Boleyn Ground(ブーリン・グラウンド)/Upton Park(アップトン・パーク) | Stadiums and Arenas

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スポーツ観戦が趣味の筆者が、これまで訪れたスタジアム・アリーナの印象を綴るブログです。

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Boleyn Ground(ブーリン・グラウンド)/Upton Park(アップトン・パーク)
開場1896年
閉場2016年
収容可能人数35016人
アクセスUpton Park駅(London Underground District Line)から徒歩約15分





上:ブーリン・グラウンドの外観
下:ブーリン・グラウンド内部
(手ぶれのひどい写真で申し訳ありません)

1904年から2016年までの間、ウェストハム・ユナイテッドのホームグラウンドとして知られていたスタジアム。正式名称はブーリン・グラウンドだが、スタジアム界隈がアップトン・パークと呼ばれているため、このスタジアムもその名前で呼ばれることも多かった。

ウェストハムは1895年に創設され、元々は東ロンドンにあった造船会社のテムズ・アイアンワーク社が所有していたチームである。1900年にプロ化したことでウェストハム・ユナイテッドと改名した。その当時から本拠地にしている東ロンドンのウェストハムと言う地域(アップトン・パークも、大きく括ればこの地域の中にある)は、少し南に下ればテムズ川に入ってくる船の荷卸し場があり、20世紀中盤までは造船業でも賑わっていた地域で、肉体労働に従事している人達が多かった地域である。造船業の肉体労働者のチームと言うルーツとアイデンティティを残し、ハンマーが2本交差されているエンブレムを纏っていることから、チームの愛称はHammers(ハマーズ)の愛称で知られるチームである。1904年にブーリン・グラウンドが作られると、2016年まで一貫してこのスタジアムを本拠地として活動した。

下町のクラブということで資金力に恵まれず、FAカップを3回獲得したことがあるだけでリーグ戦のタイトルはない。だが、育成組織には定評があり、特に1960年代にボビー・ムーア、マーティン・ピータース、ジェフ・ハーストらイングランドサッカー史上屈指の名手を輩出し、1965年にはヨーロッパ・カップウィナーズカップも獲得している。一般的にはこの時期がハマーズの黄金時代として認識されている。

ロンドン東部にはごく最近まで、通称「イースト・エンド」と呼ばれる下町地帯だった。下町と言うと基本的には労働者の生活場所と言う印象が強いかと思いますが、ロンドンのイースト・エンドはごく最近までチャールズ・ディケンズの小説の題材になるような貧困・暴力・不平等がはびこるスラム地帯も多く、昔からこのチームのサポーターはかなり鼻っ柱の強いのが多かったようである。

特に有名なのは、ハマーズのサポーターと、ウェストハム近隣にあった他の造船場のサッカーチームが前身であるミルウォールのサポーターとの抗争。イングランドでフーリガニズムが爆発する1980年代より前、サッカーチームのサポーター同士のライバル関係は暴力を伴わないものの方が多く、激しいライバル関係で知られるリバプールエバートンのマージーサイド・ダービーも、1970年代末までは両チームのサポーター同士が隣り合って座る風景がよく見られた。だが、イーストロンドンとノースロンドンのダービーは当時からすでにかなり危険なダービーマッチだったようで、特にイーストロンドン・ダービーに至っては、罵り合いは序の口、ケンカ・器物破損は当たり前、殺人事件さえ稀ではないと恐れられていたようである。最近でも2008年にはイーストロンドン・ダービーの試合中にスタジアムで殺人事件が起こってしまった。最近ウェストハム界隈の治安は悪くないが、それでもイーストロンドン・ダービーは観戦を控える様強くお勧めする。

私のイギリスでの指導教官はロンドン出身で1980年代のイギリスを知る人だが、「当時普通の人は、ウェストハムなんてとてもじゃないけど怖くて行かなかった」と言っていた。それらの印象が、果たして本当に事実に基づいていたのかは解らないが、チーム側も基本的にはパブリックイメージが極めて悪いチームだという自覚はあったようで、1990年代以降はかなりイメージ改善に力を入れ始めた。更にいうなら、1980年代のフーリガニズムの下地になったイギリスの不景気にマーガレット・サッチャー首相が大ナタを振るったこともあって、1990年までには少しずつ状況が改善されていった(ただ、景気改善のためにサッチャーが取った手法に対しては、今でも賛否両論が激しい)。

現在ではロンドン東部の治安も随分と改善されているし、チームもサポーターが家族連れで来れるようにと様々な趣向を凝らしているので、現在のハマーズのホームゲームは一般的なイングランドのスタジアムと同様に安全だった。とは言え、それでも鼻っ柱の強い雰囲気も残っていて、私が行ったときは父子連れの2人が隣に座っていたのだが、その子供の方の10歳くらいの少年が子供とは思えないような言葉とジェスチャーで相手チームや審判をののしっていた(苦笑)。

ハマーズの企業努力の甲斐あって、最近ではイングランド国外にもファンが多数いる。だが、そのせいで収容可能人数35303人のブーリン・グラウンドは手狭な感が否めず、2012年にロンドン五輪のメインスタジアムとなった、オリンピック・スタジアム(ロンドン東部ストラトフォード、6万人収容)へ2016年に移転した。ブーリン・グラウンドのある土地は再開発のために利用されることが決まり、2016年9月からスタジアムの解体作業が始まっている。オールドファンでなくても寂しい限りだが、長い歴史と多くのファンを持つこのチームは新しいスタジアムも満員にするだろう。そして、どのような新しい歴史をこれから築いていくのかも注目である。

ちなみにこのスタジアムは、ウェンブリー・スタジアムが新しく作り直されていた2003年に、イングランド代表の国際親善試合の会場になったことがある。それ以外に、イングランド代表以外の国同士による国際親善試合も2回開催された。

イースト・ロンドン特有の空気が堪能できたスタジアムだったが、交通の便は悪かった。最寄駅はロンドン地下鉄ディストリクト・ラインのアップトン・パーク駅。この駅からは一本道なので迷うことはなかったが、ロンドン中心部から電車で約20分ほどかかる上に、ディストリクト・ライン一本しか通っていないので、この電車が遅れたり止まったりすると困ってしまう(そして、ロンドンでは地下鉄が日本とは比べ物にならないほどよく止まる)。また、近くに他の駅がなかったので、試合終了後はアップトン・パーク駅に入るための入り口に長蛇の列ができていた。試合の日はスタジアムの周辺に食べ物屋の出店が出たので、食糧調達には困らなかったが、スタジアム内に食べ物の売店があまり見当たらなかったことを覚えている。

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ウェストハム・ユナイテッド公式ホームページ