今日の夕刊から。 | みみりんの日常つぶやきブログ

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夕刊を見ていると、南極観測船「しらせ」が出港・・・云々。の記事があった。「しらせ」の名は、日本人として初めて南極大陸を探検した白瀬中尉によるものと、巷では信じられているが、実際は南極の「白瀬氷河」からのもの。これは自衛艦の命名規則から地名にすると定められているため。しかしながらその白瀬氷河も元は白瀬中尉からなので、あながち間違いではないし、命名の応募には「しらせ」が多数寄せられたこともある。その白瀬中尉は100年前の今頃、いったん引き返したシドニーから南極大陸に向けて再度出発しようとしていた。南極点に一番乗りしたアムンゼンは白瀬隊の「開南丸」を見て、「よくこんな小さな船でここまできたなあ」と驚いた。しかし「ライバルにはなり得ない」と感じたのも確からしい。
日本人が再度南極大陸へ向かったのは白瀬隊から46年が過ぎた1956年。このあたりは現在ドラマになっているため、関心を引く方も多かろうと思う。IGY国際地球観測年に伴う南極観測隊の派遣であった。この時派遣されたのが「宗谷」で、現在も船の科学館で係留展示されている。元々宗谷は旧ソ連からの依頼で1938年に完成したものの、時勢によって引き渡されなかった。しかし耐氷能力があることなどから日本海軍の特務艦となった。終戦までに何度か魚雷攻撃を受けたり空襲に遭ったりしているが、幸運なことに大破や沈没はしなかった。終戦後は復員船を経て灯台補給船として海上保安庁に所属。その強運を買われたのか、大改造のうえ南極観測船となって今に至っている。耐氷能力があり、大改造されたとは言え、実際に南極では厚い氷に閉ざされ、寸でのところをソ連の砕氷艦オビに救出されている。この時の出来事として有名なのがタロとジロの話で1980年代に映画「南極物語」になったことでも知られる。宗谷は建造から73年が過ぎ、かつて日本海軍に所属していたという点でも貴重だと思う。海上自衛隊に所属していた「わかば」も元来は日本海軍の駆逐艦「梨」だったのだが現存していない。

筆者は「しらせ」を間近に見たことがある。ただし先代で、ハルナンバーが“5002”のもの。堺港でチヌ釣りをしていたら、目の前を横切って行った。この時カメラを持っていなかったのが今思うと悔しい。もしかしたらちょっといい写真が撮れたかもしれないのに・・・。翌日の新聞でイベントの一般開放に合わせて入港したことを知った。

ちなみに、この記事を書いた記者は実際に南極で観測隊員と過ごした経験があり、その間「南極支局」として活動していたとか。

もうひとつ、空冷VWファンにも嬉しくなる話がある。確かオーストラリア隊が空冷VWを南極に持ち込み、実際に走らせたという逸話があるらしい。どれだけ走ったのかとかの詳細は筆者には解らないが、全世界六大陸制覇した車は後にも先にももしかしたら空冷VWだけかもしれない。