お上から書留が来ました~!



これで
「な~んちゃって、手違いでした、スミマセン」
とか言われない安心感♪

ところで証書の一番下に「国立印刷局製造」とある。
日本銀行券と同じところで印刷されたんだね。

今夜の主食は
ネットで話題になっている親子丼、いや、
”母子家庭と内縁の夫丼”。

*******↓これが、もとツイートらしい*******

親子丼といえば今日職場で「うちの親子丼は卵と鶏だけじゃなくて豚肉を入れます。コクが出ておいしいです」と言った同僚が「それもう親子じゃないじゃん!」「名前付けなおせ!」とフルボッコにされた挙句「母子家庭と内縁の夫丼」というあんまりなネーミング喰らっていた。

Twitterで知った、芦田先生の新刊!
『努力する人間になってはいけない ― 学校と仕事と社会の新人論』

見たことがないほど充実した索引や津田大介さんの帯、
そして、どこから読んでもいいストーリー展開。
思い出したり、ガッテンしたりしたことがたくさんある中、
ここでは
3点、ばらばらに触れてみる。
(このブログにしては、長文なり♪)


(1)コミュニケーション能力について

企業では盛んに求められる能力のひとつ。
確かにコミュニケーション能力は重要、でも、最近、コミュニケーション能力”のみ”に長けた人が増えているのかも、と、なんとなく思っていた。
多くの大人は、自分自身のことを棚に上げつつ、「なんか、薄っぺらいよね/軽いよね」と、”近頃の若者は”トークをする場面だろう。
しかしこの本を読み、国の教育指針が変化した結果であることを理解。

『インプット(ストック)のないアウトプット(コミュニケーション)は存在しない。教育におけるアウトプットは、インプットの強化のためにあるのであって、方法主義的な「スキル」を磨くためにあるのではない。』(247頁)

そう!大学等の高等教育機関では、なんでもかんでもインプットする(=吸収や勉強の意に近い)のを優先し、コミュニケーション能力はその後その土台の上に培うものだと、本当に思う。

自分が思う理由のひとつは、卒業後にインプットするような機会や時間が激減すること。ただ、それに気づくのは大抵卒業してからなのだけどw
あと、特に学生に迎合しない(?!)タイプの教授の後ろ姿から学ぶことは、本やネット情報から得られる学びの深さに比べ、半端なく深いこと。これも卒業してずいぶん経たないと実感しないポイントですね。


(2)学校の塀の意味について

学校の校門や塀の意味について、
『この〈教育〉の「上から」目線、「権力」目線は、〈学校教育〉の対象である若者を家族・地域・社会から引きはがずもののためのものであって、社会的な階層流動性の原理をなしている。』(211頁)
とある。

階層流動性とは、つまり、一発逆転もしくは階層維持のチャンスが、どの子どもにも等しく与えられているということである。

これは、公立小中高に通った者としての実感そのもの。
確かに、上流階級の子どもも、中流・下流の子どもも、極論すれば犯罪者の子どもであっても、学校の塀の中に入れば等しく教育を受けることができる(ようになっていた)。

それが近年、「自己表現力」や「コミュニケーション能力」のファクターが追加され、さらに「討論型」「体験型授業」が流行しているという。

・・・そんなことをしたら、「お調子者」や「がんばっていますを主張できる子」や「お家柄のよい子」が高評価となる。
なんか、明らかに、教育後の結論がおかしくなりそう。


(3)努力する人間になってはいけない について

本のタイトルでもある、『努力する人間になってはいけない』。

①怠け者だけれども目標を達成する人
②がんばり屋で目標を達成する人
③がんばり屋で目標を達成できない人
④怠け者で目標を達成できない人

のうち、人材で有害なのは③(26頁)。
後述される理由とともに、確かにそう!、と。

がんばってみることは非常に重要だけど、がんばり屋さんの中には、何種類かあって、そのひとつに「がんばる」こと自体が目的でありゴールになってしまっている場合がある。自分でも経験がある。でも、それでは永遠に目標は達成できない。

そうか、『〈努力する〉の反対語は』〈努力しない〉ではなく『〈考える〉』。
ひたすらむやみやたらに〈努力する〉のではなく、目標を達成するためにどうすればいいか〈考える〉。

そして、その〈考える〉力のために、ストック(インプット)が必要、なのか~。