締め出しの思い出 | すた・ばにら

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2019/11/29にYahoo!ブログ「すた・ばにら」より移植処理しました。

部屋の鍵を紛失し、アパートの自分の部屋に戻れなくなる「締め出し」っていうアクシデントに備えて記事を書きました。
だけど「締め出し」って言ったら、少なくとも自分は子どもの頃何度か受けた罰を思い出すのです。同じ体験を持つ人は、何のことかすぐお分かりになると思います。

これは失われつつあるのかも知れない一つの文化と思うので、忘れないうちに記事にしてみますね。そして出来ることなら、これから母親になりつつある女性に熟読して頂きたいとも思います。

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「締め出し」… …。

何と懐かしい響きを持つ言葉だろう。
もっとも、懐かしいと思えるのは今だからこそであって、当時は途方に暮れて半べそをかくような状況だったのは疑いないことだった。

確認のために今 Wikipedia で「締め出し」を検索したのだが、私がこれから書こうとするそのものズバリを指し示す記事はヒットしなかった。項目を作成するほどの重要性がない、認知度がさほど高くない、好ましくない教育を助長するなど何かの理由があるからなのだろう。

だから改めて私が説明しておこう。

「締め出し」とは、親が子どもに与える罰の一つである。子どもが帰るべき場所は紛れもなく自分の家なのだが、親が玄関を始めとする諸々の場所に鍵を掛け、家の中に入れない状態にしてしまう行為を指す。文字通り家から「締め出された」状態にするわけである。

何の謂われもなく、いきなり締め出しを食らうことは(少なくとも教育的見地から行われている限りは)有り得ない。殆どの場合、子どもは友達のところなどへ遊びに出かけていて思いの外帰宅が遅くなり、帰宅していざ玄関を開けようとしたとき内側から鍵を掛けられていることで気付く。

もし家の中が真っ暗なら、たまたま親も外出しているのだろうと子どもなりに考える。しかし居間や台所には明らかに灯りが点いているし、ときにはカーテン越しに母親の姿すら見える。その光景を持って私たちは「締め出された」と正しく理解していた。


私たちが幼かった頃、子どもは日が暮れるまでに家へ帰ることを求められていた。何でそうなの?別に夜だってお店とか開いているし…などという反論はない。今なら事細かに「何故かと言えば…」の如く、理由を付けて説き伏せるだろう。

しかし時代が違っていた。昔は決してそうではない。子どもが日没後にウロウロしているのは非常識の部類であり、親の良識すら疑われていた。率直に言えば「子どもを日没後も外で遊ばさせても平気という非常識な親」という烙印である。周囲がそうであれば、当然普通の親は自分の子どもにも言い聞かせ、守らせようとする。


締め出しを食らうには伏線があった。友達と遊び惚けていて帰宅が遅くなり、大抵は次のように言い渡される:「今度X時までに帰らなかったら締め出しだからね!」

それは親との約束であり、いくら外で遊ぶのが楽しいからと言って破ることは決して許されなかった。だから私の記憶によれば、2度目まではあったにしろ、3度目は有り得なかった。


あれは近所の子どもたちと花火大会もどきをやった夕方だった。

近所のグランドに集まり、皆が花火を持ち寄って遊んでいた。相手が花火だから、ある程度暗くならないと面白くない。だけどそんな夜に外出したいなら、親に相談しなければならなかった。しかし仮に親が「ダメ!」と言えば、自分たちだけ仲間外れ状態になってしまう。

兄貴と相談した挙げ句、結局親に黙って出かけてしまった。

グランドは家から数十メートル程度のところにあり、恐らくうちの親もそこで花火をしていること位は想像ついていただろう。私たちはあいにく、本気で時間の心配をするほど大人ではなかった。目先の楽しさが先決で、後は何とかなるだろう位にしか思っていなかった。

果たして家に帰ったのは午後8時。玄関の外灯は消えている。我が家は夜寝る直前までは玄関の外灯を点灯しておくのが普通だったので、私たちはもうそれだけでかなりマズイと感じた。

案の定、玄関はしっかり鍵がかかっていた。居間や台所には電気が点いていて、時折母の立ち姿も見受けられた。しかしカーテンはぴったり閉じられていて、中の様子を伺うことはできなかった。

呼び鈴を鳴らすことはできたし、裏口に回ってドアを叩くこともできたろう。しかし私たちはそのいずれもしなかった。何故なら、自分たちが締め出されるに値するようなことをしたと自覚していたから。自分がした約束は、誰に対しても守るべきことは親も学校の先生も幾度となく言い聞かせていた。

「今度X時までに帰らなかったら締め出し」という約束を破ったのは自分たちであり、当然受けるべき報いと理解していた。だから私たちは黙って玄関の戸を背にして座ったまま、許してもらえるのを待つだけだった。

外に出て遊びたいなら好きなだけ遊ぶがよい。そう言い渡されているに等しい状況ながら、玄関から離れる気すら起きなかった。身近にある灯りと言えば、家の前に立つ電柱に取り付けられた外灯と月明かり、そして近所の家の灯りくらいのものだった。暗さに対する恐怖はいくらかあったが、それよりもむしろ顧みられない寂しさや辛さを味わう罰であった。


締め出しの時間は、30分から精々1時間程度だったと思う。やがて玄関に明かりが灯り、母が内側から鍵を開けてくれた。実はそこで言い渡されたことは、あまり覚えていない。多分、門限という約束を守らなかったらいつでも締め出すような内容だったと想像される。記憶が薄いということは、裏を返せば、母の小言それ自体は私たち子どもの心には響いていなかったとも言える。むしろ家から閉め出されたという罰を受けただけで、充分過ぎるほど堪えていたのだった。


今や私も当時の自分くらいの子どもを育てていてもおかしくない年齢になった。この「締め出し」という手法による罰についてどう思うかと言われれば、全くの手放しで推奨されるものとは思わない。私たちが感じたのと同様な効果をあげるか、逆に子どもを無用に怯えさせたりトラウマを抱かせる結果になるかは、それ以前に形成された親子との信頼関係に大いに依存すると思う。更には、何度も述べるのだが今と昔は環境が異なることも考慮しなければならない。

例えば日頃から極めて活発を通り越し、やんちゃな側面もある子どもでは、少々のことを言い聞かせた位では守ってくれないだろう。まして周囲に同年代の友達が住んでいたり、近所にゲームセンターやコンビニなど身を寄せられる施設があれば、締め出しすればこれ幸いとばかりに再び遊びに出かけてしまう恐れもある。

私が子どもだった頃は、夜8時を回って営業しているのはボウリング場や居酒屋などで、いずれも子どもが身を寄せる余地などまったくない場所だけだった。今は昔と環境が違っているだけに、締め出しが奏効しにくい状況とも言える。

また、元々大人しかったり弱気な子どもにとっては、恐らく締め出しは想像以上の恐怖を与えることになるだろう。締め出しは他の体罰や叱責と違い、何もされない、顧みられないという形の罰である。「相手にされない・無視される」行為が如何に冷たく心に突き刺さるかは、むしろ大人であればより正しく理解されるだろう。


それ故に締め出しという形の罰は、親が子どもに何としてでも門限を厳守させたいという教育方針があり、かつ、子どもがその罰を受けることで相応に「懲りる」と予期できる場合に効果的であると言えよう。この意味では、締め出しは何度も何度も反復して与える罰ではない。子どもの教育過程において精々3~4回が上限だろう。それ以上は、子ども心に対してでも懲りさせる程の危機感を与えられるとは思えない。


時代は下り、今や幼い子供も親に連れられて零時近くまでボウリングに興ずる光景も珍しくはなくなった。個人的には決して好ましいとは思わない(子どもは夜は寝るものであるという原則)のだが、昔よりも価値観が多様化し、生活スタイルも人それぞれに特化しているのが普通だから、これが万人に対する絶対的な基準だというものを掲げることはできない。昔と違って夜遅く活動するからと言って、イコール非常識だとは誰も言えないだろう。


私たちにおける「締め出し」という罰は、小学校を卒業するまで続いた。中学生になると、私たちは家の鍵を与えられた。もちろん鍵があるからいつでも好き勝手に出入りが許される訳ではなかったが、いちいち言われずとも家に帰るべき時間は正しく守った。むしろそうであるからこそ、親も鍵を与えたに違いない。家の鍵を渡されることは、小学生よりもワンランク進んだ自由と、それに付随する責任を課せられることなのだと思った。

高校を卒業すれば、行き先さえ告げれば何時に出歩こうともまったくの自由な世界になった。だからと言ってむやみやたらに好んで夜間外出することもなかったのは、中学生に上がったときと同様だった。しかし必要があれば夜中でも鍵をかけて近所に買い物へ出かけることはあったし、何よりも下宿してしまえばすべてが全くの自由だった。そして(ここが重要なのだが)それに付随する責任を課せられていることも理解していた。


子ども時代は誰もが親の庇護にあり、大人になるにしたがって親から離れて自由と責任を獲得していく。一足飛びに自由だけ手にしようとすることは許されず、定められたルールの遵守を求められる。約束された帰宅時間が存在し、破れば締め出される。その制約が少しずつ解け、鍵を渡され、そして最後に完全な自由と責任を同時に与えられる。このプロセスを踏むことによって、子どもは自由と責任が不即不離であると身を以て知るのではないかと思う。