楽山の心無い芝居2 | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

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キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。

 
  楽山の心無い芝居2
 
 「鬼滅の刃」と「スピリチュアリズム」
 2021年02月28日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/28222993.html
  を改めて批判。
 
 
楽山の精神年齢の低さが表れています。超常のフィクションと、実際に存在するスピリチュアリズムを、並べている時点で、正常な心からの乖離が暗示されています。
 
ホラーアニメは、フィクションとして製作されます。スピリチュアルは、現実に対処するために語られます。この区別が出来ないなら小学校へ行きなさいということです。
 

「鬼滅の刃」を通読してみた。その基本設定は予想以上にスピリチュアリズムと重なるところが多かった。

 
「鬼滅の刃」 → スピリチュアリズム の流れで、宗教・信仰を語って現実離れしてきた楽山を信用しないでください。人生を空想と趣味で理解したつもりになっている楽山です。
 

たとえば、この辺り。
人は生まれ変わる。
人は単身で生まれ変わるのでなく、ソウルメイトがいる。

 
生まれ変わりと言った時点で、既に、話が超常のことになっています。一方、楽山は、心・精神の再生であるところの、魂の奇跡を、何も考えることが出来ません。そういう記事を書けない楽山です。
 

利他的な生き方の推奨。
感謝の大切さ。

 
どこでも聞かれる当たり前の倫理・道徳です。これで、楽山は何を確認するのでしょうか。総て、楽山が裏切って、悪用してきたことです。楽山の白々しさに、背筋が寒くなります。
 
>非難、難詰では、人は変わらない。怒り、自己正当化を生むばかり。
 
(ネットより)
難詰(読み)ナンキツ
[名](スル)手きびしく非難すること。きびしく問いつめること。「不注意を難詰する」
https://kotobank.jp/word/%E9%9B%A3%E8%A9%B0-590405
 
批判を非難していますが、反省しない者は、何を言われても変わらず悪と偽善に走る、ということが、まさに、楽山を通して実証されてきたのです。楽山のような偽善者は、「自己正当化」のように、自分が言われたこと、言われそうなことを、わざと書いてきます。何度も書いてきます。
 
この記事も、今までの記事も、楽山の自己愛→自己中→自己正当化→誇大化が動機であります。私は、そのことを言ってきたようなものです。楽山は、人のことなどには、何の関心もない男だと判断しています。きれいごとを並べれば、人は騙されてくれると思って、舐めきっているのでしょう。
 
良心を持たない者は、やさしい言葉によっても、批判によっても、変わらないでしょう。だから、誰も近づかないようにと、私は批判を書いて、資料としてゆくしかありません。
 

人は、やさしさ(愛)によってこそ変わる。
圧倒的な善意(愛)には誰も抗うことはできない。

 
優しさ芝居で、人の優しさを利用して、悪意と偽善を企んできたのが、楽山です。圧倒的な愛について、楽山が語るのは、犯罪者がニヤニヤ笑いながら説教をするようなものです。
 

自らの罪を悔い、反省をはじめると、守護する霊の姿を見、その声を聞くようになる。

 
自らの罪を悔いず、反省もせず、霊が分かるっぽい気でいるのが、楽山であります。とうとう幻聴も始まったのでしょうか。善には善の種が、信仰には信仰の種が必要です。切っ掛けとなる体験のことですが、楽山には、自らを偉く見せるような、でっち上げの体験と、だまし言葉があるだけなのです。
 
>悪いことをすれば天国には行けず、地獄に行くことになる。
 
通念的な話です。単に悪といえば浅い話になってしまうことを楽山は弁えていないのです。何も学んでいないことが表れています。楽山には、天国に行けるような言動は皆無です。きれいごとで天国に行けると思っているなら、その自己満足は、地獄で砕かれるでしょう。
 
>地獄は強要されるのでなく、自ら納得して行く。
 
説明もなく何を言っているのでしょう。楽山には、何を学ぶ気もないことが、楽山の気安い高慢な妄想的言語に表れています。このような言葉だけで、何かを表したような気分になる楽山です。この思い上がりには、逆に言葉自体がけがされてゆくでしょう。
 
あらゆる努力を怠って、人も言葉も、鼻先で笑っている者の言だと思います。楽山には、いちばん当てはまらないことを、わざと、白々しく書いて理解を装う楽山の筆致、吐き気がします。
 

主人公は決して自分を見失わない。権威、権力、恐怖…などには屈せず、自らの内なる声に従う。
個性尊重。自分らしさを保ち、かつ他人の個性も認める。
愛に飢え、貪欲な鬼は、口が強調された姿となる。その姿はその心によって決まる。

 
楽山は、プラスを言いマイナスを言い、断定していないから責任はないなどと言って、元々、自分を持っていない人です。自分の代わりに、欲望の自我の企みで書いています。フィクションのヒーローと、自分の区別が出来ないのでしょう。人間性を失ってきた者の筆致です。
 
楽山の自分らしさは、今までのところ、無反省・無責任・無理解・無神経・偽善者・嘘吐き・詭弁屋・無視・不感不応、・・でしかなかったのです。このような自我は、人を傷つけるだけです。そういう「自分らしさを保」たれてはたまりません。悔いないなら、一刻も早く、何も言えなくなるべきです。
 

スピリチュアリズム的な世界観は極めて特殊でもなく、多方面に広まってもいるので、「鬼滅の刃」のなかにスピリチュアリズム的なところがあっても別段不思議はないのではあるが、なにはともあれ、スピリチュアリズムに共感する人であれば、血飛沫が飛ぶようなアクションは大の苦手というのでもない限りは、本作に感動できるにちがいないと思う。

 
評論家気取りで、アニメとスピリチュアリズムを同一視する楽山は、結局、そのレベルでしか宗教と信仰を語れないのです。楽山は、哲学・思想・宗教・信仰を全く理解できないからです。既に、ボロボロの理路・妄想・自己中・自己愛が表れてきたのであり、一切の弁解はボロ布のようなものであります。
 

主人公のやさしさに触れて、鬼が自らの罪を自覚し、見失っていた自己を取り戻し、改心していく場面はもちろん、このやさしさは鬼のみならず、仲間たちをも良い方に変えてゆくところは本当に素晴らしく、

 
こういうところにしか褒め言葉を当てられない楽山です。触れて、自覚し、取り戻し、改心していく、これらは、すべて、楽山にはできないために、楽山が嘘と詭弁で裏切ってきたことなのです。まさに、今、この記事も、そういう嘘であります。嘘しか扱えない楽山です。
 
真実を追求しているつもりの、楽山という大人が褒めまくって書いていますが、楽山は、ホラーアニメに依存している勘違い野郎なのです。真実を追求している本当の大人なら、ホラーについて趣味以上に書くことはないのです。大人に成れなかった楽山です。
 

「愛こそはすべて」ということがよく分かるようになっているし、スピリチュアリズム的な考え方はあちこちに散りばめられているし、スピリチュアルなことに関心のある人にはお勧めの作品である。

 
「愛こそすべて」が分かるなら今までの楽山は、なかったはずです。楽山は、大袈裟な豪語をすれば信用されるとでも思っているのでしょうか。楽山が自分で言って、逆に、その言葉が、まさに、楽山自身を斬っています。つまり、楽山に、何かを「お勧め」などする資格はないです。
 
楽山の見当違いの妄想世界から勧められるのは、実に迷惑です。本当に、書けば白々しさが酷い楽山のようにだけは、ならないでください。感受できないのに、評論家気取りで「お勧めの作品」などと言っています。楽山の言は、地上で最もお勧めできない類であります。
 
 
         
                           恥に気づかない
 
 
(2021年03月01日)
(2022年03月07日、再録+加筆)
 
 
  楽山のツイートです。
 

心機一転★こも楽山
@komo266
·35分
おススメ書籍、ちょこっと読みました。 

悪魔が嫌うことは、
・正直(嘘はつかない)
・勤勉(コツコツ努力する)
・明朗活発(明るく積極的)
 」
とのことですね。
書籍後半では、謙虚、無執着、恨まないなども挙げられてた。
これらは総裁も出来てないし、言うは易し行うは難しだと思いました。😊
午後4:40 · 2021年2月28日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1365929829703372801

 
楽山は、平気で、数えきれない嘘を吐いてきました。人間関係のベースとなる普通に正直であることを、まず、楽山は守る気がないのです。楽山には、傲慢で、霊が分かるっぽい?自我への異常な執着、その体質ゆえに誰からも信頼されないことに対する人間と社会に対する根深い怨念があると推測しています。
 
楽山は、努力が大嫌いです。霊が分かるっぽい?霊能者気取りだから、人の言うことを聞いて考えることを全くしないのです。楽山が嘘を吐いて平気なのは、陰険であり、決して明るくはないです。楽山は性悪で、陰気に悪と偽善を企み実行してきました。
 
楽山は、高等感情の鈍麻で不感不応だから、不都合を無視できるのです。楽山は、嘘を言うは易し、正直も、最小限の善も、行うは難し~しないよ・・なのです。丁寧語で物を言っても、誰とも和合できない人格です。真実の追求の場には、いてはならない人です。
 
前に、楽山は、親族に、仏様が喜んでいると言ったら笑われたことがあり、親族が仏様の気持ちが分からないっぽすぎるのには驚いた、というようなことを書いていました。そこから、楽山は、仏様の気持ちが分かるっぽいと思っているのでしょうか。これは、何の洞察力もない楽山の妄想です。
 
楽山が、仏様と言っているのは、仏像、仏壇のことでしょうか、仏陀のことでしょうか、ご先祖様のことでしょうか、いずれにしても、こういう小児期の異常感覚に、今も支配されて、霊能者気取りになっているのでしょうか。嘘吐き、怠惰、陰気、尊大、妄想、怨念が、楽山の持ち物です。
 
もし、楽山が、超常の存在の気持ちが分かる本物の霊能者なら、嘘と詭弁にまみれた今までの有り様は、むしろ、ありえないわけです。即ち、嘘で出来ている楽山は、霊能者どころか人間として成り立っていません。楽山が、持っているのは、聖霊ではなく、悪霊に近い邪念と言わざるを得ません。
 
楽山を、信用しないでください。相手にしないでください。楽山に関わらないでください。近づかないでください。お願いします。約3年間、私は、そう言い続けています。
 
 

心機一転★こも楽山
@komo266
集団リンチの様相を呈していたのも酷いけど、
政治家なら、自分の発言の一部を切り取られ、非難されることがあるのは承知しているはずなのに、この罠にはまる政治家があとを絶たないのも酷いですね。
こういう無防備さ、不用心さの原因を探る論考も掲載されてるのだろうか。
午後5:31 · 2021年2月28日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1365942671190106113

 
楽山は、自分の発言が批判されているのは承知のはずなのに、無視し続けています。こういう楽山の、体質からの自己保身と誇大妄想から、反省することもなく、責任を負うこともないという現状こそが、楽山の自己愛性の体質として、書くものに表れてくるのです。
 
楽山は、嘘で飾れば、白々しさが表れ、苦言を呈すれば、自分が当てはまる、という無間地獄の様相です。それでも、自覚がなく、平気を装うのが、不治と思われる体質的異常としての自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)なのです。
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
それにしても、大事なのは、信者かアンチかという立場じゃなくて、真理に則るかどうかだと、なぜ分からんのだろう。
午前10:52 · 2022年3月6日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1500288091231494147

 
これは怖いです。楽山が「大事なのは」「真理に則るかどうかだと、なぜ分からんのだろう」と、真理を分かってるつもりで言っています。いちばん分かっていないのが、楽山です。上から目線の誇大妄想的な、根拠のない自己確信が、自己愛性人格障害の性根なのです。決して関わらないでください。
 
 
 
  面白いドラマ、アニメ
 (『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』、『ゆるキャン△』など)
 2021-02-28 楽山日記(a)
 https://ameblo.jp/aankzf2019/entry-12659452424.html
 

『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』は、第一回では学芸会的過ぎると思ったのだが、つい第二回も見てしまい、それ以降すっかりハマってしまった(笑)。毎回、泣かされ、笑わされている。
『ゆるキャン△』はタイトルだけは知っていたが、第一回を見てすぐハマった。アニメもおもしろい。こういう雰囲気はすきだ。
『進撃の巨人』も盛り上がっているし、面白いドラマ、アニメがたくさんあってうれしいぞ。

 
「ハマってしまった(笑)」「泣かされ、笑わされている」・・「泣かされ」は、恐らく、涙が出るほど笑ったということでしょう。楽山は、恐らく、笑いと怒りしかなく、しんみり悲しむことが出来ないと思います。
 
批判されている最中に、批判されていることに無頓着でいられる。無視して、ドラマやアニメの趣味の記事を平気で書いていられる。しかも、びくともしないぞと言っているような余裕がありげの「(笑)」や「うれしいぞ」を付けてくる。これが、楽山という人です。問題を何も感じないのです。
 
 
 
  オートバイ
 
ドアも屋根もない
回ることしか知らない
不思議な乗り物にまたがって
命を吹き込む
荒々しい響きに身を任せると
すぐに人も景色も
流れ過ぎる風となる
虫や葉やわらくずが
突然に現れては消える
長い直線の向こうに
道は曲がって消える
それから先はわからない
その疑問に向かって
早くもたどり着いた風は
心細い私を乗せたまま
今大地を
傾斜する刃物に変える
 
(昔の話です)
 
 
  うた
 
いつか うたも
うたを うたうことも
おおきな こえを だす
あそびに すぎなく
さけに よえば
わらうほど
よわくなりましたね
ほんとうは べつの うたを
つよい うたを
つづれるほどに
ペンを はしらせたい
うたが すべてではなく
すべてが うたではなく
ウソが あそんでいる
ことばに のって
ちがう くにへ ・・・
そのくには どこにあるのか
また みちに まよいましたね
あさの きずが みつけられない
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
いつまでも、自己正当化に明け暮れ、反省をしないでいられるのが、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の特徴です。おぞましいけれど、そういう人として、批判記事を、当ててゆくしかありません。「実践するのは難しいんだよなあ」・・ではなく、正常人なら出来ることです。
 
 
楽山は、自分に都合のよいコメントを引用して、被害者芝居で、こちらの悪い印象を吹き込んできます。思想の流れ全体について弁明できない者が、コメントの付いた記事も、前後関係も平気で無視して漁(あさ)って、バラバラの切れ端だけを投げてくるようなものです。
 
つまり、いつかどこかに書いたような、短い、都合のよい、断片のような、言葉面だけ当てても、不正確であり、それでは理路が成り立たないということを分かっていないのです。楽山の体質として、長い文脈を把握することが出来ないのでしょう。
 
流れも考えず、過去のコメントを多量にコピペすれば、参って批判を控えるじゃろ・・という、正当な理路で思想を組み立てられない荒らしの薄汚い精神です。じっくり議論する態度ではなく、説得力皆無の悪口を投げて、気晴らしの狙いでしかありません。楽山を、まともに相手にしてはいけません。
 
 
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
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(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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