「不快の受け入れ方」
最終的に無敵になるとは
嫌なことをする人や言う人と
積極的に関われることだと思っている
自分の弱点を教えてくれるのは
たいてい自分が敵だと思っている人だ
その存在に感謝できるようになったとき
人は少し成長したと言っていい
不快には
「成長の材料になる不快」と
「消耗させるだけの不快」がある
その考え方は理解できるけど
私は同意しない
なぜなら
不快を区別し始めた瞬間
人はほぼ確実に
自分に都合のいい判断をして
不快から逃げるからだ
不快には自分に原因がある
だから私は敢えて断言したい
すべての不快は教材である
敵を倒す → 敵を教材にする
不快を消す → 不快を観察する
無敵になる → 反応しなくなる
不快を排除するのではなく
不快に反応しなくなると
戦わずに勝てるようになる
それが私の考える無敵である