京都2泊3日、市内を自転車だけで巡る「京都巡礼ライド2024」第2弾。のつづき。

 

長年訪れてみたかった詩仙堂にも大満足し、次の目的地である圓光寺を目指す。15:30を回った3月の京都は西日も傾き始めているので急がないと。
 
それではGO。
 
詩仙堂のすぐ左隣、八大神社。海外ツーリストがゾロゾロ出て来る。宮本武蔵目当て?
 
看板を見ると、「あの」吉岡一門との決闘はどうやらここで行われたらしい。
決闘はてっきり荒野の原っぱで行われたものだと思っていたが、こんな所までわざわざ登って来て、不意打ちの武蔵に首だの腕だの足だのを切り飛ばされるんじゃ、たまったものじゃないね(フィクションよね、アレって?)。
 
15:35 圓光寺。
 
詩仙堂から280m。ホントすぐ近所。
 
門の先、入口すぐ脇に駐輪場(駐車場)完備。
 
入館料600円(まあ良心的価格設定)を払い階段を上がると・・・
 
正面に本堂。そして右を見るとそこにあるのは、
 
!!!
 
なんだこれ!?
 
なんなんだ!この正気の沙汰ではない庭!!
 
調べると「奔龍庭(ほんりゅうてい)」は、2013年に作られた比較的新しい枯山水。
特徴的な石のレイアウトは、稲妻や龍に見立てているらしく・・・
 
これは龍が水中から浮上して来た様、(右向き&ツノ2本)なのだそうだ。
 
ドラゴンヘッドをさらにアップで。
 
作庭の魔術師重森三玲テイストを漂わせつつもやはり何かが違う、情緒よりイロモノ感が悪目立ち?(個人の感想ヨ)
 
いくら家康の墓所がある由緒正しき寺とは言え、チョイト攻め過ぎかしら、と思っていたが、
 
さらに奥に歩を進めれば、先程のアレな石庭とは打って変わって、何とも素敵な手入れの行き届いた苔むす庭が目の前に広がる。
 
庭の片隅には鐘楼も釣られている。
 
今は鈍色のこの池も、緑が豊かになる頃には輝くのだろう。
 
この庭は十牛之庭と言い、十牛図(悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの)の教えを下敷きに作られた「池泉回遊式庭園」。
 
そしてこちらが応挙竹林。
 
「若い頃にここを訪れた円山応挙が、後年この竹林をモチーフに雨竹風竹図(重要文化財)」を描き上げたのだという。
 
今さらながら、圓光寺についてちょこっと。
 
1601年関ヶ原の戦いのすぐ後、家康によって建立された(当時は伏見城下に)、「学校」としての機能を併せ持った寺であった。
 
学校というだけあって、当時ここでは儒学や兵法関連の書物が多数刊行され、その際木製の活字が作られ(伏見版・圓光寺版)、現在日本最古の活字として重要文化財とされ保存されている。
 
さて、その後圓光寺は伏見から相国寺山内に引っ越し・・・
 
さらに1667年、ようやくこの地に移り現在に至る。
 
つまり、1616年に亡くなってしまった家康はここを知らないと言うとだ。家康テイスト、ゼロ。
 
帰って来てこれを書きつつ今更ながら知ったのだが、敷地内には水琴窟、本尊の千手観音像(運慶作)、そして家康の墓(歯があるとか)これら重要アイテムを回収せず圓光時寺ダンジョンを出てしまった、嗚呼。
 
だって、
見学後半は圓光寺のBOSE達が雨戸をせっせと締め始め、「とっとと帰れオーラ」がビンビンだったんですもの・・・。
 
駆け足で見終わり、出口付近で京都市街を見下ろせば、既に薄闇が迫る。時計を見れば16:10、そりゃ追い出されるわ(16:00閉館)。
 
圓光寺総評:個人的には、俗っぽさ指数80(褒め言葉)。
 
件の奇をてらった石庭、入ってすぐに見える成金趣味の(褒め言葉)最近仕立てた金の襖、そして作り込まれたWebサイトとか(しつこいが褒め言葉)。
 
あ、十牛之庭は好き。
個人的に「ゼニの匂いがする寺社」がどうもアレみたい、ウフフ
インパクト大のお寺なので是非行ってみて、こういうの好きな御仁は。
 
時刻は既に16時過ぎ。今日最後の目的地はもう時間的に無理か!?・・・(11)本日の〆、曼殊院編につづく。