「大人の定義とは
自分の親を承認出来ること」
人間は皆、生かされている間、
未完成のままお互いを理解し、
承認し合う存在である。
この前提に立つと、
“大人”とは完成した人ではなく、
未完成同士で関係を引き受けられる人である。
そして
子供とは完全な存在としての親によって保護され、
時には支配もされるが、
責任を負わなくてもよい立場の存在である。
子供は世界の責任を引き受けなくてよい代わりに、
世界の構造を自分で選べない存在でもある。
大人は世界の構造を選べる代わりに、
その結果を引き受ける責任のある存在となる。
故に大人になるとは、
親を完全なる理想の存在から、
未完成ながらに責任を背負い生きている人間へと
位置づけ直すことでもあり、
同時に自分自身を
世界から「守られる側」から
世界を「引き受ける側」へ
静かに移行させることなのである。
私も若い頃は
自分の両親に強い反感を持っていました。
親の考え方は理解できなかったし、
人生を共有したいという気持ちにもなれませんでした。
でもある時、年老いた母親を見て、
不思議と「自分の子供を見るような可愛らしさ」を
感じるようになりました。
そのとき、
親が正しく変わったから愛せるのではなく、
以前と変わらず間違ったままでも、
人として愛せるという感覚を実感したのです。
これは理屈ではなく、
自然に起きた感情でした。
そしてその瞬間から、
親は「評価する存在」から
「守りたい存在」に変わりました。
この経験を通して私は、
大人になるとは
自分の親を正しい存在として認めることではなく、
未完成なまま生きている一人の人間として
承認できることなのだと感じるようになりました。
今、親との関係に苦しんでいる人にとって、
この話はすぐに腑に落ちないかもしれません。
ただ、
「そんな地点もあるかもしれない」
という可能性として、
心のどこかに残れば嬉しいです。