UFO/ET事実情報:陸軍准将 スティーブン・ラブキンの証言 | 意識改革プロジェクトのブログ

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ディスクロージャー・プロジェクト:UFO/ET事実情報の公開 と 故ウイリアム・クーパー氏UFO/ET事実情報暴露講演の掲載

陸軍准将 スティーブン・ラブキンの証言
Testimony of Brigadier General Steven Lovekin, Esq.
2000年10月


ラブキン准将は1958年に軍に入隊した.彼は1959年にホワイトハウス陸軍通信庁に入り,超最高機密取扱許可を持ってアイゼンハワー大統領,次にケネディ大統領の下で勤務した.彼はブルーブック計画をよく知っており,この計画が非常に信頼できる情報源をもとに科学性の高い特定のUFO事例を記録したと語った.彼らは空軍パイロット,海兵航空隊パイロット,何人かの外国人パイロットたちにより撮られた写真,そして複数のレーダー自動追跡報告書を再調査した.彼はまた,ロズウェル墜落事件から持ち帰られた金属片を見せられた.アイゼンハワー大統領の下で勤務していたとき,彼は大統領がUFOに強い関心を持っていることを知った.しかしまた,彼がこの問題について統制を失ったことに気付いたことも知った.

SL: スティーブン・ラブキン准将 SG: スティーブン・グリア博士

SL: 私は1958年にフィラデルフィアにある私立の男女共学予備校ジョージ・スクールを卒業し,その後軍に入隊した.上級歩兵隊訓練を終えて私は国防総省に異動した.そこで私は無線周波数工学事務所(Radio Frequency Engineering Office)に入った.そこも終えて,次は1959年5月にホワイトハウス陸軍通信庁に入った.私はアイゼンハワーの下で1959年5月から彼が政権を離れるまで,続いてケネディの下で1961年8月に私が辞職するまで勤務した.

私の任務は暗号処理[と暗号解読]を学ぶことだった.その処理の過程で,私はブルーブック計画[これはUFOを扱う]について多くを知った.ブルーブックは事務所でかなり公然と議論された.ブルーブックの多くの部分は議論のために公開された.また,我々に持ち込まれる案件もあった. 我々が訓練を切り上げようとしていたある午後,ホロモン大佐が金属片と思われる1個の破片を取り出した.それはヤード尺のように見えた.その表面には文字が刻まれていた.ホロモン大佐は,その文字を我々のクラスの一人ひとりに見せた(そのとき6人か7人いたと思う).この物体はブルーブック作戦に関係する事案からのものだと我々は告げられた.

彼らが言おうとしていたことは,こうだった.“見なさい,君たちがブルーブックで見てきたことを裏付ける物理的証拠がこれだ.今や我々はこの物質を入手し,君たちに見せることができる” そして彼はそうした.彼はさらに,その物質が1947年にニューメキシコで起きた地球外宇宙機の墜落に由来すると説明し,議論は長時間に及んだ.私の記憶に間違いなければ,我々はさらに約1時間をこの議論に費やした.翌日それが再び議論された.彼らは遺体,地球外知性体の遺体があったことを確かに話題にしたが,彼は遺体の様子を描写しなかった.3ないし5体の遺体があった...収容された数として私の頭に残っている数字だ.これが起きたとき,一人はまだ生きていた.

その後彼 がどうなったか,私は知らない.


空軍はその当時ブルーブックに大変深く関与しており,UFOについての報告やUFOについて話すことに関するあらゆることが盛り込まれた厳格な規則があった.もし自分の経歴を台無しにしたいなら,その最も手っ取り早い方法はUFOについて話すことだ.我々はそのように説明された.私はそのとき入隊したばかりで,階層組織の一番下にいた.我々は最高機密と超最高機密のための訓練を受けていたところであり,もしこの情報が流れたら,我々はあらゆる種類の機密資料に接する許可を与えられなかっただろう.

我々は実に多くのものを見た.我々は数多くのUFO写真を見た.私が見た幾つかは,たぶんあなたが今日見るものよりもよいものだった.写真は空軍パイロットたちにより撮影された.

SG: そうすると,あなたは軍がUFOを撮影した公式の写真を見たのですね?

SL: そうだ,彼らが撮影した.そのとおりだ.これらの写真を撮影したのは空軍だけではない.幾つかは民間のパイロットが撮影した - そして幾つかは海兵航空隊パイロットや外国人パイロットによっても撮影された.明らかになったことは,ブルーブックに記録されていない他機関が所蔵する他の多くの写真があることだった.そのことから推測して,おそらくそれらの写真は我々が見せられた写真よりもよいものだった.ホロモン大佐はクラスの全員にそのことを印象づけた.

[グラッジ計画についてのチャールズ・ブラウン中佐の証言を見よ.彼も本当に重大な証拠はブルーブック,場合によってはグラッジからさえも外されて区画化されたと述べている.SG]

この地球外宇宙機の破片は,灰色がかった薄片のような物質で,おそらく8ないし10インチくらいの長さがあった.私にとってそれは巨大に見えた.というのは,私がこのような物を見るのは初めてだったからだ.見開かれた皆の目がその物体に集まっていた.そしてそれが何であるかを彼が語ったとき,驚愕が走った.それは不気味だった.それが初めて語られたときは部屋で1本の針が落ちてもその音が聞こえただろう.

SG: それが何であると彼は語ったのですか?

SL: 彼は,それがニューメキシコで墜落したET宇宙機から取られたものだと言ったのだ.そしてそれは軍が調査している残骸箱の一つにあったものだと言った.当時彼らは“逆行分析(reverse engineering)”という言葉は使わなかったが,彼らがそれを調査する必要があり,それには何年もかかると考えていたことから,それは逆行分析と同じようなものだった.よく覚えているが,ベルボワ(Belvoir)駐屯地にあった陸軍技術研究所(Army Engineers)で,彼らは多くの実験を行なっていた.私はそれに驚いた.そのことに私は本当に驚いた.

その刻まれた文字はヒエログリフ(象形文字)に似ていた.ヒエログリフを言い表すのは難しいが,もしあなたが何らかの古代エジプトの記録を見たことがあるなら,ヒエログリフが何かの形をなぞったものだと知るだろう.そしてこれらは何かの形を表していたように思えた.もし私がこの言語を解読する方法を見つけるための記号体系を知っていたなら,それを理解できただろう.その文字はとても
印象的だった.あなたもそう思っただろう.


上記文面内の墜落UFOの残骸部材に刻まれた文字はヒエログリフ(象形文字)に似ていたが下記動画の開始4分37秒後位当りで見られます


[別の折りにラブキンはこう説明した.国防総省の彼のグループは,この物体を解読が困難な高度な暗号の一つの見本として見せられたと.SG]

彼は錠のついたステンレスの箱を持っていた.まるで大工の道具箱だったが,それよりは大きかったかもしれない.彼はその物体をこの箱から出し,またこの箱にしまった.その箱にあったのはその物体だけではなかったに違いない.だが彼が見せたのはその物体だけだった.このことがあったのは無線周波数工学事務所だ.

思い出して欲しいが,国防総省では我々に一人の中佐の教官がいた.彼の仕事は我々を教えるだけでなく,信じる者にすることだ.彼がステンレスの箱のように見える物からあの破片を取り出したときがそうだった.それは埃っぽい灰色がかった薄片で,炎で焼かれたような外観をしていた.彼は,それが彼が持っている唯一の情報でも唯一の物体でもないことを示唆した.彼は他にも幾つか持っていた.おそらくその箱にはいっぱい詰まっていただろう.私には分からないが,あれが彼が取り出して我々に見せた唯一の破片だった.

彼がそうした理由は,我々が扱っているものがそれまで扱ってきたものとはまるで異なったものであること,しかし将来はそれを扱うことになることを,我々に理解させるためだった.彼は我々に対して,将来益々この主題に関わるようになることを知らせたかったに違いない.

彼はその刻まれた文字群が指示記号だと述べた.彼が述べたのはそこまでだったが,彼はその指示が,内容が何であれ,軍にとっては継続して取り組むに値する重要なものであると推測した.これはとてつもなく重要な何かであると彼ははっきり述べた.我々は当時国防総省の地下にいた.1959年のことだ.国防総省のその区域は,きわめて厳重に警備されていた.そこで働いていた誰もが私が今語っていることを知っている.その地下では,何が進行しているか上階の他の人々に知られることなしに,一つの戦争のほぼすべてを遂行できただろう.それほど厳重な警備だった.

私は最高機密取扱許可を得るために取り組んでいた.私は機密取扱許可を取得しており,その学校を修了した時点である種の最高機密取扱許可を与えられたが,一つだけ段階が上がっただけだった.というのは,当時この(UFO)問題だけのための機密取扱許可はなかったからだ.もしある問題を扱うとしたら,Q取扱許可を得ている必要があった.これは核問題取扱許可だった.おそらく後になって彼らはそれを変更することにしたが,次のことが大きな問題だったと記憶している.“この課程を修了した人々にどのような機密取扱許可を与えたらよいか?”

当時,ブルーブックに記録されるべき報告事例が1,500はあっただろう.それに記録された確認事例は科学性の高いものだった.この情報は特定の軍関係者以外に流出しない種類の情報だった.つまり,その中にある情報はきわめて正確で科学的なものだった.これらの事例は,これ以上ないほどに正真正銘のものだった.それらは軍あるいは民間の様々な立場で確かな信頼を得ている人々について語っており,いかがわしい人物を取り上げていなかった.これは,きわめて正確だと彼らが考えていた情報だった.

レーダー自動追跡の情報もあった.その幾つかはライト-パターソン空軍基地があるオハイオ州
からのものだった.しかし,私が覚えている限り,カリフォルニア州,テキサス州,ワシントン州から来たものもあった.私の推定では200から300の(UFO)レーダー自動追跡事例があっただろう.それらが記録された理由は,それが真実だったからだ.


我々が見せられたあの物質はニューメキシコの現場から来たと告げられたが,現場は他にもあり,ET宇宙機の墜落は他にもあった.彼らはそれがどこかは言わなかった.彼らはその場所を特定しなかったが,情報と物質を回収した場所がそこだけではなかったと明言した.

まったく別ルート情報である故ウイリアム・クーパー講演パート1:UFO墜落/ETの事実情報暴露も上記情報と関連して照し合せてみてください
クーパー氏はこの暴露講演で隠蔽機関に暗殺されていますビックリマーク
http://quasimoto.exblog.jp/10562686/

上記クーパー氏講演内にある次の真実もついでに知って置いてください
ウィリアム・クーパー講演パート9:「JFK暗殺の真相」と「真の宇宙計画」strong>
http://quasimoto.exblog.jp/10539621/

上記一連の情報が事実情報である事を再確認出来ます


ステージアップゲート 「サウンド・セラピー厳選極上選曲リスト集」より









近い将来、遅ればせながら私達も銀河連邦の仲間入りを許してもらえる時がやって来ます
!!

しかし、肝心の私達自身からの意識改革による自発的覚醒意識が乏しく遅れています

その意味と必要性すら知らない人、気づいていない人が殆どという状況にあります


その為のマインド動画として選定されたイメージ動画を順次、繰り返し公開しています

世界的に有名な科学者達の音声メッセージも聞きながら御覧くださいビックリマーク




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