。そんな雰囲気のニューヨーク。

 


チャンピオン、カルロス・ホセ・エストラーダ。

1階席から5階席まで満員。観衆22500人。

いよいよ試合開始。

ゴングがなった。いきなり首の取り合い。藤波がホイップで投げると、腕を逆にとってくる。
エストラーダは一回転して足を狙ってくる。スタートから激しい動きだ。
藤波がいきなり飛んだ。すごいハイアングルのドロップキックだ。

 

 

エストラーダは、すっ飛んだが、ベテランらしく受け身をとって立ち上がる。ひじうちからいきなりエストラーダがエキサイト。
藤波の顔面とボディへパンチ。ストンピングから足を取ってレッグロッグ。藤波が一転して、デスロックに決めた。激しい足の取り合いになった。めまぐるしく動く両者。

 

あらためて、藤波を見ると、全身が引き締まっている。なにしろ、ドロップキックのジャンプ力が凄い。


相手の胸を上方から蹴りつけるようなドロップキック。何度でもたたきつける。

 

 

ホセもなかなかいい選手だ。予想していたような「単なる」チャンピオンではなかった。藤波を投げる速さ、タイミング、ドロップキック。

ロープに飛んだ藤波が、相手の頭の上を飛び越えた。振り向きざまタックル。コブラツイストに捕らえたが、エストラーダは藤波のボディにブロー。藤波の顔がゆがむ。

エストラーダは蹴りまくる。ロープに振って、カウンターのニーバット。1発、2発。

藤波は、2発目をジャンプでかわして、相手の両肩にフック、スモールパッケージホールド。

エストラーダ、カウント2で逃げる。早い動きに、場内歓声とおどろき。

 

壮烈な、ドロップキックの同士打ちから、チャンスをつかんだのは、エストラーダ。
コーナーポスト最上段からの急降下式セントーン!
見事にかわした藤波。 するすると、背後から忍び寄ると、フルネルソン。
そのまま勢いをつけて、後方へスープレックス!

 

レフェリーもどうしてよいかわからず、とりあえず、カウント。


ワン、ツー。ずいぶん間があいて、スリーーッ!

 

「スリーがはいったの?」そんな表情の藤波。

レフェリーがうなづくと「やったー!」 最高の笑顔。

すぐにベルトが渡される。うれしそうに持ちあげる藤波。

 

 

おおいに沸かせる試合を制して「ドラゴン・スープレックス」で決めた藤波。

この勇姿が、単純に「かっこいい」。

 

決まった瞬間、思わず、舟橋アナウンサーが叫ぶ!

「猪木2世!猪木2世! ドラゴン・藤波辰巳!」
リング上を「じっと」見つめる仕掛人新間氏も一瞬映し出される。

 

船橋アナウンサーが興奮してしゃべり続ける。

いつもは静かな実況の船橋アナが大興奮。

 

「やりました、藤波。飛龍固め。ドラゴン・スープレックス!」

テレビを通じて、一般から公募することになっていた、新しい技の名まえを叫んでしまった。

実は、櫻井さんの命名。ドラゴンスープレックス!

しっかりとベルトを巻いてもらって、チャンピオンだ!

 

 

さあ、舟橋アナがリングにあがる。

インタビューだ。

 

 

アナ「藤波さん、おめでとうございます!」

さあ、藤波です。

第一声は「今日は、客に呑まれちゃって・・・」
アナ 「今日のMSGは超満員です。22500人です。」

藤波「そんなに入ったんですか。  (スープレックス)は、ゴッチさんの技なんですけど、僕に使っていいと。  最後のあれ(フィニッシュ)は、ギブアップなんです」

と興奮からか早口で。

 

舟橋アナの「これで猪木さんにいいお土産ができましたね」に絶句。

あらためて事の重大さをかみしめていた様子がうかがわれた。

当然のことながら、若い! そして、初々しい。

 

 ■藤波選手の話

 

うれしい。日本のファンのみなさんの期待に応えられ、最高の幸せ。試合は負ける気がしなかった。

エストラーダを最後に射とめた技は、メキシコで覚えたものです。

レイ・メンドーサ、エル・ソリタリオ戦で成功しているから、必ずやれると思った。3月頃日本に帰る予定ですが、そのとき、また新しい技(空中殺法)をお見せしたい。日本には必ず、このベルトを持って帰る。

 

 

 ■エストラーダ選手の話

 

残念だ。フジナミはスピードがあって、いいレスラーだ。

 

 

                    東京スポーツ 1978年1月26日号

 


 その日の夜、パーティーがひらかれて首脳陣からも祝福を受け、同時に「2ヶ月に1度」のアメリカでの防衛戦を義務づけられる。

 

 

※とにもかくにも、この日のこの鮮やかな大勝利が、藤波の名を世界に知らしめて、「ドラゴンへの道」がおおいに開いてくるのである。まさに「飛龍伝説のはじまり」でした。

この試合は、日本では「ワールド・プロレスリング」で中継され、当時の、猪木やシンの血で血を洗うような凄惨な試合の連続の中に、大変「さわやかな」印象を与えてくれた。 

 

 

後日談  
  タイトルを奪取し、大いに興奮して、控室に帰ると、周りのレスラーたちから冷たい視線を浴びたという。当時、原爆固めですら危険な技と認識されていたが、ましてや「飛龍原爆」は未知の技。 「エストラーダがケガをしなくてよかった。それと、あとで、暴れださなくてよかった」と藤波は述懐している(2012年) 

 東京から駆け付けて、3日前からニューヨーク入りした新日本プロレスの新間氏は、藤波に何度も「大丈夫か?」と聞き続け、ついには藤波から「出て行って下さい」と、控室から追い出されたという。(2019年東京スポーツ記事)

 野田元総理(プロレスファンとして有名)
いまでも、このときの興奮を覚えている人が多く、たとえば、野田総理は、後の藤波との対談で「あれは、凄かったですね。MSGで、カルロス・ホセ・エストラーダでしたよね。  あの技は、小学生には真似ができなかった(笑)」と。

 
  

ドラゴンスープレックス 飛龍原爆固め

  2022年の今でも、フィニッシュホールドにもなる時代の先を走っていた技だ。

 

 

みなさまお気づきのように(笑) 1978年の凱旋帰国のときから

ジュニア・ヘビー級時代の藤波さんの名勝負を特集しています。  

   2022.1.21 RSD