出所を明確に覚えていないですが、
東京大学元学長の誰か様の話で、知るということは四段階で構成されるということみたいです。
1つ目は、知る。
これは暗記するとか、見たとか、事象と脳が一対一で紐付いている状態。
安倍晋三氏が総理大臣ですといった類いです。
2つ目は、理解する。
なんで総理大臣になれたのか?安倍晋三氏が今見でやってきたことは何か。誰が応援してくれているのか、歴史や背景等までもわかる状態。これが理解する。
一般的に知るというとここまで。
3つ目は、疑う。
本当に安倍晋三氏が総理大臣なのか?これは間違いないが、裏で糸を引いている人がいるのではないか、誰かの影武者ではないか?安倍晋三氏が総理大臣でいいのか?そういった状態が疑う。自分が今まで信じていたことが必ず正しいという傲慢さを捨てないと達しない領域です。本当に正しいのか?別の情報、見方、考え方があるのではないか。実際あると思う。研究者の数だけその数はあると思う。
自分は本当に自分なのか?これが正しい生き方なのか?ほとんどの人は自分を理解するときに一度は通って経験しているのではないでしょうか?これをありとあらゆる事象で行うということです。
4つ目は理解する。
疑って疑って、やっぱり疑いようのない部分。これが理解する。
時間をかけないと本当に理解するまでは到達できません。おそらく4つ目の理解すると2つ目の理解するは全く違う次元だし、だから2つ目の理解するときには理解していなかったことが理解できる。
小説とか、
映画とか、
人生とか、
スポーツとか、
勉学とか、
仕事とか、
交友関係とか、
そういったもの全て、
疑った先にしか真実はない。
疑え!