イギリス社会とスポーツの事情 | Stadiums and Arenas

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スポーツ観戦が趣味の筆者が、これまで訪れたスタジアム・アリーナの印象を綴るブログです。


私は2011年から15年までイギリスのロンドンに大学院留学で滞在していたので、その時にいくつかスポーツの競技場を訪れたことがあります。その時の印象をこれから数回にわたってご紹介したいと思います。

渡英する前から、イギリスには過去の階級社会の名残が現在の社会にも確かな底流として流れている、と聞いていました。ですが、21世紀の今の世の中でそんなものがまさか、と思っている部分もありました。

ですが、本当にあるんですよね、これが。日本でプレミアリーグの試合を見ているだけでは伝わってこない。でも現地にある程度長期間住んでみると肌で感じられてしまうんです、ひしひしと。

私が2011年から12年に住んでいたロンドンのトッテナム南部は高級住宅街とは言えない地域だったので、週末になると行きつけのパブでビールをひっかけながら顔なじみの客とサッカーを見ると言う光景がよく見受けられます。私も、行きつけのパブでは結構可愛がってもらえました。

だけど、私の大学院時代のイギリス人の同期生、つまり「イギリスで大学院まで行けるだけの教養と教育を受けられるような社会的バックグラウンドの中で育ったような人達」は、とてもじゃないけど怖くてそんなところに行けないんじゃないかと思います。喋り方、訛り、身なりや立ち居振る舞い、これが全然違うから、否が応でも浮いてしまう。同じイギリス人なのに、お呼びでないんです。

さすがに今の時代は、20世紀前半以前のように「大学に行くのは貴族の子供か富豪」と言う時代ではないので、高等教育を受けるにふさわしい教養と教育があれば出自は関係なく門戸は開いています。ですが、その教養と教育は子供の頃からしっかりと体にしみこませなければならないものでして、身につけられるだけの教育を受け続けて来た人とそうでない人との間には、明確な差が出る。だからと言って後者が皆貧乏だったりすると言うわけではなく、社会的な成功を収められないと言うわけでもありません。ただ、この両者は基本的には交わらない。

そのような階級社会の上に、イギリスのスポーツは成り立っています。「上流階級のラグビー・テニス・クリケット、労働階級のサッカー」と言う構図は、多少大雑把すぎるとも感じられますが、それでもイギリス社会の実態をある程度的確に表現していると思います。眼に見えないけど、間違いなくそこにある束縛が常について回るイギリス社会の中で、毎週特定のチームの応援席に入る人達にとっては、サッカーの試合こそが日々のうっ憤を晴らせる場所なのです。フィールドを取り巻く選手やファンの情熱と言う意味では、プレミアリーグに並ぶものはないと評価するジャーナリストも少なくありませんが、その情熱の背景にはサッカーやスタジアムを取り巻くイギリス社会特有の環境があるんだと思います。

イギリス人の友達で日本でスポーツを見たことがある人が、「日本の人は本当にしっかりとスポーツを見てるよね」と言っていました。私もそう思います。1980年代のフーリガニズムはもうかなり過去の話になったとはいえ、ゴール裏の応援席にいる人達の中には目を血走らせながらむき出しの殺意を吐き散らしているような輩がいっぱいいて、暴れ叫ぶ事の方が目的なのではないかと思ってしまうような連中がいることが多い。それと比べると、日本ではスポーツに興味がない人が競技場に足を運ぶということはあまりないと思いますし、試合を見ている人は声援を送りながらも選手達のプレーをしっかりと見ていると感じられます。

どっちが良くてどっちが悪いのかと言うことを問うことが目的ではないのですが……それぞれの国にあるスポーツ文化とその背景にきちんと焦点を当てて、イギリスのスタジアムの紹介ができればなあと思っています。

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