くさい2
気持ち
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41563997.html
ヤフー終了後は
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
2019年07月24日
楽山のブログ記事+コメントを改めて批判。
楽山は、今まで、キリスト教と信仰を、神がいるなら悲劇が起きないような楽園でないと気が済まないという極めて幼稚な理屈で、執拗に否定してきました。また、右翼思想を支持していることも、いくつかの記事で明らかになっています。理路も直感も、ふつう以下の鈍さだと判断しています。
さらに、批判をしても、反論も弁明も反省も出来ないことや、この記事にも表れているように、自己陶酔、自己満悦を表し、にもかかわらず、無反省、無責任に、訂正不能に、似たようなことを書き続ける自己愛性パーソナリティ障害NPDであることが分かっています。
楽山は、ポエムを書いているつもりでしょうか。改行しながら書いていますが、詩と言えるような発想や連想やイメージの飛躍が見られません。通念的な、きれいごとを書いているだけです。小学生でも、感性の優れた子は、もう少しマシなものを書くでしょう。
詐欺師や女たらしが、中身のない、やさしい言葉で誘ってくるのと同じでしょう。そして、楽山は、書いて見せて、批判されても、大方、返せないので、忘れることにするのでしょう。不都合を無視して忘れることだけ、超常的、というか、人間離れしているのです。
真面目に書いた詩なら、再度こちらから批判をすることはなかったでしょう。しかし、楽山は、自己愛性パーソナリティ障害NPDから、いい加減な気持ちで、霊能者気取りなど様々な気取りから、学ぶことなく、自己陶酔気分で書いて、一人前に書けたと自慢したいのです。
(記事本文)
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我ながら
単純だなあ
と思うのだけど、
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日記の文章としても、詩にはなっていないと思います。言葉の文字通りの意味を書いて、自分だけ満悦するためだから、人に見せるための発想もなく、優しい言葉遣いならいい、というような安い考え方で書いているとしか思えません。「単純だな」・・その通りです。
今までのことから、楽山は、考え方としては、とても幼稚だと思います。正常ならば、通念的な考えから脱する志があるので勉強もするし、経験を生かそうともするのですが、アドラー教のために、それをしなかったのでしょう、客観視を努める思慮も、大人の謙虚さも、楽山には見られません。
単純に善い言葉を書けば賛同してくるような自我の弱い人を対象にして、だますために書いているとしか思えないのです。今までのことから、謙虚で誠実だと思わせる、ネチネチした筆致が、気色悪いです。程度の低いキレイごとを、遠慮もなく公開してくる楽山に、だまされないでください。
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元気で明るい文章
を読んでたら、
何となく、
こっちまで
元気が出てきた。
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明るい文章というだけで、読んで元気が出るでしょうか。白々しくて、気が滅入ることもあると思います。楽山は、こういう文章しか書けないか、これで、優しい人と思われて、気をよくしたいのでしょうが、いいこと書いたと、自己満足だけで、見せてくる楽山は、自省が出来ないだけです。
明るさだけで感動するなら、楽山は、CMを見て感動するのでしょうか。
プラスの通念的な言葉を並べただけ、明るさを装う三文芝居だと思います。心の中は、腹黒い人です。このようなことを書いて、宗教の弁明や説明に使えると思うのでしょうか。あるいは、詩のつもりでしょうか。
「だなあ」「思うのだけど」「元気」「何となく」「出てきた」・・このような月並み表現で何を伝えたいのでしょう。そう誰かに言われたことはないのでしょうか。本人は良い詩のつもりでしょうか。そのまま詩になることはないと思います。
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人の気持ちは、
他に伝染するというけど、
たしかに
その通りと思う。
<
「伝染」というのは、現代では、おもに病気が移るときに言うんじゃないでしょうか。明るさが伝染する・・違和感があります。ですから、熱心に、自身の妄想やアドラー教を、幼稚な説教で、広めようとしているのは、つまり、伝染させようとしてきたのは、楽山その人です。
伝染には、うつりそまる、という意味もありますが、辞書の引用は、ずいぶん昔の文献のようです。さらに、学習をしないために固着している楽山は、経験からくる深みがなく、「たしかに」「その通り」というような言い方しかできない人ですが、言葉の選択も雑のようです。
(ネットより)
伝染:
[名](スル)
1 病原体が他の生物体に入り、増殖して病気になること。感染。「はしかが伝染する」
2 物事の状態・傾向などが他に移って同じような状態が起こること。「あくびが伝染する」
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%9D%E6%9F%93-578384
楽山の、自己中の体質と、印象付けの詭弁は、気をつけないと、詭弁に対する抵抗力のない人々に、病気として伝染する性質を持っています。楽山が、そういう意図を持っているからです。それは、無自覚に進行する人格破壊を意味しているので、決して、あってはならないことです。
"気に入らないことは無視しましょう" というアドラー教によって、批判を無視して、反省機能も皆無のまま、自分が楽になることだけを目的とするブログを書いている楽山は、学ぶ意志もなく、安い肯定の言葉を、伝える努力もせずに、発信してきます。
楽山は、いつも、大雑把で、単純で、しばしば、自分に都合のよいように、選択し、短絡して、偏見に満ちた文章を書いて、丁寧語や芝居で、ごまかして、一方的に、繰り返し主張して、自己満足しますが、その分、不勉強と、学習不能を、あらわにしてゆくのです。
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笑顔の人の傍にいると、
こちらも気持ちは軽くなり、
不機嫌な人の傍にいると、
こちらもどんよりしてくるとか…。
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笑顔にもいろいろあります。あざ笑いもあります。楽山の笑いは後者が多いと思います。ここでは、単純に明るければよいと、婉曲的に、反対を言う人には近づかないようにと、実は、どんよりした、遠回しのセリフで、誘導してくるのです。これこそ、楽山の誘導の三文芝居であります。
上機嫌の笑顔に囲まれると、かえって、暗くなる人もいるでしょう。ありがたや、ありがたや、いやなことはわすれて、・・こんな宗教が、昔、あったような気もするのですが、これがカルトの罠の入り口であることを忘れないでください。楽山には、洞察力も人間的共感性もないと思います。
批判者を不機嫌な人と見なして、どんよりしてくるとか、まわりくどく言っていますが、それ以前に、こちらは、楽山の気色の悪い、ボンヤリ言語の、婉曲の刷り込みによって、どんより、うんざり、鼻が曲がるほどの臭さを経験しています。楽山は、自分カルトの醜い媒介となっています。
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最近は、
心を整えることには
前ほどは関心が無くなってきてたけど、
自分のためだけでなく、
他の人のためにも、
やっぱりこれは大切なんだろうな。
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楽山の心は、知る限り、整ったことがありません。楽山は、そして、この記事のような文章は、アドラー教(アドラー心理学)の強気な文章と相まって、だまされやすい人間を誘導して、さらに愚鈍で盲信しやすい人に変えてゆきます。楽山は、誘いながら、バカにしています。
不都合を無視して、ヘラヘラ笑って、自分は明るいと思い込んで、楽山のような、反省しない無責任になりたい人がいるでしょうか。それは、誰よりも陰険な人の特徴であり、成長する人間のあり方ではありません。
それで、にこやかに笑っている表情になったとしても、それは、現実逃避と、不都合無視の経過と結果の、ニヤニヤか、ヘラヘラ笑いに過ぎず、それが、楽山によって、人格破壊が進んで鈍麻してゆくことなのです。
楽山は、それを、人それぞれで、自分の心次第、というようなことを吹聴してくるでしょう。誠に、楽山は、寄ってくる人に、「人それぞれ」とか「個人の自由」を悪用する詭弁で、不都合無視の因業を、吹き込んできたのです。
ゆえに、人の心を破壊してゆくだけの楽山に、心を整える気はなく、他の人のためにも、大切な何ものかを、または、そのヒントさえ、提供することはないのです。百害あって一利なしであります。だまされないように、関わらないようにする対象でしかないと思います。
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生きていれば、
いろいろなことがあって、
いろいろな気持ちになるし、
どんな気持ちもそれぞれ尊いけど、
揺れを戻し、整えることも大事。
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「どんな気持ちもそれぞれ尊い」と言って何になるでしょう。「いろいろ」あるけど「整える」なんて、簡単な話じゃないわけで、楽山などに教えてもらっても病気になるだけです。平凡のオンパレードです。全部、きれいごとだけの、嘘と言っていいでしょう。何の足しにもなりません。
揺れたら、揺れを戻し、などと言っても、場合によって、簡単ではありませんし、楽山にだまされた人にとっては、肯定を否定に向きを変えるわけだし、苦行か拷問になるかもしれません。それに、揺らしながら、揺れを自覚することも、揺れを戻すことも、しないのが、楽山です。
めんどくさいのか、こういう、何の糧にもならないことを、ずっと書いてきたのが、楽山です。インテリ気取りで、学術用語を使うことも多いですが、反省しない者は、理解することもありません。自己愛性パーソナリティ障害NPDの楽山に、他者に向かってアドバイスする資格はありません。
言葉をそれらしくすればよい、という気安さで、大きなテーマから、ポエムまで、最悪の質の文章を書いてきたのが楽山です。楽山の正体は、人間も、思想も、宗教も、何も理解していない幼稚さを、自分だけが気づかない醜態をさらして、表しているだけなのです。
言い換えれば、楽山は、この程度の軽さでしか人間を考えていないということです。楽山の精神の鈍麻と言葉の浅薄さが、にじみ出ています。ここまで、執拗に不変不応不感の人は珍しく、病質としか言えません。今、楽山に関わっている人は、すぐに離れてください。
楽山、shalom、易坊、mine、など、恐らくマルチな成りすましの可能性を思います。残念ながら、ネットでは、決定的な証拠が成り立たず、証明が出来ません。自分の心は、自分で守るしかありません。批判目的で、楽山を読む人以外、少なくとも、楽山に関わらないようにすることが大事です。
(コメント欄)
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自由さん おはようございます
「揺れを戻し、整えることも大事。」
そうですよね。
私はやじろうべぇが好きですが、ごぞんじですか。
どんなに揺れても、振り回されることがあっても、
たしかな支点に支えられていれば、相対化の揺れがあっても、
支点によって揺れを取り戻し、整えられる…あの人形ですが。
2019/7/24(水) 午前 9:03 [ shalom ] 返信する
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おはやし役のような、同じ成りすましが疑われている シャロームshalom がコメントを入れてきました。やじろべえ、に喩えていますが、シャロームと楽山の精神・思想の支点は、今まで、自我であり、揺れるという活性もなく、すべて、でっち上げの大嘘です。
シャロームに対しては、批判すれば、いっさい答えられず、弁明できず、逃げてゆきます。仲間だけで褒め合うだけの、世辞同好会から生まれる、ニコニコではなく、ヘラヘラには、長期にわたる批判が、楽山以前に、約10年ほどありました。そして、この二人は、仲間ぼめをする間柄です。
シャロームの言の、吐き気を催すような、胡散臭さ、ウソ臭さ、芝居がかって、わざとらしく白々しい、排せつ物のような、手ごたえのまるでない、人間の卑しいところを抽出して散らしたような、尿便よりも、酷い刺激臭を経験しています。楽山と、キャラは違っても、そこは共通しています。
怖いことに、囚われてしまうと麻痺するみたいで、同じような生き物になる人がいるのです。そこが、楽山やシャロームの付け目なのです。批判する気のない人は、一刻も早く退散して、この2人から離れるしかないと思います。
似たような病質者は、楽山やシャローム以外にもいると思いますから、どこかの誰かの別のHNの記事にも、私が今まで書いてきたような特徴が見られたら、付き合わないようにしてください。
臭い(くさい)
(2019年07月24日、同日一部修正)
(2021年07月31日、再録+加筆)
上手なサービス
原稿を上手に読む女性の声が
芸術作品を説明している
骨を上手に覆い隠す
肉の遺伝子を持っていると
イドラになれる
この部屋には誰もいないが
名前が上手に住んでいる箱がある
たとえば
すり替えられた名前は世渡りが上手だ
流れ弾が少年の叫びを上手に止めた
刃物が少女の日常を街角に赤く流した
上手に上手に
もっと上手に
坊主が上手に不毛を捏(こ)ねて
誰にも悟られないイコンを作った
リップサービスは上手にフリーで
幸福な未来を捏(でっ)ち上げた
サービスできない未熟なリップは
未だ上手も下手も知らないが
サービスと奉仕に
反比例の臭(にお)いを嗅ぎ始めている
蛇と蛭と鼠の人
誰しも蛇の腸管や
蛭(ヒル)の下垂体と鼠(ネズミ)の甲状腺
ぐらいは飼っているものである
強い蛇を飼っていれば
いつも毒を吐いているので分かりやすい
しかし多くは鼠が摂食の抑制を掛け
さらに蛭が吸血の抑制を掛けるので
面と向かっては毒を控え
蛭が丸くなり鼠が蠢(うごめ)き出すとき
本人がいなくなったところで
活性化した蛇の舌をぺろりと出して
さりげなく口臭のような毒を吐き
人の印象を吹き込む
意識的か無意識にか
思わず或(あ)る時か
という罪の軽重は
人には測り難(がた)い
奸計(かんけい)と小細工を弄(ろう)して世渡りをするような
最も凶悪なホルモン性の動物は
その測り難さを利用する
(90年代か)
お手本になるような上手な詩ではありません。それに、私の記事は、詩の上手下手を書くのが目的ではありません。この私の2つの詩のようなものは、最近、再録するようになっている流れの続きです。
昔、詩のつもりで書いていたのは、私なりに、自分の思いを書くのに、ふつうの言葉遣いから離れたかった時期があって、悪あがきをしていた頃です。今もあまり変わりないですけど。
楽山の成りすましを疑っているツイッターですが
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taka
@taka84156681
·6時間
正義感が強すぎるは、正義で人を抹殺するのが普通だからな
勧善懲悪の悪い面が出てしまっている
「
マンガ(省略)の中のセリフ
「人の本性は手にした正義の使い方で分かる」
」
午後8:41 · 2021年7月27日·Twitter for Android
https://twitter.com/taka84156681/status/1419986393917390854
<
正義感が強すぎることがあるのでしょうか。正義で人を抹殺するのが普通でしょうか。勧善懲悪に悪い面があるのでしょうか。楽山という嘘吐きの偽善者を守る者がいると思っているのでしょうか。正義だけでなく、良心の総てを裏切っているのは、楽山です。2年余りの批判記事が証拠です。
楽山は、手にした正義?で、嘘を吐き、詭弁によって、人を、自らの自己愛から、嘘をまことに見せかけて、だまして満悦する生き方です。つまり、言い換えれば、何の正義も手にしていないということであり、いつも、自己正当化のために、臭い芝居をしてきます。
マンガの、本性と正義というテーマによって、斬られているのは、まさに、楽山自身なのです。楽山は、自己愛性人格障害(パーソナリティ障害)NPDが本性であるために、今までも、今回も、自分の恐ろしい内面に気づかないまま、自分の滅びを自分で表し、ますます、滅びの道を進んでいます。
前に書きましたが、楽山とシャロームが在日なら、この二人、日本に嫌韓を増やすことになるでしょう。それが目的かどうか知りませんが、とうてい、人間のすることではないのです。
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
ツイッター:
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
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