もウソう・環境問題 | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

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キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。


  もウソう・環境問題
 
環境に最も優しいことは・・・
「人類がいなくなることです」
と言ってしまうと
身も蓋もないけれど・・・
 
人類ほど必要以上に
環境を破壊してきた生物はいません
それは人類の宿命でもあります
 
もともと人は
鋭い牙も爪も角もない
「裸のサル」ですから
それだけでは他の動物に敵わない
真っ先に絶滅していても
おかしくない動物です
しかし牙や爪や角の代わりに
人は知恵によって
道具を作り発展させて
集団となって組織となって
ときには人間性も失って
非情になって
他の生き物に負けず
むしろ利用することで
 
昔・・・ご飯を注文すると
「じゃ、稲刈りに行ってきます」
という笑い話がありましたが・・・
 
人は資源を含め
必要であってもなくても
買っても買わなくても
あらゆる商品を店に並べるという
今日の流通社会を作ってきました
 
それを英知と呼べるかどうか・・・
人類は今に至るまで
自分で自分の首を絞めるような
歴史を繰り返してきましたから・・・
 
仮に人類が滅亡したとしても
何の文句も言わずに
自然に滅びるものは滅び
栄えるものは栄え
自然は続いてゆくのです
 
環境問題「環境に優しく」は
「絶滅危惧種・人類に優しく」
という前提に他ならないのです
 
そのために今言えること・・・?
メカ・トロ・アグリ(カルチャー)
ここではバイオ燃料に期待する云々
・・・と言うだけにしておきます
 
(2008年10月11日)
 
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関連コメント:ブログ「日常×非日常」より
 
温暖化の原因を、何だったか、太陽風?とかに求める学者がいて、
そうなると結局二酸化炭素については何もしなくてよい
ということになる。私としては今のところ二酸化炭素説をとります。
この説の場合人類にも出来ることがあるが、
太陽風?説(後者)では出来ることがない。
前者(二酸化炭素説)が嘘で後者(太陽風?説)が本当なら、
間違って前者をとった場合、責任者出て来い、という話になるが、
前者が本当で後者が嘘なら、
間違って後者を取った場合、結果は壊滅的になりうる。
両者の過ちの重さを比較すれば、ということです。
前者は余り金に縁がないが、後者は、何もしなくていいよ、という感じで、
既得権益をもつ人たちが群がるだろう。・・・ということも考える。
 
しかし私は原発増設は優先順位最下位、核武装は反対です。
 
二酸化炭素の温室効果というのは科学的な事実で否定しようもないが、
それだけが原因と考えるのはあまりにも非科学的という話もある (*)
 
専門家でも意見の分かれることについて、しかも多因子であるなら、
素人が正しい情報・事実を知るのはかなり難しいとは思います。
 
二酸化炭素よりもはるかに有害な原子力発電所を増設することには、
なんの正当性もないだろう (*)
 
バイオ燃料というのも、南米、アフリカ、東南アジアなどの
森林を伐採して畑を作るという意味では、
環境破壊の一因になっているそうです (*)
 
私は、原発推進で核に慣れさせる→ゆくゆくは核武装推進
という思想の流れがありそうで、それに反対です。
 
したがって温暖化は二酸化炭素が原因だから、
二酸化炭素を出さない原発を増設すべきだという考え方には反対です。
 
私としては、化石燃料を掘って出して使うだけだと、
いずれ枯渇するし、燃やしっぱなしだから、何かおかしい
という感じを持っていました。
それで、70(~80?)年代にバイクの雑誌か何かで、
ブラジルかどこかでガソリン+エタノール混合燃料が使われていて
ガソホールと呼ばれているという記事を読んだことがあって、
再生可能な燃料だろうから、そういう方向がいいかなと思ったものです。
当時は安価だからという理由だったかもしれないけど。曖昧ですいません。
再生可能か、今のところ無尽蔵の太陽か、等々、
上のように考えたのですが・・・
そうですか・・・「バイオ燃料・・・森林を伐採して」となると、
営利に走っていて、方向性としては逆になってしまいますね
森林伐採しないと駄目なのか・・・(嘆)。
 
「環境破壊」「環境問題」とは何のための環境かというと
人類存続のための環境ですよね。エコロジー的に、というか
エコマークは「地球にやさしく」ということになってるようですが、
ほっといても地球にはやさしくなります。
破壊者である人類がいなくなるから(黒冗句)。
人類がいなくなっても、自然は自然に自然であり続けるし、
地球もまた同様です。
だからやっぱり人類のための子孫のための地球と自然、
即ち人類のための環境だから、
自然を保つにしても、森林伐採を止めるにしても、
エコにしても、省エネにしても、新しい技術を考えるにしても、
単なる自然保護や動物愛護の精神ではなくて、
人類の存亡が懸かっているのだから、
「地球にやさしく」は言葉とは裏腹に軽すぎる感じがします。
まとまりません。失礼。
 
(2011年01月27日)
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(*)以外は私のコメントです。