嫌なものを見た。
3月頭の夕方、東京駅で所用を済ませ大宮方面の宇都宮線に乗った。
優先席付近の吊り革に捕まり、いつものようにスマホにしがみつき、特に用もないのに首を90度に曲げて画面とにらめっこをしていた。
上野の手前まで来た時、満員の優先席に20代くらいの女性が、同じく20代くらいの女性を連れてやってきた。
たまたまチラリと目をやると、連れてこられた女性は見るからに体調が悪そうだった。
優先席には3歳くらいの子供をのせたベビーカーを自身の前に停めて座る30代後半くらいの女性と大きなキャリーバッグを持った20代くらいの女性。
「あの、この人具合悪いみたいで、もし問題なければ譲っていただきたいんですけど」
、、、、、、、、
沈黙。
電車の中は心なしか少しシンとした。
永遠とも思える沈黙の後、女性がもう一度口を開いた。
「あの、すみません。この人具合悪いみたいで、体調とか問題なければ席を譲っていただきたいんですけど」
緊張した沈黙の中、1回目と同じ言葉を紡ぐ女性。
私は他人事とはいえドキドキしながらその様子を見ていた。
すると、ベビーカーの女性の顔がグニャッと歪んだ。ように見えた。
あの顔、あの顔は見たことがある。人に悪意を向けるとき。負の感情があるとき。相手を言い負かしたいとき。不平を言いたいとき。
「いや、、、、これ、、、、」
顔を歪ませたまま、ベビーカーの女性は免罪符のようにベビーカーを足でトントンと蹴った。
「、、、?どういう意味ですか?難しいなら他を当たりますけど、、、」
沈黙。
キャリーケースの女性は下を向いている。
具合の悪い女性は顔をさらに青くしている。
立ち上がることも何か言葉を使うこともしないベビーカー女性。
そして、大きなため息をつき、
「フフッ」
笑った。
嫌なものを見た。
悪意のあるとき、人の顔は歪む。歪んで醜くなり、目も当てられない姿になる。
状況を理解してくれないことへの諦めの笑いなのか、それとも別の何かが。
何かはわからないが、嫌なものを見た。
「、、、??」
困惑に包まれた介抱女性はそのままベビーカー女性とキャリーバッグ女性を交互に見つめている。
少し経ったのち、毅然とした介抱女性の態度にベビーカー女性は少したじろぎ、ぶつぶつ文句を言いながらしぶしぶ立ち上がった。
「ああ、大丈夫なんですね、ありがとうございます」
介抱女性はそう言い、具合の悪い女性が座るのを見届けるとサッとその場を離れた。
直後居た堪れなくなったのか、キャリーバッグ女性が席を離れ、そこにそのままベビーカー女性が座ることになった。
ベビーカー女性は座るなり、具合の悪い女性の膝にベビーカーをガンガン当てながら停車、組んだ足の裏を具合の悪い女性の方に向け、スマホに夢中になった。
余裕がないのだ。心に、生活に、余裕がないのだ。
嫌なものを見てしまった。
私は勝手に悲しくなった。席を譲ってもらった女性のこと、席を譲る余裕がなく、顔を歪ませた女性のこと。
このベビーカー女性にも、楽しい時があっただろう。将来を夢見て今の生活を選んだだろう。
彼女を待っていたのは余裕のない、隙間のない生活。
電車のなか、不特定多数の人間がいるなか、ベビーカーを足で蹴ることでしか意思疎通がはかれなくなってしまうことなど、想像していなかっただろう。
どうでもいいことだ。すべて人のことであり、このことも全て想像である。
理由が、あったかもしれない。なにか座らなければならないのっぺきならない理由が。
でも、どんな理由があれ、あのような態度でしか人と関われなくなってしまった彼女は、どうやって明るく生きていくのだろうか。
彼女を誰も救えない、今のところ、そういう生き方しかできない。
“不幸”な彼女は、これから先何人の人間に憐れみの目、嫌悪の目を向けられるだろうか。
私は、無関心になれなかった。