過去作再録 | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。

 
   過去作再録
 
  御旨
 
誰かが間違っているから気に入らない、という思いだけから殺したり潰そうとしたりはしないだろう。しかし、誰かが神に背く者だ、という確信が信仰になってしまうと、敵と見なして殺し潰すことが神の御旨になる。これが思い込み信じ込む宗教の怖さである。それは信仰とは言えないものです。
 
神の御旨を知る根拠は、人の側にはない。そこから、いかに強い思いであっても、神を恐れる人は、恐れのために慎みを持ち、神の御名と御旨を自らの思いに掲げることをしない。そして自らの思いについて、罪の赦しを祈ることになる。これが人としての信仰の敬虔であり謙虚である
 
人は神の道を歩めない
人は神の御旨を知り得ない
人は神を知らない
人はキリストに仕える希望の水の泡であり
ゆえに人は湧いては消える思いに悩み
祈りのうちに裸である
 
 
  絵
 
画集の中の絵画
山の中の林の小道のようだが
 
風と草木が
区別も出来ないほど
乱れ震えて
吹き出すように
動きを伝えてくる
 
外から内から
激しく震え動くのは
こちらの眼と心だ
 
留まることを許さない風景が
心を問う
 
吹かれているか
吹いているか
揺さぶられているか
揺れているか
震わせているか
震えているか
 
動いているか
 
心は
ここにはないのだと
 
 
  偽の関係
 
相手について信じていることに「偽」の称号を与えてください。自分が思っていることは、実際、仮のもの~偽物だからです・・と言うことの語弊を承知の上です。誰でも相手について、知り尽くすことはありません。知っていると思っても、無知と誤解と曲解で関係はできているのです。
 
だから相手は、自分の期待通りに答えることも行うこともありません。もし期待通りだったとしても、その見方が既に偽物なのです。自分の前にいるのは相手ではなく、自分が相手だと思いこんでいる何かなのです。
 
そして相手の意外な言動に、ある日、驚き、がっかりしたり、怒ったり、幻滅したりします。でも幻は滅びたほうがよいでしょう。ときには相手の意外な側面に、喜びを見出すこともあるでしょうが、それもまた本物の相手ではありません。それが、人間関係なのです。
 
私たちは、相手という偽者に出会い、付き合い、そして裏切られ揺さぶられ、ときに気づかされ、決して留まることのない関係という希望の動態に生かされているのです。一人の、仮~偽のものとして。
 
 
  重いテーマ
 
信仰について、理解できない学説のようなものや、根拠のない結論だけのコメントを書かれてもレスしようがないですが、その理由も含めて「レスしようがない」というレスは可能です。それも気が向かないならスルーすればよいのです。しかし、いつも気が向かないでスルーするのは、自己中の人です。
 
相手が一応真面目に書いているらしいコメントなら、削除してはいけないと思います。テキストだけとはいえ、相手は人の書いたコメントですから、削除は、人格の否定につながります。
 
話を合わせて、その場しのぎのレスを返してもいけません。記事にもコメントにも流れがあり、バーチャルとはいえ、ひとつのブログの中で、別人になることは出来ません。いずれ誰かに変だと気づかれるからです。変だと気づくのは、自分自身であるかもしれません。
 
客観的な根拠のある意見の遣り取りが正しい議論ではありますが、テーマが信仰となると、根拠も前提も、根拠、の根拠、の根拠、・・、となれば、つまるところ論理的ではありません。この場合、前提を共有できるかどうかの問題になります。
 
コメントを書く人が皆、生産的で正しい議論を始めるために来ているでしょうか。実際にはコメントの大方は、少し詳しい感想という程度だし、人対人として付き合い方を判断することはあっても、相手が一応真面目に書いているなら、たとい苦言であっても本気で対応するべきでしょう。
 
だから恐らく、それを不毛というなら、私は不毛な遣り取りで時間を無駄にしてゆくだろうと思います。不毛も無駄も非生産的も、私には日常です。それをも諦めるのは、相手が人間だと思えなくなったときだけです。
 
コメントした人は、論客とは限らず、議論するためとも限らないコメント、人が書いたものです。リニアでバイナリの心性が、「根拠がない」→「正しい議論にならない」→不毛(→面倒?)→削除。つまり、一途だが直線的で、1か0か(全か無か)という対応をするとき、自己完結だけになります。
 
即ち、セキュリティのようなプログラムが、プログラムされたかのようにファイル(コメント)を選別し排除するようなものになり、その果てには、結果とは程遠い、茫漠たるウソの国・・そして自己満足か体裁のために白々しい看板を掲げるのです。「反論大歓迎」と。
 
 
         
                      重いテーマ
 
 
(2022年02月24日)
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
人間であることの条件は、人間関係の成り立つ条件でもあります。ごまかしと嘘と詭弁のないエリアを、自分の中に、特定の外に向けて、構築できるかどうかであります。それが出来ない者は、生涯を、嘘の国で過ごすことになります。そういう部分はあってもよいが、全体がそうなると破滅です。
 
 
 
 st問題資料集(2_5)悔い改め
 2022年02月23日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/32202097.html
 
 
実際は、(1)、(2,1)、(2,2)、(2,3)、(2,4)、(2,5) まであります。
 
楽山は、長い長い記事を6つ書いています。ここに、読む人のことを、まるで考えない自己中が表れています。こんな長い記事、読む人いるのかね・・と思われる記事です。そういうことを、まるで気にしないのが楽山の特徴です。量で圧倒したいのでしょうか。言論は、そういうものではありません。
 
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山にとっては、説得力など、どうでもよく、長く書いたぞと優越感を感じるのでしょう。楽山が、病質になってしまった経緯は知りませんが、現時点で、すさまじい迷惑男が楽山なのです。人を助ける代わりに、煩わす言動しかしないのです。
 
今回、いちいち、長い文章に逐一批判を加えるつもりはありません。こうなるのは、病質の症状だということを、楽山だけが気づかないということです。こちらは臨機応変に対処します。私が、楽山、シャロームshalom を批判した、その返しに、まるで、なっていない楽山の悪あがきには乗りません。
 
このように、病質者と見なしている楽山が、病質らしい執着で、書いてきた長すぎる文章を、こちらは、疲れるだけだと判断するわけだから、楽山は、強迫的に、届かないものを投げてきたに過ぎません。文章の中身を見なくても、これが、楽山の、大人に成らず、ならず者になった症状なのです。
 
つまり、自分のためだけに他者と関わる楽山の、気遣いのなさと、真実の追求ではなく、勝ち負けの勝ちを得たい短絡した欲望の自己顕示欲だけが、何も生まない、醜いブログ記事となっています。楽山に関わると、こういう地獄を当てられるわけです。つくづく付き合えない人格だということです。
 
楽山に、だまされていた数か月と、こちらの話をまるで受け取っていないことに呆れて批判に転じた3年余りのコメントの文章が、だらだらとコピペしてあり、経過をまとめるとか、批判を正当に返すために必要なことは一切していないのだから、こちらも、気色悪いので、反応する気になりません。
 
こういう書き方は、楽山は、能力を誇示したいのでしょうが、気が付かず、気が回らず、簡潔にも書けない楽山の、言論する人間としての欠陥を示すだけで、今まで、他者と、まともに付き合ってこなかった悲惨な末路だけが表れていて、哀れなだけです。楽山とは、決して関わってはいけません。
 
人は人、自分は自分、というのを、また出しているようです。他にも、人それぞれ、意見を書いてはいけないのですか、などの、だまし文句の詭弁があります。これらが成り立つのは、人間として受け取って考えて、責任を負うところの、正常人だけです。楽山が欠格なのは、何度も書いてきました。
 
以上より、楽山は、書いたものを公開する資格はないと思います。言論者ではないのです。刷り込み屋、詭弁屋、印象操作係、嘘吐き、偽インテリ、気取りだけのピエロ、そして、いつでも、どこまでも、真実から、かけ離れたところに向かって、悪意の笑いと怒りだけを向けるサイコパスです。
 
伝わってくるのは、どうだ、書いたぞ、批判してみろ・・という楽山の、体質からの脅迫だけです。文章の量で勝負できると思っている不全の者、こういうのに、付き合いたいでしょうか。否、決して相手にしてはいけないのです。節操なく、なりふり構わず怒鳴っているのと同じです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html