7月16,17日は佐賀県唐津へ。九州・沖縄にある医療生協8組織が一堂に会しての組合員交流研修会が5年ぶりに現地開催で行われた。

 コロナ蔓延の時期は、オンラインによる開催だったが、やはり、一堂に会して親交を深めあうことはいいことである。ただ、16日の夕食交流会のあとの自由交流会については開催会場が小さくなるためにコロナ感染防止の観点から出発前に中止が決定していた。
 参加者は360名くらいだったようだが、宮崎からは職員2人を含めて36名が参加した。行きは、宮崎医療生協病院を朝7時に出発し、宮崎駅で延岡からの参加者6名(おそらく、延岡発5時くらいの電車で宮崎駅に)、都城から2名を乗せ、途中で数回SAにより、お昼は注文していた弁当を北熊本SAで受取り車内で食事、受付開始時間13時前に現地のホテルに到着した。

 13時45分からオープニングセレモニーで歌声による歓迎
 

14時から、開会・歓迎挨拶に続き 基調報告「医療福祉生協連2024年度秋の生協強化月間方針の提案」がなされ、引き続き、
 

 佐賀大学名誉教授染谷氏の記念講演「いまこそ憲法から学ぶ、安全で平和な社会を守るために」が行なわれた。  内容は、佐賀県知事や佐賀市長・漁協が容認したために千葉県木更津駐屯地から佐賀空港への移転が決まっている?オスプレイ新基地の建設に絡む内容だった。  容認を受けて、県側と国の売買契約?を受けて、国は姑息な手段に打って出た。佐賀駐屯地の面積は34ヘクタール、駐屯地の排水施設として7ヘクタールで合わせると41ヘクタールになり県の環境影響評価条例では35ヘクタール以上の工事はアセスによる評価を受ける義務があるのに、2つは別施設としてアセス逃れを行い、数年間の工事の延長を逃れたという話である。  さらに、翌日に行われた大分科会「佐賀空港オスプレイ問題」においてパネラーの一人である「佐賀空港自衛隊駐屯地建設工事差し止め」の原告団長でもある地権者(自衛隊が購入する?購入した?埋め立て用地)代表の話の中で明らかにされたのは、  令和3年の九州防衛局長のアンケートや令和5年の駐屯地予定地の取得購入についての書面も地権者だけを対象として送っている(地権者は個々人である)のに、佐賀県と漁協は昭和38年に国造から見の60ヘクタールについて県から売却されたが、形式的に漁協が契約書に署名・捺印していることを逆手にとって、県は原漁協の組合長との間で売買契約書にサインをした。そのことが、違法であるという裁判であるが、国は個々の地権者を認めていたのに豹変したというしかない、国が信用できないという証の1つの例である。 この国では、ますます、その感が強いが、付け入るスキを与えるような条文や申し合わせ事項は後々に容易く反故にされるということだろう。  戦争へ戦争へと危機感をあおり続け、国民の恐怖心をあおり続ける自公政権、戦争の足音がますますひどくなることに対すことに対して、本当にそれでいいのですかという問いかけを含めたメッセージ「憲法9条を生かす」だった。  そのあとは、4つの生協の活動報告が行われ、夕食交流会でおひらきとなった。 2日目は、6時半から30分間、虹の松原の散歩コースをまわり、その後、バイキングによる朝食をとった。
 

 そのあとは12時まで、分科会(街づくり、健康づくり、玄海原発フィールドワーク、オスプレイなど)が行われ、私はオスプレイに関する分科会に参加した。 大分科会のフィールドワークが時間超過で帰りが遅くなったために、宮崎グループは閉会式の途中で退席、12時半に会場を出発、昼食をとり、数ヶ所のSAで休憩をとりながら、参加者を下ろしながら、生協病院についたのは20時、我が家に帰ったのは20時半。 楽しくはあったが、バスでの往復は腰の悪い私には苦痛、何しろ、片道6時間の長旅だった。今日は19日、腰の痛みはまだ引かない。