楽山のお祭り騒ぎ2 | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。

 
  楽山のお祭り騒ぎ2
 
 『宇宙の法―エローヒム編―』を見た。
 2021年10月12日
 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/11465656.html
   を改めて批判。
 
楽山は、アンチHSのはずですが、HS作成のアニメを見て、興味があるらしく、批判どころか、むしろ、肯定的な興味本位の評論家気取りで、感想を書いています。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)からの幼稚さも見られます。楽山に思想の軸がない証拠となります。
 
 
 (ネットより)
「エロヒム」は、ヘブライ語聖書で「神」または「神々」を表す。ヘブライ語の文法的には、末尾の -im は通常、男性の複数形を指す。しかし神としての「エロヒム」は、通常文法的に単数であり、単数動詞や単数形容詞と共に使用される。現代ヘブライ語では、ヘブライ語の複数の男性名詞を示す -im が語尾にあるにも関わらず、しばしば単数形で用いられる。[1][2]
一般にエロヒムは、北西セム語系で神を表すエロア eloah から派生したと考えられている。[3] ヘブライ語以外の同系語には、カナン人のパンテオンの創造神であり主神であるエール El、ウガリット語のイル ilhm、聖書アラム語のエラーハ Ĕlāhā 、シリア語のアラハ 'Alaha「神」、およびアラビア語のイラー ilāh「神」、またはアッラー Allah「(単一の)神」がある。
El は通常、「強くなる」または「前に立つ」というアラム語の lh が語源と考えられている。[3]
エロヒム(ウィキペディア)
 
 
今まで、キリスト教を否定する記事、右翼のA級戦犯を讃える記事、霊が分かるっぽいと書いた記事、ホラー趣味、空想癖で、宗教を語って、悦に入る性癖、無反省、無責任、学者気取り、評論家気取り、教祖願望などの、入りまじった異常世界を、楽山は書いてきました。そこに住んでいたいのでしょうか。
 
超常についての楽山のお祭り騒ぎのようです。いろいろな素材をいじくって書いていますが、まとまりがありません。何かを主張するのではなく、面白がって興奮しているようです。神(エル、エロヒム、ヤハウェ)を、楽山は、こういう書き方しかできないのです。信仰を語れるわけがありません。
 
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)は、人のことを何も気にしないのでしょう。楽山は、書くたびに、テーマも理路も散乱して、真っ当な感性はなく、書いたというだけで、一人前を気取る悪夢の幼児となっています。
 
 

『宇宙の法―エローヒム編―』を見ながら心に浮かんだ感想をメモしておいたので、ここで整理してみる。
HS映画はいつも映像はきれいだ。これは今回も変わらない。
いきなり舞台背景の説明がはじまった。これはファンタジーあるある。
地球における善悪を知れって…普遍でなく、あくまで地球限定の善悪か。
白色彗星ならぬ、赤色彗星か? しかも艦隊の攻撃でも撃破できないとは…まるで、『さらば宇宙戦艦ヤマト』のようだ。

 
「映像はきれい」「ファンタジー」「宇宙戦艦ヤマト」「艦隊」「攻撃」「撃破できない」・・アニメを見るように、宗教と信仰を見ている楽山です。楽山は、ずっと、同一性(アイデンティティー)が発育不全か、壊れているのでしょう。この精神で、信仰は語れません。
 
 

人物の絵は、みんな止まっている。人物と背景が分離している。なんだか無味乾燥だ。人物は生きてない。蝋人形だらけ。これでは感情移入し難い。
♪~きた、きた、わたしはきた~♪♫ 歌ありの音楽と、歌なしの音楽とでは落差が激しい。もちろん歌なし音楽↑、歌あり音楽↓。
ヤイザエル、強すぎ。ドラゴンボールみたい。強い女戦士を設定するとはHSらしからぬフェミ系への配慮もあるのだろうか。
ベガの女王、一瞬、きょうこ夫人に見えた。
彗星でなく、隕石爆弾? 流星爆弾みたいだな。

 
SFかホラーの映画で、子供が燥(はしゃい)いでいるような感想です。楽山は、面白がっているだけで、宗教も信仰も語っていません。楽山は、超常を書けば宗教じゃろ・・とでも思っているのでしょうか。人間理解のないところに、信仰は生まれません。
 
 

あまりに漫画すぎる。普段アニメは全然見ない人は、退屈するのではあるまいか。
会話がいちいち教義紹介になってる。教義紹介をしたいのは分かるが、その方面に興味がない立場からするとうざったい。

 
「漫画」「退屈」と言いながら↓教義は「うざったい」のだそうです。何を求めているのか不明です。これが、楽山の宗教観・信仰観なのです。これで批判したつもりになるのなら、子供が、はしゃいでいるだけの戯れ言です。こういう幼稚さと未熟さが、楽山の言論もどきなのです。
 
 

ヤイザエルが泥酔している兵士たちを叱ってる。千眼美子(清水富美加)が泥酔者を叱るというのはおかしい。
もののけ姫のタタリ神みたいのが湧いてる。
ひとりの英雄、いやヒロインが戦況を一変させてる。漫画すぎる。

 
魔界のような超常の話です。この次元で、楽山は、宗教と信仰を考え、キリスト教と信仰に、いちゃもんをつけてきたのです。常識的にも、未熟~異常です。何の救いにも、さらに、救いのヒントにも、全くなりません。楽山の薄気味悪い話です。
 
 

アモール(イエス・キリストのエネルギー体)が、悪魔よ立ち去れの一言で戦いを終わらせている。
ヤイザエルが反省している。悪を倒すのにためらわなかったが、もしかしたら自分には愛が足りないのではないかと…。

 
(ネットより)
アモル・アモール
ラテン語:Amor
スペイン語で愛のこと。es:Amor
クピードーの別名。
アモール (小惑星) (Amor) - 第1221番小惑星。
アモール群
アモール - 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』における架空の町。回復アイテム「アモールのみず」の産地。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%AB
 
キリストの愛ということから、エネルギー体と呼んでいるのでしょうか。科学用語を使う必要があるでしょうか。ヤイザエルは、架空の存在のようです。「愛が足りない」と言って、説明がありません。楽山には、著しく、愛と、愛の理解が、足りないか、欠損しています。
 
 

ミカエルとルシフェルが双子というのは、レムリアで言ってたのと同じだ。

 
ミカエルは天使、ルシフェルは悪魔の名前ですが、好きなように扱って、超常の神話~ホラーとして扱っています。それを面白がる楽山はピエロにでもなるのでしょうか。
 
 

話のテンポが遅すぎる。あらすじも簡単すぎる。地球を侵略しようとする宇宙人を撃退するというだけ。ヤイザエルにしても、その他の人物にしても、さほどの悩み、葛藤はない。物語を通じて、大きく成長していない。したがってストーリーに起伏がない。だから退屈。

 
宇宙人の地球侵略の話になっています。「大きく」も小さくも、「成長していない」楽山の、まとまりもなく、説明にもなっていない感想文です。このように、宗教と信仰を、遊びとしてしか捉えていない楽山です。宗教・信仰・なくてはならない真実について、語る資格など皆無だと思います。
 
私は、人間が受け取れる信仰について考えてきました。それを、否定し、著しく妨害して、混乱を招く方向しか持っておらず、到底、受け取れないホラーに化けさせているのが、楽山です。茶化しであり、ふざけており、真実に対する悪意以外の何ものでもないと思います。
 
 

正しいと思うことを自由に述べてよろしいと、エロヒムは言論の自由を認めてる。
ヤイザエルのヘルメットの額のところ、シャアと同じ形に変わってる。
アモールが山を動かしている。この山動きて海に入れか…。

 
楽山が、言論の自由と言うとき、それは、好き勝手に無反省に発言して、責任を負わないことを意味します。認められるはずがありません。超常話で、神エロヒムに認められているかのような楽山の主張は、どこまでも鼻クソでしかありません。
 
楽山は、霊が分かるっぽい?という自覚を語っていましたが、楽山が動かせるのは、山ではなく、嘘と詭弁、悪口、・・やはり、鼻クソだけです。真実を求める方向性のない楽山には、心のかさぶたを剥がすことも出来ません。
 
 

戦争が肯定的に描かれている。正義の戦争は善であるということらしい。自分は考え方としては右ではあるが、こういう戦争の描き方は受け入れがたい。戦争というものは聖戦だろうが、自衛だろうが、どのような名目があったとしても、多くの人々が悲惨に殺されてゆくものだ。大勢の血で大地を染めることを正義だとか、善だとかいうのはどうかしている。

 
楽山は、平和主義みたいなことを語っていますが、嘘です。楽山は、殺人を含む事変に関与したらしいA級戦犯を讃えていました。このことから、正義を理解しない者が、平和を語り、戦争反対を語り、つまり、騙(かた)って、受けをよくしようと、空しく、あがいているだけだと思います。
 
 

ヤイザエル、二度も油断して敵に背後をとられている。歴戦の勇士がこういう不覚をとるわけはあるまい。パングルって、らんま1/2…、いや呪術廻戦か? 本作は特に先行作品との類似性が見受けられるけれども、これはオマージュというやつなのだろうか。

 
そして、楽山は、格闘~戦闘シーンに興奮しています。ホラーアニメ・漫画の、空想の世界にしか、生きられない楽山の象徴的~特徴的な表れです。それにしても、説明が下手です。自分の満足だけに生きると、こうなる、という例でしょう。
 
(ネットより)
オマージュ(英語: hommage)は、芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受け、似た作品を創作すること、またその創作物を指す語である。しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。
オマージュ(ウィキペディア)
 
 

さまざまな個性を持つ者たちが集い、お互いの短所を補い合い、発展してゆくという考え方はよいと思う。

 
誰が、楽山に、善悪・良否の判断を仰いだと言うのでしょう。求められてもいないのに、考えることも出来ないのに、妄想楽山は、高みから評価し裁いている態度です。正義にも良識にも反しながら、なお、良し悪しを語る不治の病質が表れているようです。
 
 

地球神は時間を戻せると…。取り返しのつかない大きな過ちを犯しても、地球神が時間を戻してなかったことにするって…。いや、もしかしたら、幻魔大戦のように地球は滅びたものの、一瞬間のうちに滅びていない世界を想像したのだったりして。

 
呪術廻戦に加えて、今度は幻魔大戦が出てきました。漫画の世界に、どっぷり浸かって、そこからだけ、正義を語る楽山です。「滅びていない世界を想像したのだったりして」・・こういう軽口をたたくために、宗教・信仰・真実をけがしてきた楽山です。魔法と幽霊が友だちでしょうか。
 
 

ダハールを追って行ったまま戻ってこないヤイザエル。これは軍規違反にならないのだろうか。
エローヒムの演説でシメ。
最近のHS映画は、HS色が薄まってきていたようだが、今回は原点回帰したのか、HS色が非常に濃厚になっている。HSの世界観だけで物語がつくられている。そのせいか、HSを信じていない自分はあまり感情移入できず、退屈したというのが正直な感想である。

 
「感情移入できず、退屈」とは裏腹に、HS映画に興奮が表れている楽山です。恐らく、楽山は、超常カルトというレベルでしか、宗教を考えていない、ましてや、信仰など、何とも思っていないし、持ったこともないと思います。趣味と宗教の区別がつかない楽山です。
 
 

本作はHSとその信者にとっては尊い映画ではあろうが、HSも、エローヒムも信じていない一般に理解されるのは難しいだろうと思う。

 
楽山は、神エロヒムも信じていませんし、その尊さも信仰も分かっていません。なのに、「一般」を、自分より下に見ている筆致です。楽山は、「一般」にも達していないのです。破壊の、煩わしいチンケな精神世界に住む夢想であり、呪術であり、幻滅なのです。ゆえに、みんな見せかけだけなのです。
 
 

◇◆ 追記 2021.10.13 ◆◇
*ツイッター
ツイッターの方でも、映画について呟いたので、ここに貼っておきます。
心機一転★こも楽山
@komo266
·2021年10月13日
返信先: @hidenoeさん
映画の良い面をまとめれば、そのようになると思いますが、個人的には戦後育ちのせいもあってか、身分制、聖戦を肯定してるところは気になりました。

 
良い面をまとめたつもりのようです。この記事と、今までの記事を踏まえると「身分制、聖戦を肯定してるところは気になり」・・楽山が言うと、恐ろしく軽くなります。趣味と真実の区別がつかない楽山です。これで、髭の生えた子供レベルで、キリスト教を、否定するのだから、呆れます。
 
 

最も尊い存在が、最も嫌われる下層階級の仕事をすすんでするとか、戦争回避、和平への努力がもっと描かれていれば、さらに良かったと思います。

 
「さらに良かった」と肯定的にアドバイスしていることに楽山は気づかないのでしょうか。楽山も、超常アニメのレベルでしか宗教を語れないし、教祖願望があるために、つまり、教祖に憧れているために、さらに、既に教祖気取りであるために、全否定が出来ないのです。
 
「戦争回避、和平への努力」・・それより前に、楽山自身の、はしゃぐことはあっても罪悪感や後悔や反省力を持たない自分を改善するべきです。しかし、自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)には、一生涯、無理なのでしょうか。
 
 

心機一転★こも楽山
@komo266
あとは…敵味方が入り乱れて戦った戦場では、敵味方の死体の山ができるだろうし、生き残った者は自身の血と汗はもちろん、返り血を全身に浴びることになるでしょう。戦傷者はさらに酷い有り様になるでしょう。
戦争を描くなら、その悲惨さもきちんと描写すべきだったと思います。
午前7:09 · 2021年10月13日

 
死体の山と、血と汗と、返り血と、血まみれの傷病兵を、もっとリアルに見たいという楽山のリクエストです。今まで、興味本位だけで、勝手な感想を書いてきて、なお、戦争のリアルな悲惨さ見たさに飢えている楽山です。味わうことになるかもしれません。
 
楽山には、高等感情がない、とりわけ、悲しみへの共感がないのです。いわゆる、モンスターです。いくら、気取っても、言動に表れてくるでしょう。今までも、無味乾燥の筆致として、また、不祥事を他者のせいにする自己中として、訂正不能の妄想として、表れてきました。
 
実際には、迷惑~犯罪~惨劇を、他者に企んで望んでいるのは、楽山かもしれません。何度か書きましたが、いわゆる、サディストです。人が困る、あるいは、疲れる様子を見て、同情のように見せかけながら、文脈として、筆致として、満足げに、笑っているのです。
 
 
キリスト教を語るときも、まるで、神と取引でもしているような書き方をします。神がいるなら悲劇は起こらないはずだ、悲劇が起こっているから神はいない、・・つまり、自分の都合に合わせた神しか認めない態度です。悲劇の起こらない永遠を夢想する誇大妄想家でもあります。
 
楽山は、自分より高い存在、自分が知りえない存在を、認められないのです。それが、取引する相手の楽山の神?であり、信じ仰ぐ神からは、離れてゆくだけの、楽山の人生なのです。そして、楽山の視野の中に住んでいる神は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の神なのです。
 
 
       
               空想の神しか語れない
 
 
(2021年)
(2022年10月27日、再録+加筆)
 
 
 
 (伝道の書、口語訳)
伝道の書/ 07章 15節
わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。
 (伝道7:15、旧約聖書)
https://www.bible.or.jp/read/vers_search/titletext.html
 
楽山が、いちゃもんとして言うような、神がいたら人の不幸・惨劇は起こらないはずじゃろ・・という話は、既に、昔の人が、万感の想いを込めて語っているわけです。つまり、信仰者は、地上にいるあいだ、信仰があれば現世的な良い報いを得る、というわけではないということです。
 
信仰者は、神への希望とキリストの同伴に、祈りを通して支えられながら、苦難の地上を生きるのです。楽山が、安物の文具の性能をもてあそぶように書いてくる宗教と信仰への雑言などは、また言いますが、鼻クソです。その汚れた指で、楽山は、繰り言をなすりつけてくるの傍迷惑な攻撃者です。
 
 
 
  散る
 
紅く色づいていく木々の
にぎわいに、にぎわうだけで
例えば薄い木の葉の
もうすぐ散ります
という最後の音信さえ
数知れず見過ごして
この目に見られないまま
どこからどこまで見過ごされて
散ってゆく
 
破り捨てた手紙
最後の便り
破りかけた手紙
風の便箋
破れかけた手紙
歪んだ字を
書いているペンを
握っている手
見ている眼
赤く充血していく治癒の
道行きに拙い言葉の
いつか最後の音信
どこからどこまで過ぎて
散ってゆく
 
 
  季節の約束
(これは、かなり自由連想してます)
 
針に置ける軌跡を知らないかな
脈管のさまよえる路地で待ってる
そこから先はとんがっていれば大丈夫だ
ケラケラ笑うかけらばかり
握って角度がゆっくり南に傾いて
光る曲線がいちばん長くなる所だ
行き止まりなんてあるものか刺さなくていい
血は嫌いだ綺麗な喪主を
街の眼で汚したくない
もう寒くないだろう標的の入り口付近
宝石を数珠(じゅず)に巻かないように
切り貼りして過ごせばいい
飽きたら呼び鈴を忍ばせて
カジュアルでいいから日暮れを待ちなさい
思い込みは駄目だよ紅茶色だ、いいね
たぶん木馬が飛ぶ頃になると思うよ
ただ屋根のないタクシーが
黒い額で潰しに来るから気をつけて
そろそろ芽も味方してくれる
鋭角に切り落としたら一休みして
グラスに注げる口癖もあるさ
好きな水晶玉でも探して
菜の花の夜を見つけよう
帰りは直線で別れる前に
ちらっと月夜を弾いておくれ
じゃ葬列に出会ったらよろしくね
切るよ
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
楽山は、反省という言葉だけを何度も書いてきました。「反省。とほほ」というのが典型的です。反省しましたよ・・とでも言うような、おどけた書き方ですから、真摯さが、まるで抜けていて、相変わらず、こちらを、あざ笑っている態度が変わらないのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html