■本日もお越しいただきましてありがとうございます。
皆様にとってまた私にとってプラスになりますように。

■感謝
世界の文化に感謝

■日記
イタリアを旅する前に、イタリアの歴史を少し。

イタリア半島はアルプスヒマラヤ造山帯のプレートの動きで出来上がっ半島で、旧石器時代に人類が住みだしました。
ローマ帝国時代は2800年前ほどに出来、それより前は不明なため約2800年の歴史があると言えるでしょう。
南イタリアではギリシャ人がシチリア島に昔から先住民として住んでいました。後にフィレンツェとなる地域にはエルトリア人、サビーニ人、ウンドリア人等が入れ替わり立ち替わり住むことになります。
イタリアの始まりが記録された古い話や伝説によると、紀元前753年、ロムレス、レムス、二人とも男の子で双子の兄弟が天孫降臨で出現、ロムレスが初代ローマ帝国の王様になりました。紀元前573年に7代目王様が追い出され、共和国へ変更、二院制が共和国で採用されていました。今の政治の二院制はこの時既に採用されていたことになります。
イタリアでは政治が進んでいたので領土の統制を戦争、武力、軍事という形ではなく相手と交渉、話し合いの上、同盟国として領土を拡大、地中海の向こう側のチュニジア等もそのように交渉により属国を増やし、ローマ帝国の一部として相手の自由を認めながら国を大きくしていきました。そのように軍事的に無理やり大きくしていくわけではないので、小さい国や近くの国が、自由を認めてくれるならということで、自ら、向こうから属国として入ってくることもありました。
民族の構成はますます複雑化します。ケルト民族、ガリア人がドイツからやってきてローマへ進んだり、ギリシャ人ターラントがやって来たり、国が栄え、2300年ほど前、つまり、紀元前300年頃にはイタリア全土がローマ帝国となりました。
その後は、カルタゴと戦争を始め、ローマは北アフリカ、サルベニア、地中海を領土としました。
その後、主としては軍事的な支配を好まなかったローマですが、北アフリカ等の国は何度も反乱を起こすので、力で抑えるしかなく、第三次ポエミ戦争で徹底的にチュニジアのカルタゴを潰しあげました。毎回反逆の狼煙をあげるのでキリがないので、皆殺しにして、土地も焼き払い、更には塩をまいて、食物が育たないようにし、その後の未来をも奪いました。
紀元前から紀元後、西地中海をほぼ制覇、それから東へ移動していきます。そして地中海全域を制覇、統治ができない政治運営のため、領土の端々で反乱が、紀元後0年頃は内乱ばかり、その状態が約100年続きます。
その内乱を統治したのがカエサルです。
この頃のお話は映画テルマエロマエ1.2をご覧ください。カエサルの姪っ子の子供オクタヴィアヌスがアントニウス(北村一輝さん)クレオパトラ連合軍に打ち勝ちます。そして
元老院に認められ皇帝となる。ティメリウスが二代目、帝国政治が広がり、平和と安定が広がった。その代わり兵役等が国民に強いられました。
ローマ帝国バブルは紀元後2世紀、五賢帝の活躍により、コンスタンティヌス1世の統治のもと起こります。武力のみで国を治めるのは難しいと判断したコンスタンティヌスは武力の統治では中央政府の意見は端々の末端まで伝わらないことを、紀元後306年キリスト教徒に助言を求めます。そして、313年ミラノ勅令が出て、キリスト教が国教に定められ、宗教での統治を目指しました。
紀元後380年、テオドシウスの時代に、これまで口頭での国教指定だったものが、国の法律の経典に載ったことで正式に公式に世間一般に認められました。
紀元後395年テオドシウス一世死亡、国が分裂します。東ローマ帝国と西ローマ帝国の誕生です。分裂を発端に外国から様々な国が進出してきます。ドイツのゲルマン民族が、やってきたり、騎馬民族もやってきます。410年にローマはゲルマン民族に支配され、西ローマ帝国は470年代消滅、東ローマ帝国は細ぼそとやっていくことになります。
五世紀になると、北アフリカからゲルマン民族がやってきて、東ローマ帝国も支配され、イタリア全土が支配され、ここでローマの栄華が途絶えます。
西暦774年、フランク王国のカール大帝が絶大な力を持つローマ法王の指示で北イタリアに出て、この地を奪い返します。そして、カール大帝が王様になり、これが新生ローマ帝国の始まりです。またもや武力ではなく宗教ローマカトリックでの統治を目指します。
少しローマ法王の話をば。ローマにいたローマ法王。ヨーロッパ中のほとんどがキリスト教です。各国で戦争があっても、宗教は全員同じカトリック。お金もたんまり持ち、すごい力を持ちます。12世紀から13世紀頃が最も力を持ちます。
ローマ法王は国から上納金がもらえます。ローマ法王の立場からするとたくさん国があった方がいい。というのほたくさん国があるとそのたくさんの全ての国から上納金がもらえるからです。たくさんの国から上納金をもらいたいのです。一つしか国がなければ一国からしか上納金がもらえません。更に言えば、ローマ法王は一つの大国になり、反乱を起こされることを恐れました。一方皇帝は国を一つに統治したい。幾つもの小国があるよりも、一つの国として統治した方が統治しやすい。小国であれば反乱を起こされる可能性があります。ここで一つの国に時したい皇帝としたくないローマ法王の間で政治的な対立が生まれました。この政治的な対立の元で生まれた悲劇の恋の実話のお話が、シェイクスピア作、ロミオとジュリエットです。お互いに貴族ではありますが、政治的に対立するローマ法王側と皇帝側出会ったために、結婚することが認められず、叶わぬ恋となりました。おおロミオ、あなたはどうしてロミオなのという言葉はあまりにも有名です。これはイタリアのヴェローナでのお話しです。ヴェローナはミラノとヴェネチアの間ほどにある北イタリアの町です。このローマ法王と皇帝の対立はこれが15世紀頃まで続きます。
その後はイタリアは戦国時代に入ります。ちょうど日本での戦国時代同じ時期です。領土の取り合いのために国内で戦が頻発します。その中で異質な道を進み、頭一つ飛び出るのがメディチ家です。メディチさんは元々は羊飼いで名字もなかったほどの位でした。メディチさんはこのままでは、拉致があかない。鮒谷さんで言うところの収穫祭をやっている場合じゃないと、一念発起、羊を全部売って、お金に変え、フィレンツェへやってきます。フィレンツェで富士薬品のようなことを始めました。配置薬をしたのです。金持ちの多くが忙しく、これがフィレンツェで流行り、儲けました。薬のメディチ、その後アメリカでのメディスン、メディカルの語源になるほどです。そして、その後、儲けたお金で王様や貴族向けに貸金業を始めます。年利は30%から300%です。これにより更に莫大な財力を得て、後に王様となります。この時代の政治は財力がものをいいます。
メディチ家が王族になりましたが、メディチ家は外部との領土争いよりも自国の統治に注目しました。その中で外国の危険地域から芸術家が集結してきます。そして文化、芸術が発展、更に芸術家が集まってきました。ダンテ、ダ・ヴィンチ等、外国が戦に明け暮れる中、一国のみ芸術が栄える当時のヨーロッパでも異質な状態です。これがルネッサンスと呼ばれるものです。
その後のイタリアは戦国時代の内紛状態を狙われ、フランスやスペインに支配されていきます。そのため国教をキリスト教と定めていたイタリアが力を失って行く中で、キリスト教の力も弱まっていくことになります。
その時代に出てきたのがマルチンルターです。カトリックはお金を集め、献金重視で神父が儲かるだけで貧しいものが救われない。お金じゃなくて、お祈りをしたらいい。そういった新しいキリスト教、プロテスタントを始めようとしました。対してカトリックは更に厳しい規律を作り、今でもキリスト教は大きく二つ、カトリックとプロテスタントに分かれています。
この頃オーストリアのハウスブルク家(マリーアントワネットの実家)もイタリアに干渉、1760年代ナポレオンもイタリアに干渉(コルシカ島、ジェノバ生まれ、ナポレオンボナパルト、イタリア語訛りで悔やんだ。時代が違ったらイタリア人だったかも。1年の違い。)1798年ローマがナポレオン率いるフランス軍に取られます。
ここでイタリア訛りのフランス人ナポレオンにより1400年ぶりにイタリアが一つの国に統一されます。しかし、イタリア人にとってはイタリア人ヴィットリオによる統一がイタリアのいう統一なのでナポレオンの統一は認めていないし、教科書にも載っていないようです。
その後は結構近代の話で、1814年から1815年ウィーン会議、会議は踊る、されど会議は進まず。国境線をもう一回決め直そうという会議でした。その会議後、イタリアはもともと二つの国だったので二つに正式に分割、北と南とされました。
その後は、イタリアで独立戦争が起き、1830年代オーストリアのウィーン、ラデツキー将軍、(ラデツキー行進曲が有名)が反乱軍を抑えるためやってきていた(ラデツキー将軍が好んだミラノ風カツレツ、持って帰ったものがウィンナーシュレッツィエル)。ラデツキー将軍とハウスブルク家が反乱軍を抑えに来てくれました。その際に、オーストリアのロンバルディアとサルベニアをイタリアに返した。サルベニア王国のヴィットリオさんがイタリアを統一。これがミラノのヴィットリオ回廊に刻まれています。ちなみにサルベニア貝がカメオのブローチの原料です。
イタリア王国の成立(ローマとヴァチカンは除く)は戦争ではなく、交渉、話し合いのもとにまとまり、初代王様としてヴィットリオが任命されました。これまで長く内乱や支配を受けバラバラだったイタリアが統一されたため、イタリア一国として強くなり、オーストリア1866年ハウスブルク家を倒し、ウィーンを奪還、ローマもローマ法王より取り返し、ヴァチカンのみをローマ法王のもとに。1871年よりイタリアの首都に定めました。
ローマ法王はローマを返還し、ヴァチカンのみの領土となり、面白くありません。ローマ法王とイタリアの王様は仲違いしましたが、1929年ラプラノ条約にて和解します。
1914年から1918年第一次世界大戦、1918年終了間際にイギリス軍と同盟、参戦、戦勝国になる。1922年よりムッソリーニによる独裁政治、ファシスト党の政治、王政を政治から排除。秘密警察を使った恐怖政治。
第二次世界大戦ではドイツ、日本、イタリア、は敗戦国。王様と反ムッソリーニ派がムッソリーニを幽閉、連合軍に宣戦布告。イタリアの中に連合軍側と軍事政権の二つ。ドイツのナチス軍がムッソリーニを奪還、南北分裂。南イタリアには王様、反ムッソリーニと連合軍、北イタリアにはムッソリーニ率いるサロ共和国、日独伊三国同盟。イタリアは外でも中でも戦う状態となります。ムッソリーニがスイスに亡命しようとしていたところ、捕まり処刑されます。
これだけがんばった王様ですからもう一度王政に戻るかと思いきや、第二次世界大戦後、国民選挙により、王様いらないと判断され、王様2回目の国外追放、ここで王政が終了します。この王様の末裔はスイスにて現在も暮らしているとのことです。
1949年NATOに加盟。1950年から経済成長、先進国の仲間入り、1994年からベルルスコーニ首相が、2002年に通過リラが廃止、ユーロ通過導入、2003年、中東戦争、アメリカのイラク侵入賛成派、イタリア軍も参戦、国民の反発によりベルルスコーニ首相退陣。しかし、2006年返り咲き。2011年まで勤めた。その後モンティ首相。イタリアは大統領と首相がいます。イタリアの大統領は日本の天皇陛下の役割。2006年からナポリターノさん。議会の解散の権限。しょっちゅう解散しますが、日本のようでも外交はうまいのでGセブンにも入っているし、ユーロの初めのメンバーでもあります。海外からの評価は中身はぐちゃぐちゃだが、外面がいいという評価です。
イタリアの格差はリーマンショック、ギリシャ崩壊を受け、経済は崩壊寸前。失業率7%、ナポリ25%。治安は非常に悪いです。若い人は働き口がなく、外国へ行きます。
日本でわかりやすい話と言えば、宇多田ヒカルさんの結婚です。旦那さんはイタリア人、いい大学を出たが仕事がなくロンドンへ。それでも仕事がなく止む無くバーテンダー。働いている時に宇多田ヒカルと知り合ったようです。いい大学を出ても働き口がない、今のイタリアの若い人の象徴です。南イタリアは過疎地で若い人がいない。老人ホームみたいな地域と呼ばれています。イタリアは昔から小国単位なので国思想ではなく、故郷思考、町思考でワガワガの状態。外交はいいが内政がダメです。ぐちゃぐちゃです。

ここからは余談ですが添乗員さんのお話でイタリアとの感動物語です。

4年前アラブの春の革命。エジプトで革命が起こりました。カイロで暴動が起きた。日本人もエジプトから全員帰るように。カイロに帰ろ。ホテルは開けたらダメ、火炎瓶、外務省から連絡、日本人は全員同じホテルに集まってくれ。国が飛行機を用意する。JTB、HIS、阪急交通社、個人旅行者全員で集まった。添乗員に詰め寄られる。4日5日ホテルに詰められた。JALを3機用意しましたと連絡、ヤッター。潰れると聞いてたけどやっぱりJALよね。それから1日たっても来なかった。日本法では危険地域に着陸できない。ローマに着陸。
ベルルスコーニさんが手配してくれた。第二次世界大戦からお世話になっている。日本人は観光にも来てくれる。イタリアは日本に恩返し出来ていない。今こそ。
民間機のアルタリア航空を飛ばせる法律をつくり、任意で機長、スチュワーデス、を集め、危険なカイロまで迎えに来てくれた。二時間かけて、ローマに戻った。自由席、奥から詰めて。ゲートからゲートへ直接移動。JALでも全員の機長、スチュワーデスが整列、カイロまでお迎え行けず申し訳ございませんでした。奥から詰めて。あったかいお茶、日本食。安心の翼がJALが日本まで迎えに行きます。
イタリアの首相にお世話になった。
イタリアと日本はとても仲良い。日本人が好きで中国人が嫌いな人が多い。
2000年前の一番華やかなローマ、
500年ほど前に栄えたフィレンツェ、昔からの町シエナ。

カエサルが紀元前59年あるの川の北側に街を作ったのが始まり、繊維作業、グッチは毛織物屋、ウールのコート。バッグ買う人はお上りさん扱い。フェラガモも始まりは靴ではなく、毛織物、オーバー、コート、上着。今では靴。フィレンツェの商人、金持ち、金貸しを始めた。自分家用の教会を作り始めた。1406年ピサを制圧、海なし権だったが、海あり県に。お金かけるとこなくなった。あまりを美術、芸術への投資した。スペインに支配されフィレンツェの統治をメディチ家に任せたため、スペインの犬と呼ばれた。その後は2度と王様に戻ることはなかった。家も屋敷も立派になり、金貸を始め、金利でもうけ、身分が高くなり、貴族。金があり、発言力も出て来て、代議士になり、政治的力を得て、王様になり、娘を各国の嫁にだし、身分を固めて行った。いくいくはローマ法王になった者もいた。その莫大な財力で集めた絵画が納めてあるのがウフィツィ美術館。
ウフィツィ美術館のウフィツィは英語のオフィスの語源。
コジモ一世、えれおろーら。宮殿を購入。ヴェッキオ宮殿、ヴィッティ宮殿。巨大な立派な渡り廊下を作った。間で仕事をしよう。それが現在のウフィツィ美術館。渡り廊下に美術品をたくさん集めた。それが今の興り。丸い玉六つ、御紋証、丸薬を示す。
春、ボッティチェリ、
ラファエロ、ヴィーナス
ダ・ヴィンチ、
世界4大美術館
ロシア、エレメタール
イギリス、国立
フランス、ルーヴル
フィレンツェ、ウフィツィ

観たい映画
ひまわり

メモ
パルミジャーノレッジャーノ、アメリカのクラフト社、パルメザンチーズ、インスタント、安い



■今日のテーマは「イタリアサードインプレッション」です。

イタリアは美しい

■本日の生き方
7時間睡眠
6時間ヴェネチア
3時間移動
8時間フィレンツェ

■明日の生き方
7時間半睡眠
15時間フィレンツェ

■理想の生き方
7時間半睡眠
1時間勉強
3時間仕事
30分ランチ
30分勉強
6時間仕事
30分晩御飯
2時間半フットサル又は勉強又は読書又は飲み会
1時間家でゆっくり