
ついにカーロスとジョーがリングでぶつかった。今度はエキジビションではない、タイトルマッチではないが、正式な試合だ。それは世紀の一戦と報じられた。
ベネズエラの無冠の帝王対、日本の闘犬矢吹ジョーとの一戦。人々はただごとならぬ物を感じて熱狂した。解説者は原始への郷愁とそれを揶揄した。
最初、余裕綽々だったカーロスは、ゴングと同時に、表情がかわった。ジョーから漂う雰囲気にただならぬ物を感じたからだ。
ジョーはエキジビションで、カーロスをロープ際に誘い、ロープの反動を利用したカウンターでカーロスの度肝を抜いた。しかし、今回の試合の前に、カーロスはロープが鉄の棒になり、二度と同じまねはさせないと予告した。
試合の始まりは、カーロスが慎重になり、互角に展開した。しかし、徐々にカーロスが本性を見せ始める。ジョーが待ち望んだものだ。「底を見せてみろ」、その言葉通りカーロスは底知れぬ実力を発揮し始める。
そこでジョーはロープ際に誘い、「ロープを鉄の棒に変えてみろ」と挑発する。カーロスは地をはうようなアッパーを放つ、その腕の振りはロープを絡め取り、ロープの弾力を奪った。棒立ちのジョーに強烈なボディが炸裂した。ロープは予告通り鉄の棒になったのだ。
しかし、その後、ジョーは再び同じ展開にカーロスを誘った。皆が自殺行為だと信じた。そのとき、マットにうずくまったのはカーロスだった。そう、ジョーの野生はギリギリの状態で反応し、カーロスがボディを打つ前にロープに腰掛けるように沈み込み、その反動をつかって、強烈なアッパーを放ったのだ。
カーロスは、心の底からジョーを認めた。強烈なダメージをおいながら、逃げまどうカーロスは、ゴングに救われた。
段平はいう
「まったく・・あんがいだらしねえやっちゃで、カーロス・リベラめ。女のくさったのみてえに、ひたすらちぢこまって逃げをきめやがって・・・!」
ジョーはいう
「おれはそうは思わねえな・・・あれでこそ、カーロス・リベラはまぎれもない野獣だと俺はみたぜ。野獣ってのは、見栄だのハッタリだのという余計な飾り物は必要としねえのさ。攻撃する際にも本能のおもむくままに、徹底するかわり、いったんダメージをうけて不利と知れば、傍目のかっこよさなんざ振り捨てて、ひたすら回復待ちをきめて身を守る!ああいうのはな・・・それこそ回復した後が怖いんだよ」
「年寄りに水をぶっかけるような言い方をするんじゃねえ バカ・・・」
「お互いもはや手負いの野獣どうしさ。あとは理屈抜き、小細工抜きでとことんかみ合うしかねえ。これからは、ただひたすらケンカを仕掛けてやるぜ。世紀の大げんかをな」
野獣カーロスを得て、ジョーの野獣が目覚めていく。過去のトラウマはもはやどこにもない。食うか食われるか・・古代パンクラチオンの復活だ。
人々は自分にはとてもできないが、心の奥底で自分の野生を感じている。力のなさが、ブレーキとなり、理性的に行動しようとする。
ルールにこだわるのは、それを超えたときに何が起こるのか知っているからだ。近代の歴史は、人の野生を奪い、文明という虚構に、それを封じ込めてきた。それはそれでよし。野生のあこがれは、スポーツへの昇華されたが、そのスポーツも洗練された野生とは言い難い。
飼い慣らされた現代人は、どこかに野生の暴発を心待ちにしている。それがゆがんでくると、野生ではなく、残忍さを醸し出してくる。
この先、我々の文明は野生と理性をどうやって折り合わせていったらよいのだろう。健全な野生すらどこかに封じられてしまった時代に、そのエネルギーがどこに暴発していくのか・・
健全なケンカができない文化はやっぱりおかしいんだよ。